ヴァルアス・ヴォルフガング編
                第二十話



「ガルヴァ」

「どこへいくつもりだと聞いている」

怒りを抑えた声でガルヴァローズが問いかける。
辺りに他の者達の気配はない。いつの間に入り込んでいたのか、部屋の周辺には自分達三人以外の
存在しか感じ取れなかった。

「よくその姿で私の前に姿を見せることができたな」

ぎらぎらと憎悪に燃える瞳でガルヴァローズはヴァルアスを睨みつけてくる。
相手を縛り付けてしまいそうなほどの威力のこもった瞳からは追及を逃れる術もない。

「銀朱の月が出ている間は俺がこの姿しかとれないのは知っているだろう?
 俺はを助けるためにここに来ただけだ」

「人聞きが悪い。どうして私がこの女を攫う必要がある?
 自分の屋敷へと招待しただけが誘拐犯のように言われるとは心外だ」

「人を気絶させて勝手に知らない所に連れてきたのが誘拐じゃないですって?
 私の意志も聞かないで連れてきたのが誘拐じゃなかったらなんになるのよ!」

「私はこの屋敷に招いただけだ。連れてくる方法は全て部下に任せている。それがどんなことであろうと私には関係ない」

普通じゃなかった。何を言っても相手に通じる感じがしない。
ヴァルアスの一番身近だった存在、ガルヴァローズ。
一番身近で力になるべく存在だった彼は言葉で虐げヴァルアスの心に傷を残してきたのだ。
いくら傍にいない今となっても心は簡単に変わるものではない。
狂気の光を宿した瞳はヴァルアスの動きを止め、意志を奪い去ろうとしていた。

「私はおまえのためを思ってやったのだ。守護者の存在はおまえを破滅しかねない。
 だからこそおまえ達を離す必要がある。そうだろう?」

断定の言葉。他の意見を許さない、それはヴァルアスのためを思ってやったことだと言いきる。
それは知らない者が聞けば自分達の方が反発をしていると取られかねないだろう。

「だったら、どうして私を襲う必要があるの?今までの事件はあなたが誘導したんでしょう?
 傍から離すだけだったら何も襲うことなんてしなくたっていいのにそれってヴァルアスを苦しめるだけに
 やったことじゃない。私にはあなたがヴァルアスの破滅とこの国の破滅を導いているとしか思えないわ!」

、やめろ!」

「なんでっ!あなたを苦しめてきた相手でしょう?今だってこうして苦しめてるのに何で庇うの?
 いくら身内だからって許される範囲以上の酷いことされてきたんでしょう?!」

わからない。どうして酷い目に合わされて許してしまえるのか。
どうして抵抗する前に諦めてしまうのか。にはヴァルアスの心がわからなかった。

「私に逆らうことなどできはしない。今までだって誰がどうなろうとも抵抗もしなかったのだから。
 此度も私の言うがままになるだろう」

縛り付けられたように動かないヴァルアスの前でガルヴァローズがの手を掴み上げる。

「いたっ!」



「動くな。黙ってそこで見ていろ」

ガルヴァローズの言葉に必死に動こうとしていたヴァルアスの動きが止まる。
その間に掴まれた手に力が込められ、背後から体の動きが封じられた。

「大事にしている者が痛みに苦しむさまを見ておまえはどうなるのだろうな。
 手出しもできずに黙ってみているだけなのか、それとも破壊するべき者と化すのか。
 私はそのさまが見てみたい」

圧倒的な痛み。体を襲ったあまりの苦しさに声が漏れる。

「うっ」

!」

を呼ぶ声と同時に今まで動きを止めていた体が地を蹴った。
素早い動きと鋭い牙と爪でガルヴァローズに襲い掛かる。

「無駄だ」

難なくその攻撃をよけたガルヴァローズは次の攻撃に備えようとしているヴァルアスに向かって
静かに微笑を浮かべた。

「おまえが私に抵抗するのか。
 おもしろい。それほどまでにこの女が大切だとは。
 ならこれ以上おまえが追い詰められればもっと面白いものを見せてくれるのだろう。
 私はそれが見てみたいっ!」

「あぁっ」

の首へと移動した手に力をこめられ、締め付けられる。

「やめろっ!!」

絶叫に近い声が響きわたり、爆発的に湧き上がった黒い焔がヴァルアスの体を包み込んだ。

「黒い焔」

「うっ、けほっ」

苦しさから開放され、咳き込むの前で狂気を含んだ微笑がガルヴァローズの顔に浮かんでいた。

「ぐっ」

「ううっ」

苦しげな声と人が倒れるような大きな音が屋敷のあちこちから聞こえてくる。
ヴァルアスを包む焔がいつの間にか屋敷全体を包むように覆っていた。

「はははっ、人が次々に倒れていく。素晴らしい。こうも威力があるとは」

「どういうことなのっ」

赤い瞳を虚空にむけ、全身から熱を持たない黒い焔を噴き出し続けているヴァルアスは何も見えておらず、
意識がどこかへいってしまっているようだった。

「ヴァルアスッ」

「無駄だ。闇に意識を囚われている今は何も見えず聞こえない。
 ただ自分の苦しみを吐き出しているだけだ。全てに自分と同じ苦しみを味わわせるために」

「ヴァルアスが?」

「破壊者という意味は何も物理的なことに対してだけのことを言うわけではない。
 精神的なこと、つまり心を壊す事も破壊になる。心の弱い者なら自滅をする。些細な喧嘩があちこちで起きる。
 だが、それだけなら国などなくなりはしない。
  でも、もし人の心の闇の部分を直接攻撃するとしたら?意味のない殺戮が内乱を引き起こし、
 他国との戦争にも行き着きかねない。そして心に光が差し込むことは決してないだろう」

