ヴァルアス・ヴォルフガング編
第四話
なに、なんでこんな目に合わなくちゃいけないの?
朝も早くから走り、朝食もしっかり全部残さず食べて準備万端のを待っていたとばかりの
この仕打ち。まさか昨日はこのためにわざと休ませたのだろうか?
「そうに決まっているだろう」
「最低!」
当然だろうと言うヴァルアスに一気に脱力してしまった。
三泊四日の別荘生活。優雅に豪華にとまではいかなくても、それなりのことを期待していたのに、
自由時間さえ十分にない日を送らなくてはならないなんて思いもしなかった。
「、そんなに今の状況が不満か?俺は満足しているぞ」
ヴァルアスには慣れた日常かもしれないけれどには過酷な一日にしか思えない。
息が切れて心臓まで痛いのにほんの少しの休む間もなく訓練に明け暮れるのだから。
「辛いのか?もっと早く言ってくれればよかったのに」
言ってもここの主は休むことを良しとはしてくれないだろう。
そんなの手をしっかり握って一緒に走る。
苦しくてヴァルアスをじいっと見ると、その眼差しがふっとを捕らえると絡め捕るように視線を合わせ
口元を軽く上げた。
「さあ」
腰を少しかがめるとお辞儀をするようにした後、長いまつげを伏せ再び視線を上げた。
そこにあるのは甘く揺れる魅惑的な瞳。
その視線は思考を乱し、何物にも囚われることを許さない。
「きゃあっ!」
見惚れて半ば陶然としている隙にすばやくの膝の裏に手を入れて軽々と抱かれてしまう。
「、落ちないように俺の首にしっかりつかまっていろ!」
言いながらもへと向けられた視線が離れることはない。
そのせいか今まで苦しくていっていた息がスッと止まり、逆にそのせいでゲホゲホ咳き込んでしまう。
「俺に捕まっていろよ。一気にいくからな」
目が爛々と輝き、抱いているのを物ともせずそのまま突っ走る。
の意志なんてあってないようなもの。自分のペースへと引っ張り込んでしまう。
後ろから徐々に近づいてきていた大きな音をヴァルアスはグングンと引き離していった。
別荘敷地内の広い庭園。そこで繰り広げられる二十名の演習はどのような終わりを告げるか
予想も付かない。
*
「俺に挑戦とは!」
鼓膜が破れそうなほどの一喝が広い庭園に響きわたる。
別荘召集一日目。
説明を聞いていた時にヴァルアスが呟いた一言が彼の耳にとまったらしい。
自分の存在を誇示するような態度と一方的な言い方にヴァルアスは我慢できなかったのだろう。
煽るようにわざと聞こえる声で言っていたのがその証拠だ。
「挑戦だなんてしてないぜ。ただ、あんたのその大げさな表現が少し目に付くって言っただけだ。
そんなんじゃ新米隊員は一歩引いちまうと思うけど」
「ヴァルアス、ちょっと」
大丈夫だ。心配するなって言うが、あまりのストレートさに心配でこっそり声をかける。
それにいらぬ火の粉はかぶって欲しくない。そう思ったをどう思ったのか、こちらを向いてニヤッと笑う。
「おまえがそんな言い方するからが震えている。いい加減にしろ」
強い視線で睨んだことで教官はようやく黙り静かになったがとしてはそれどころではない。
ヴァルアスに肩を抱かれ耳元で息を吹き込まれるように話しかけられては逃ようとしても力が抜けてしまう。
そんなをヴァルアスは満足気な顔で見つめた。だがそれが相手の癇に障ったのか今まで以上の剣幕で
こちらへと詰め寄る。
「人の言うことを聞いているのか?おまえのその態度が気に食わんのだ!
どうして総隊長に気に入られているのかわからんが、そんなふざけた態度では力の程が知れる!」
「おまえのようにまくし立てればいいってものでもないだろう?そんなんじゃせっかく力があっても出しきれない」
相手を煽るように少し首を傾ける。と同時にに回された手を腰へと移動させるとまるで相手に渡さないとでも言う様に
強く抱き締めなおした。
「、おまえを他の奴に簡単にさわらせたりはしないから安心しろ」
その大きな片手が首筋に添えられたかと思うと、甘く囁く言葉とともにためらうことなくの首筋に口付けた。
「……!」
それこそ体さえ自由ならば一気にヴァルアスから飛びずさっているに違いない。いや、それとも力が抜けてしまって
身動き一つ取れないだろうか。
でも実際は突然の出来事に混乱する頭と硬直する体を抱えヴァルアスの為すがままになっているしか他に方法が
なかった。
「もういいっ!おまえには言葉が通じんようだ。明日からの演習、今までどおりに行くと思うな!
おまえらの実力が俺の課題を達成できるのか証明してみせろ。その時は俺も態度を改めてもいいだろう!」
教官は顔色をいろいろ変えながらそんな様子を見ていたが何を言っても無駄とあきらめたのか、怒りでかすかに
震える手を抑え込むと負け惜しみのように聞こえる言葉を突き付けた。
「勝手に決めるな」
ヴァルアスがボソリと呟いた言葉は聞いていないのか徹底的に無視され、言いたいことを言えて満足したのか
高笑いとともに豪快に立ち去っていった。
「あ〜あ、これだから単純な筋肉男って扱いづらいんだよ。でも、まっいいか。と一緒にいられるもんな」
皆が来たくない意味がなんとなくわかった。
ヴァルアスってこうやってそのまま本音を言うから余計な火の粉を浴びることになるんだろう。
「男を守ったところでおもしろくもないからな。鍛える価値があっても守る面倒なんてしたくない。
俺が守りたいやつは決まっている」
「俺が守りたいのは、おまえだけだ」
不安そうな顔をしていたのに気付いたのか、ヴァルアスは真剣な表情と真摯な言葉で言い切った。
そのことを証明するように衆人注目の中、ヴァルアスはを抱いた手の力を緩めず終わりを告げる時まで
離さないでいた。
*
昨日は動悸、今日は息切れと何にせよ身体に負担のかかる日々を迎えている。
ここでの四日間が無事に終わるとは到底思えない。
大丈夫だと言い切るヴァルアスに不安を感じるが同時に傍にいてくれれば何とか乗り切れるかも
しれないと思う気持ちも沸いてくる。
だが、せめて少しの安息は欲しいと願うのは贅沢なのだろうか?
「、大丈夫だから俺に全て任せておけ」
この一言と共に本格的な訓練の幕開けが始まったのだった。
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