ヴァルアス・ヴォルフガング編
第六話
「いい加減観念しろ!」
今日も朝から無駄に元気に熱血している教官が背後から耳が痛い程の大声でわめいていた。
その声を無視すればよいものを変なところで律義な者ばかりが集まったのだろうか。
ヴァルアスとを除く全員が教官の言いつけ通りに束となって二人を追いかけてくる。
「あ〜あ、朝から皆元気だよな。いくら訓練だからって適当にやっとけばいいのに。
まだこの後もあるんだしいざという時に動けなきゃ意味ないのにな」
「って、のんきに言ってる場合じゃないでしょう!今は逃げなきゃ!」
「ああ、ホントに疲れるよ」
文句を言いながらのんびり走るヴァルアスを急きたては必死に足を動かす。
合宿も三日目。明日にはここから立ち去るからなのか、教官の気合の入り方は昨日以上だ。
昨日、訓練とヴァルアスへの報復が思うように出きなかったのがかなり悔しかったらしい。
訓練収めの今日、成果を出さんと熱が入るのはわかるが訓練参加者の異様なほどのはりきりようと、
ヴァルアスのいつもに増してのこのやる気のなさはどういうことなのだろうか。
「ねえ、ヴァルアス。今日って様子がおかしくない?」
「うん?なにが?」
「だからみんなの熱の入り方よっ!訓練って言っても半ば親睦会的な要素もあったでしょう?
昨日はこんなに必死じゃなかったのに今日は目まで血走ってるし、後を省みずって感じで異様じゃない?」
あ〜、と逃げながらも器用に頭をポリポリかいてあさっての方向を向く。
「ヴァルアス、やっぱり知ってるんでしょう!しらばっくれてばっかいると私ここから一歩も動かないからねっ!」
強行だとしてもここで聞いとかないと大変なことになりそうな気がする。
聞いた後に後悔するかもしれないが取り返しがつかない事態に陥ることのほうがもっと嫌だ。
「本当に、って変なところで融通きかないんだから。わかった。わかりました。白状すればいいんだろ?」
まったく、かわいいよなぁ。
ヴァルアスの呟きに口をひらきかけたを走り出すように促すと、残念そうにしぶしぶと言った感で答えを
口にしたのだった。
「脱落者にはもれなく特別メニューと罰則。そしてこの訓練の勝者には賞品が与えられるってさ」
「罰則と賞品?」
「ああ、どちらも教官特別厳選だと」
教官厳選推奨賞品……それってものすごく嫌な予感がするんだけど。
「それでヴァルアスはその賞品って知ってるの?」
気を取り直して聞き返したにヴァルアスは再びはぐらかそうとする。
「……さあ?」
「知ってるのね!ものすごく怖いけど聞かないでいる方がもっと後悔しそうだから、
ヴァルアス、もちろん教えてくれるわよね?」
教えてくれなきゃ止まるから、とにっこり笑いかける。
「あ〜あ、俺ってに甘いよな。観念するよ。でも話す前に一つ言っておく。
警備隊に入ったからには常に試練がついてまわる。それはわかるよな?」
「厳しい場面に遭遇することが多いだろうし怪我もつきものだし神経は使うよね。
それに私だっていくら仮隊員だっていっても何もないって訳にはいかないだろうし」
「よくわかってるな」
「いいから、じらさないで教えてよ」
かわす様に話をするってことは本当はあまり知られたくないのだろう。
嫌な予感にとらわれながらもはヴァルアスに続きを話すよう促した。
「仕方ないな、わかったよ。じゃあ言うぞ。この訓練の達成者に贈られる賞品ってのは」
「賞品は?」
ヴァルアスがじっと意味ありげにを見つめるとその手をゆっくり指した。
「、おまえだよ」
「はぁ?!」
間の抜けたような言葉が口から出ても仕方がないだろう。
懸命に耐え抜いた訓練の最後の結末がまさかこんなことになるなんて思いもしなかったから。
「だ、誰がこんな試練なんかいるもんかっ!」
精一杯の叫び声も、後ろから近づく足音にすっかりかき消されてしまう。
いつにもまして空は高く青い。
ああ、果たして体力が尽きる前に逃げ切れることができるのだろうか。
*
「どうしてこんなに一日、走り回らなくちゃならないの!」
息も絶え絶え、言葉を出せば辛いのはわかっているけど出さずにはいられない。
しかも今日に限って今までの鬱憤晴らしなのか、走るだけでは済まないようになっている。
障害物、迷路、あげくの果てにいつの間に仕掛けたのか落とし穴まで!
いったいどれほどの根性をいれて作ったんだろう。そんな時間があるのならもっと有意義な
訓練に時間を費やせばいいものを。
「大丈夫、あとほんの少し逃げ切れば終点さ。軽い軽い♪」
いかにも楽勝、と気軽に言うヴァルアス。
「逃げ切れなかったらどうするの?元はと言えばヴァルアスが煽ったんじゃない!」
要らぬ火の粉がかかったのはこちらにも原因がないとは言えない。
確かにどこに行っても必ず困難はあるとは思っていたけどでもこんなこと想定の範囲じゃない!
しかもおかしいとも思わずそれを受け入れるなんて!
