ヴァルアス・ヴォルフガング編
                第十八話



、危ないっ!」

ヴァルアスの声と同時に背中を庇う様にして地面に勢いよく押し倒された。
次の瞬間、矢を射るときに出る特有の音が耳を掠っていきそのまま近くの木へと突き刺さる。

「どこだっ!」

ヴァルアスは片膝をついてすばやく体勢を立て直すと辺りへと目をやり、耳を澄ました。

「隊長っ、あそこっ!」

点在する家の一軒、屋根の上で男が弓を構えている。

「おまえ達は他に仲間がいないか探せ。怪しいそぶりの奴を見つけたら捕獲しろっ」

「隊長は?」

「俺はあいつを追う。を頼んだぞっ!」

「ヴァルアス!」

、そこでじっとしてろよっ!」

勢いをつけて立ち上がると、の制止も無視し男のいる家へと向かって走り出した。

「でも!」

「いいからっ」

言いながらヴァルアスの足が家の壁にかかったかと思うとその体が宙へと浮ぶ。
ふわりと浮いた体は重さを感じさせないまま、静かに屋根の上へと場所を移した。

「なにっ」

「観念するんだな」

矢を射った男へ音もなく近づくとすばやく男の腕を掴みあげる。
抗うことなく構えていた弓矢はその手を放れ、屋根の上へと大きな音を立てて落ちた。

「……っ、離せっ」

「大人しくしろ。他に仲間は?」

「俺一人だ」

「本当に?だとしたらおかしいな。こんなにも武器の持つ奴の気配がしているのに?」

「なんだと」

「だからごまかすのもいいかげんにしろって言ってんだよ。俺の隊以外の奴の気配なんて
 簡単にわかるって言ってるんだ。まあ、今頃は取り押さえられてるだろうがな」

ヴァルアスは余裕たっぷりに微笑むと男を捕まえていた手とは逆の手で腹へと拳を叩き込む。

「グッ……」

「馬鹿が」

手間をかけさせるな、とばかりに舌打ちをするとヴァルアスは崩れ落ちる男の体を両手で受け止め、
その身体を軽々と肩へと担ぎあげると屋根を蹴っての前へ着地した。

「もうっ、かっこいいんだから」

?」

思わず口から出た言葉をヴァルアスが首を傾げながら尋ねてくるのに慌てて何でもないと答える。

「本当に大丈夫か?怪我はないみたいだけどどこか調子が悪いのか?
 普通に生活していればこんなことないんだ、無理もない。悪いな、俺のせいで」

「大丈夫!それに別にヴァルアスのせいじゃないでしょう!こっちこそ心配掛けてごめんね」

「そうか?それならいいけど」

まだ謝りそうなヴァルアスを制して安心させるように笑って見せる。



覗きこむように見つめ続けるヴァルアスに段々顔が赤く染まって行く。
恥ずかしそうに身を竦めたが口を開こうとした途端、しなやかでいながらもたくましい腕が
腰をさらっていった。

「ヴァルアスッ、ちょっと!皆が見てる!」

「それがどうした」

「お願い、恥ずかしいから手を放してよ!」

「この程度でいちいち恥ずかしがる奴が俺の隊にいるか」

当然の権利だとばかりに力を込めるヴァルアスにはの言葉は全然効果がない。

「隊長、確かに慣れてはいますけどね。一応報告したいんで少し我慢してもらえませんか?」

さすがにその密着度は問題がありますからね、とさり気なく視線を逸らしながら報告すべく待ってくれていた
隊員には心の中で盛大にごめんなさいを連発していた。

「おまえら気が利かなすぎ」

「すみません。でも仕事ですからね。後伸ばしにするのもどうかと思うんで」

何事もなかったかのように目の前で繰り広げられる会話にはこっそりため息をついた。
こんな調子で振り回され続けるであろう自分に再びため息をつきながらはこれからの境遇に一人涙したのだった。



                         *

日が暮れる時に発せられる鮮やかなオレンジ色が部屋の中へと注ぎこんでいる。
ようやく暑い季節が終わりへと近づく今となっても、その色のごとく部屋の温度はなかなか涼しくはなってくれない。
だが、その部屋の者達にとっては気にも留めることでなく、逆に暑いほどの空気が緊迫感を余計に煽っているようだった。

「偶然じゃないだろうな」

「当たり前だろう。いくら他の事に気を逸らせているとはいってもこうも俺達の隊が事件に巻き込まれることは
 おかしいに決まっている。しかも俺とには念入りにだ。こんな偶然あってたまるか!」

「そうやっておまえを苛立たせるのも相手の作戦の一つだろう。冷静に判断しないとうまくいくものもうまくいかなくなる」

言葉通りに冷静沈着のサーシェスにヴァルアスは声を荒げた。

「おまえはいいよなっ!おまえならこんなこと片づけるなんてあっという間なんだろう?
 それにいざとなれば俺達なんてあっさり切り捨てられる。俺達はおまえの力の前じゃあ非力で為す術もないだろうよ。
 絶対の力を持つ奴に俺が抱える苦悩なんて分かる訳ないさ!」

鋭い視線がサーシェスを射抜く。
自分の感情さえも思いっきりぶつけるような視線をサーシェスは黙って受け止めるとヴァルアスに静かに言葉を返した。

「本当にそう思うか?私が何も考えず、感じずに全てを行なっていると?」

ヴァルアスを見つめる表情は変わらない。
だが、その変わらない態度こそが逆に感情の深淵さをどこか感じさせた。

「……すまない。言い過ぎた」

「誰しも追い詰められれば自分が思っている以上の言葉が出たとしても仕方がない。
 私はただ自分の出番さえなければそれでいい。おまえのことだからわかっているとは思うが」

「ああ。もちろんわかっているさ」

自分を責めずにありのままの言葉を告げるサーシェスにヴァルアスは自分の意志を込め言葉を返した。
サーシェスの力を借りるときはヴァルアスは正常ではなくなった時だろう。
そうなれば自分の意識を自覚する間もなくさえも手にかけてしまうかもしれないだろうから。

一つの決意を胸にサーシェスへと意志を告げる。

「ガルヴァに会いに行く」

これ以上自分の精神を乱してしまえば自滅してしまいかねない。
そんな最悪の事態に陥るより、悩んでいるよりも自ら動き出した方がはるかにいい。

には黙っていくつもりか」

「不必要に心配させることもない」

これ以上心配させることはない。ただでさえ並み以上の心労を与えているのだ。
にはただ傍にいて欲しい。何にも囚われず悩まずに、俺の傍に。



                       *

「ヴァルアス遅いな」

自分の部屋から窓の外を眺め、は一人呟く。夕闇に人々の家路を急ぐ姿が目に映る。
最近の慌ただしい日常からは嘘のようにいつもと変わらない風景には意識しないながらもどこかほっとしていた。
ヴァルアスを待つ時間はどこか心が浮き立つ。満ち足りた心がそう感じさせているのかもしれない。

だが運命とは容赦がないもの。人々の想いなど省みず事態は動き始める。
引き返せないほど急速に。



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