ヴァルアス・ヴォルフガング編
                  第五話



「ったく、あいつは!」



白輝月が浮かぶ静かな夜、ヴァルアスは捜索中の相手への文句をブツブツ言いながら木々の間を
駆け抜けてゆく。

本当に何考えてんだ。いつも、いつも俺の意表をつきやがって!

少々口汚い言葉が浮かぶのにも気がつかないほど、頭の中は相手への文句で占められている。
と言うより心配の裏返しとも言えるだろうが。

「体力の限界だろうに、俺がちょっと目を離した隙に抜け出すとはいい度胸だ。これは少しおしおきが必要だな」

やけに楽しそうに頬を緩ませながら言ったヴァルアスだったが、徐々に速度を緩めると月明かりがさす空間で
足を止めた。そして呼吸を落ち着けながら瞼をゆっくり閉じると、周りの気配を探るように神経を高めていく。

「こっちだ」

何かを感じ取ったのか目をバッと開けると、迷うことなく一つの方向に向かって走り出した。

「俺の気持ちも知らないでいつも勝手に出歩いて!でも、あいつだけだ。
 俺の気持ちをこんなに揺れ動かすのは。本人は何も思っちゃいないだろうけどな」

少し自嘲気味に笑うヴァルアスの表情はどこか儚く消え入りそうにも見え、遥か遠くを見つめているようだった。

「まあでもそれも一興か。どちらにしろ俺とあいつには確かな絆がある。
 それがわかった以上、俺は手放すつもりは無いし逃れられるものではない。
 、おまえは俺の唯一のものなんだ」

揺るぎない言葉。
を探して走り続けるヴァルアスを追いかけていくように月の光がその姿を照らして行く。

「俺には不似合いの光だ」

を守る月の光が自分には嫌悪の対象でしかない。
月が移り変われば移り変わるほど自分にとっては苦痛が増すだけだ。

それでも、いつか自分にも受け入れることができるのだろうか。
自分も穏やかな顔で月を眺める日がくるのだろうか。
すぐには無理でも、おまえと一緒なら俺は変わることができるんだろうか。

収まりきらない感情を振り切るように口をかみ締めるヴァルアスを暗く冷たい孤独の影が覆い隠す。
まるで月の光を拒むかのように。



                            *

「やっと見つけた!」

背後からかかった大きな声にはビクッとするとあわてて声のする方へ振り返った。
ヴァルアスはよほど急いできたのか、髪は乱れ息を苦しそうに弾ましている。

「どうしてここが?」

誰にもわからないよう内緒で出てきたはずなのに。それに目印も何もない場所でどうやって
居場所を捜しあてたんだろう。

「わからないと思ったのか?まったく、おまえはちょっと目を離すとすぐにいなくなっちまうんだから。
 どれだけ人に心配かければ気が済むんだ!」

考えていたの思考を遮るように間髪置かず一気に言い放つヴァルアスの声にはほんのわずか
苛立ちが混じっていた。

「ヴァルアス?」

、おまえわかってないだろう?ここがどれだけ危険な場所なのか!」

「だって散歩をしていただけだよ?」

「夜の森を一人で散歩するなんてどれだけ危険なのかわかるだろうが!」

誰もいない静かな夜なのにどうしてと首をひねって考えていたの肩をヴァルアスは己の感情を
ぶつけるように思い切り掴んだ。

「だから人はいなくても獣はいるかもしれないだろうが!
 しかもこう暗くちゃあ躓いたりぶつかったり、そのあげく転んだりするだろう!
 それにもし迷子にでもなったら二度と出てこられなくなるぞ!」

「いくら私でも暗いから足元には気をつけて歩いていたわ!それに迷子防止のためにこうやって
 目印の石をばらまきながら……あれっ……」

確かに月の光の下でも見つけやすいような色の石をまいてきたはずなのに振り返ってみると
どこにあるのかわからない。

「おかしいなぁ」

「そんなんじゃわからなくなるのも当り前だ!」

ヴァルアスは大げさなくらいの大きなため息を付きどうしようもないとばかりに額に手を当てた。

「そんな奥まで行くつもりはなかったの!ここまでなら道を覚えてきたから全然大丈夫だったし!」

半分開き直りで大きく出たにヴァルアスは再びため息をつくと肩に置いた手でポンポンと叩いた。

どういう意味?あきれてますって言ってるのも同じじゃないっ!

「本当に覚えているか?」

「もちろん」

「じゃあ先に立って歩いてみろよ」

「わかった!見てて」

くるりと振りかえると元来た方へと歩き出そうとしたが先程より暗く落ちた闇の所為か
見えない周りに心臓が震えてきてしまった。距離どころか方向感覚さえ狂わされてしまいそうな
深淵の世界に保っていた強い意志も挫け涙がでそうになってしまった。

、ごめん!大丈夫だ、俺がいる。頼むから泣かないでくれ!」

不安げに揺れるの瞳を覗き込むと慌てて手を伸ばし、すっぽりと両腕で囲むように
優しく抱きよせられた。
浮かぶ涙にうろたえて泣くな、と何度も繰り返すヴァルアスに普段の飄々とした姿の見る影もない。

「おまえがまいたのは月光石じゃないか?あれは月の光があたらないと光らないんだ。
 月の位置は変わっていくから光が届かない所にあったのはわからなくなったんだよ」

必死の説明にそう言えばと思い出すと安心して自然と体から力が抜けてきた。

「ヴァルアス、ごめんなさい」

落ち着いたが浮かべた微笑みを見ると少しバツが悪そうにしていたヴァルアスは
やがてホッとしたように柔らかく笑った。

、頼むから勝手にいなくならないでくれ。もし行きたい場所があるんなら俺も一緒に行くから
 少しくらい待っていろ。おまえに何かあってからじゃ遅いんだから」

ゆっくりと言い聞かせる様な言葉は魔法のようにの心を溶かし深く染み込んでいく。
約束だと瞳を覗きこみ頷くを確認すると安心したようにそっと額に口付けを落とした。

「約束の印だ」

「もし守れなかったら?」

恥ずかしさのあまりはヴァルアスへと言い返したが彼はそれに慌てることなく一呼吸おいて企むように
ニヤッと笑った。

「さて、どうしよう。その時はおまえに何が起こるかわからないかもな」

余裕の態度での額を人差し指で軽くはじきそっと体を離すと先を促すように歩き出した。
その場に残ったの顔が夕日の光で染まったかのように真っ赤になっているのには気が付かずに。

、あまり心配かけないでくれ……無事でよかった……」

呟く声は切なくそして甘い。



                       *

「さて、お仕置きはきっちりするからな。楽しみだ」

別荘への帰り道、いつものヴァルアスがここにいる。
さっきまでの優しいヴァルアスも好きだが、やっぱりこうでなくちゃ調子が狂ってしまう。
それに真剣でからみとられてしまいそうなまっすぐな瞳を見ていると、逃げることができないようで
とても怖かった。

獲物を狙う獣の瞳に逃れることを許さない強い意志。
その前では射すくめられたように逃げ出すことを許されない。

?」

タイミングよく覗き込んできたヴァルアスをは思わず突き飛ばしてしまった。

!!」

だって仕方ないじゃない!こんな風に雁字搦めにして捕まえてしまうヴァルアスが全て悪いんだから!



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