「絶対、警備隊の人達って変!」
「そりゃ、あいつは変だよな」
「教官だけじゃない、皆よ!」
そもそも一方的に決められたに拒否権はないのだろうか?
「ここでは教官には逆らえないのさ。もし抵抗するようなら合宿が終わった後、処罰を受けることになる」
「ヴァルアスはそのことがわかっていて、反抗するようなことを言ったの?」
「だってあいつ一度目をつけたらしつこそうだし変ににからまれても嫌だからさ。
だったらこの場で終わらせておけばそう難しいことにはならないだろ」
「でもしっかり抵抗してる!」
これじゃあ、私を守るって言ったのも本気なんだかわからない。
「もちろん、は守るさ。俺が絶対ね」
「本当?」
「心外だな。俺が嘘を言うとでも?」
そんないかにも楽しそうって顔をしてたら信用できないでしょう。
なんか声まで弾んでるしそれで本気にしろって言っても無理じゃない。
「まあ、行動で示せばいいんだしどっちにしろ今日は妨害だけしかできないからな。
ちゃんと逃げ切ればこの後も邪魔しないって確約させたし。まあ、大丈夫だよ」
「って言うことはずっと走りづめなの?!」
「あと少しだからちゃんと約束もさせたし頑張ろうぜ」
約束?
聞き返そうとしたの手を伸ばしてきた手がしっかり掴み、ヴァルアスに引きずられるようにして
後ろの集団から逃げ続けたのだった。
*
「ほら、逃げ切ったぜ。約束は覚えているだろうな」
鼻で笑う様にヴァルアスが得意げに教官に向かって言い放つ。
「くっ、仕方あるまい。約束は約束だ。おまえの好きにするといい」
何を約束したのか、ヴァルアスは鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だ。
そんな二人の姿を眺める余裕がないほど、はぜいぜいと両手を膝についてあえいでいた。
この訓練で負けを言い渡された隊員達の悲鳴があちこちで響き渡っている。
どうやらすでに、教官の腹いせ晴らしの犠牲になっているらしい。
申し訳ない気持ちもあるが、今は体力の限界で頭も気力もきちんと回らない。
それに同情して声をかけたらヴァルアスが黙ってみているはずがない。
かえって余計、やっかいごとを増やしてしまうことだろう。
「大丈夫か?」
先程まで教官を相手にしていた時とは打って変わって、心配そうに少し眉をひそめながら、
ヴァルアスがそっと覗きこんでくる。そのいつになく素直な表情に心臓がドキッとした。
「ヴァ、ヴァルアス?」
グイッと腕をつかんで引き寄せられたせいでグラッとバランスを失い、の体はヴァルアスの
腕の中に転がり込んでしまった。
「よくがんばったな。俺のせいですまない」
呟く声に顔をあげようとすると、ヴァルアスに見られまいとするかのように胸の中に
強く抱きしめられた。
「おまえが他の奴に見られてるから、そのついむきになっちまった」
その声はかすかに震えている。
「急いじゃいけないってわかっているのに放っておくといつの間にかいなくなってしまいそうで、
他の奴に取られてしまうと思ったらつい」
「ヴァルアス」
それってどういう意味?
聞こうとしたのがわかったのか、ヴァルアスはの口を塞ぐように頭を自分の胸に押し付けた。
「頼む、今はまだ聞かないでくれ。話してしまったらこの穏やかな時が消えてしまいそうで怖いんだ」
自信を決して失わないヴァルアスの心の隅に隠れた想い。
「……」
何かをこらえたような苦しさが伝わってくる。は聞きたい気持ちを何とか抑え
ヴァルアスに抱かれたままゆっくりと頷いた。
身体を強張らせて答えを待っていたヴァルアスはほっと安心したように息をつくと、
その表情を覆い隠したままをそっと離したのだった。
*
「あとで迎えに来るから」
ヴァルアスの顔には薄く微笑が浮かんでいる。
よかった。いつもよりは少し元気がないけれど、笑えるほどには気分が落ち着いたようだ。
「」
ヴァルアスが部屋に入ろうとしたを呼び止める。
「まだ会ってそんなに時間がたっていないから俺の言葉を信用しきれないところがあるかもしれない。
でも、俺はずっとおまえを探していたんだ。おまえだけを。
だから嬉しくてついからかったりしてはしゃぎ過ぎた。すまなかったな」
消沈したように俯いたヴァルアスはいつもの明るさを消してしまう。その姿は全然知らない人のようで
どこか遠く感じてしまった。
「この後教官からもぎ取った約束を実行するんでしょう?遅れないでね?」
雰囲気を変えるようにが明るく言い放つと、ヴァルアスは俯いた顔を上げの顔をしばらく見つめた後
にこっと微笑んだ。
「ああ、おまえこそちゃんと支度しとけよ。じゃあ後で来るから!」
の気持ちを汲みとったヴァルアスの顔は先程とは違い明るい。
心からの微笑みを浮かべたヴァルアスにも自然と笑顔が浮かんだ。
やっぱりヴァルアスは曇った顔より笑った顔の方が断然いい。
たとえそれがをからかうために発揮されていたとしても。
ヴァルアスが何を抱えているかはわからない。
でも今はただあの笑顔を見ていたい。いずれくるかもしれない時など忘れて。
こちらへと向けられるあの笑顔だけを。
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