ヴァルアス・ヴォルフガング編
                 第九話



その日、の機嫌はとっても悪かった。その原因はヴァルアスだ。目覚めた直後、知らない内に部屋に入られただけでなく
思い切りからかわれたんだから。そのせいで今の今までヴァルアスの様子を思い出したりして心臓が落ち着かなかった。
否定しながらも認めざるを得ない感情をようやく少しずつ受け入れようとしていたのにこうして目の前の光景を見てしまうと
それを早くも撤回しなくてはならないかもしれない。



                           *

事が起こったのは街の巡回に出てしばらくのこと。
ヴァルアスの部隊の隊員達は、二人一組で組んでいつものようにそれぞれ持ち場を回っていた。
もちろんにとっては訓練を始めてから初仕事となるわけだから当然ヴァルアスと一緒に巡回することになった。
持ち場はいつも新鮮な食べ物を扱っているフィリスの市場。
人々にとっては毎日の生活に欠かせないだけに人の数も半端じゃない。それにさすがに城下町だけあってここでしか
見ることのない珍しいものもたくさんありには物珍しさもあって巡回よりも目を奪われる事の方が多かった。

だが最初のうちは楽しいだけだった巡回も市場の奥に行けば奥に行くほど足取りが少しずつ重くなっていった。
疲れたからではない。確かに疲れはしたがそんな肉体的なものではなかった。
いや、いっそその方がよかったかもしれない。頭の中がグルグル回る感覚にも近い光景を次々と目の前で
見せられるよりは。
ヴァルアスが次から次へと店の売り子さんやら街を歩く女の人に声をかけている。もちろんが後ろを歩いている
ことを知っていてだ。どうしてこんなことをって思うと同時に自分の気持ちに嫌悪した。
ヴァルアスの行動をいちいち気にしている自分の姿が本当は苦痛なのにそれを認めようとせず変な理由を自分なりに
つけて否定しているのだ。瞳はずっとその光景を追ってばかりいるのに。



                         *

「おいっ、!そいつ誰なんだよ」

市場の果物屋のお姉さんと楽しそうに話していたはずのヴァルアスが、いつの間にかの横に並んで立っていた。
余程慌てて来たのか、言葉の端々に苦しそうな息が混じっている。
流れ落ちてきた前髪を乱暴にかきあげながら、の前に立つ男性を睨む視線ははずさなかった。

「誰って見た通りよ」

「わからないから聞いてるんだろ!」

「制服姿でしょ、同じ国事官吏の人よ。警備隊の人じゃないけど」

「警備隊の奴じゃないってのはわかってる。だけどなんで勤務中にこんな所にいておまえと話す必要があるんだ?
 なんの関係もないだろう!」

今にも掴みかからんほどの勢いで捲し立てるヴァルアスにはいつもの憎らしいほどの余裕は消えている。
言葉を次々と出すことで必死に自分の感情を抑えているようにも見えた。

「それじゃあさん、ありがとうございました。助かりました。仕事頑張って」

「あ、いいえ。こちらこそ、呼び止めちゃってすみませんでした」

視線ですみませんと謝る男性にもごめんなさいの意味をこめて頭を下げた。
知っている顔が見えたので話しかけたのだがヴァルアスの反応の鋭さに戸惑いながらそっと隣を窺い見る。
イライラしているのか、落ち着かない様子で街の様子を眺めていたヴァルアスは急にの手を引くと路地へと
連れ込んだ。

!」

「…………」

突然のヴァルアスの大声にびっくりして声が出ない。その口調に普段には感じられない焦りが浮かんで取れた。

「で、さっきのは知り合いだったのか?」

言い逃れは許さないとばかりに、視線を逸らしてもその先々にヴァルアスの真剣な表情が映る。
市場の女性達に楽しそうに話しかけていた顔とは違う、訓練中と同じくらい真剣な顔。
まるで追い詰められた小動物のように怯えていても追求され逃げ場を与えてくれなさそうだ。

「お城に初めて来た日、城内に入る前に迷っていたところを助けてもらったの。
 緊張をしていた私がわかったのか緊張をほぐすためにいろいろ話しかけてくれて連れて行ってくれた。
 ちょうど見かけたから今は買うものを探すのを手伝っていただけよ」

、俺の言葉が信じられないか?」

の視線に自分の視線を合わせたまま、ヴァルアスがポツリと呟いた。
ヴァルアスらしくない自信なさ気な表情がの心をつく。
そんなヴァルアスにとまどい、なんて答えたらいいのか迷った末に正直に頷いた。
自分の気持ちも掴みきれていなくて迷ってばかりいるのにヴァルアスの気持ちまで理解しろだなんて
今の自分には無理だ。

俯いて黙ってしまったの横を風が通ったかと思うと強張った体が暖かな腕でそっと包まれた。

「自業自得だな、わかっているんだ。自分でも。
 でも、どうしてかな。おまえの前だと俺は俺を作らなくてもいい、自然でいられる。
 、お前と一緒にいる時だけは俺自身でいられるんだ」

自分の感情を移すかのように抱いている腕に力がこもる。

「強引すぎる時もあるかもしれない。でもこれだけは信じて欲しい。
 俺はおまえが大切で傍にいて欲しいと思っているってことを信じて欲しいんだ」

泣いていないのにその声は細く、頬には涙が流れているように見えた。

見えない涙、それは心の涙かもしれない。
寂しい心が求めている。
誰かに傍にいて欲しい、自分を救って欲しいと繰り返し何度も、何度も。



next   back   月と焔の物語top