「そんなことをヴァルアスがするはずがないっ。だってヴァルアスは人が傷つくことを悲しんでる。
 自分が傷つくことより、もっとっ」

「本人の意思など関係ない。これは忌まわしい呪いを受けたる者の運命(さだめ)。
 すでに黒い焔がこの屋敷を取り囲んだ。その範囲が広がっていくのも時間の問題だ」

諦めるのだな、とガルヴァローズがに向かって告げる。

違うっ!ヴァルアスはそんなことを望んでなんかいない。
自分が苦しんできたからこそ、人の苦しむ姿も見たくないってきっと思ってる。
だって、私がそうだから。私の心をヴァルアスはわかってくれたから……だからっ!

「勝手なこと言わないで!ヴァルアスは闇になんてつかまったりしない!
 苦しみを他の人にぶつけ続けたりしないわっ!」

「現に今のこの状況はどうだ?
 すでにこの屋敷の中の者達は自分の感情に苦しめられていることだろうな。私以外は」

ガルヴァローズ以外?

「待って!あなた以外?この屋敷にはもう広がっているのにどうして私は無事なの?」

「不本意なことだが私は同じ一族だ。一族の者には耐性がある。傍を離れれば影響はより少ない。
 この国が覆いつくされるまでは私が闇に支配されることはないだろう。
 だがおまえはどうしてだ?影響がないのはおまえが真実の守護者という証拠になるのか?
 ヴァルアスのおまえを守りたい気持ちがそうさせないのか?
 しかし、まあそんなことは私にはどうでもいい。あいつが私の目の前から消えこの国が消え去ってしまえば、
 私には関係のないことだ」

「ヴァルアスを死に追いやってこの国を消し去って、あなたはいったい何がしたいの?
 何を望んでいると言うの?」

「私が願うのはヴァルアスの死とフィンドリアの滅亡。
 この身に流れる汚らわしい血が消え去ることが私の願いだ」

……狂ってる。自分以外のものを全て滅ぼそうとするなんて。そんなことできるはずないのに。
いくら全てが滅んだとしても自分の身に流れる血を消すことはできないのに。
すでに自分の身の中に闇があることにさえ気付いていないガルヴァローズが助かるはずはないと言うのにっ!

このままじゃ駄目だ!元に戻ることができてもヴァルアスは、ずっと苦しみに囚われてしまう。
消えない闇の種が彼の中にくすぶり続けてしまう。

「そんなの……そんなの、絶対にだめよっ!!」

掴まれていた手を振り切るように体ごとガルヴァローズにぶつかって拘束から抜けだすと、
はヴァルアスに向かって走り出した。

「ヴァルアスッ」

黒い焔ごと受け入れるようにはヴァルアスを抱きしめた。
闇の波動というべきものなのか、抱きしめた体の中がにしびれにも似た痛みを感じる。
だがその痛みが流れとなって心の中にヴァルアスの深い悲しみを伝えてきた。

止めたくても止められない自分の力。自分の中にあふれていた闇の感情。
どうにもできない自分を許せなくて自分を消してしまいたいのにどうすることもできない。

「だめっ!そんなのだめよっ!自分を消してしまうなんて、私を置いていくなんてっ!
 私を一人にしないでっ!!ヴァルアスッ!」

叫ぶと同時に体の中に暖かい光が沸いてくる。
全てを包み込む優しい光。その光が力となって全身を満たし、奔流となって溢れ出す。
は光の流れ出るまま、ヴァルアスをそっと包み込む。
その瞬間、まぶしいほどの光が部屋中に溢れ、黒い焔を打ち消したのだった。



                       *

部屋中を満たしていた黒い焔は消え、代わりにほのかな光が空気に溶け込んでいるようにみえる。
屋敷は何事もなかったかのように静けさを取り戻していた。

……」

耳元で囁く声にはゆっくり顔をあげた。
正気の光を宿らせて、こちらを優しく見つめる赤い瞳とぶつかる。

「おまえは俺の真実の月だったんだな」

「ヴァルアス?」

意味がわからず、首をかしげてヴァルアスを見る。
そんなの頬をそっと舐めると、ヴァルアスは体を寄り添わせた。

「おまえは俺の月だったんだ、
 俺の名前に俺の本質が含まれているように、おまえの名前にもおまえの真実が込められていたんだな」

「私の名前?」

「ああ」

母さんが私の名前を付けてくれたって聞いた。
でも私が生まれたのはこの国じゃない。前のことを思い出したくないのか、この国に来る前のことなんて
話してくれなかったし、私からも聞くことができなかった。
だから自分の名前に意味があるなんて今まで考えたこともなかった。

、おまえの名前。それは月、魔法、そして愛情。
 俺にとって欲しくてやまなかったものがおまえの中にあったんだ。
 銀朱月が魔の月と言われようと……おまえはその月にさえ打ち勝つことができるんだ。
 俺を救い、俺を守り、俺を愛してくれる。
 たった一人の俺だけの月。俺だけの守護者だ」

「ヴァルアス」

、ありがとう」

魔の月と忌み嫌った銀朱月。
二つの姿を持つ自分にとっていつまでも抜け出すことのできない、檻に閉じ込められた時間だった。
だけどがいてくれるから。俺と共にいてくれるから魔の月は光の月へと変わってゆく。



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