ヴァルアス・ヴォルフガング編
                 第十七話



の視線の先でヴァルアスはいつも通りに動いている。
人一倍張り切って隊長らしく隊員に対して厳しい態度は見せているガいつもと変わらない姿だ。
明るい日差しの中、表情は真剣で訓練に余念がない。
こうしていると先日のことが嘘のように思えたが、あれは現実で実際に起こったことだった。

昼の姿と夜の姿。どちらも彼にとっては自然で本当の姿。

知った時は驚いたがそれは何の障害にもならなかった。
ヴァルアスのへの気持ちと自分の気持ちが分かりあえたからだろう。
全てがうまくいってこれから二人で一緒に歩んでいこうという所だったのに。
だがヴァルアスを狙う者にとってはそんなことは関係ない。
長い月日をかけて積み重なったものがと言う存在が現れたことで一気に溢れてきてしまった。

人の中にいてもいつも孤独が拭えなかったが初めて見つけた心からの相手だったのに
どうしてこんなことになってしまうんだろう。

お互いがお互いを求めていても離れなくてはいけないんだろうか。
どうしたらいい?どうすればいいの?
苦しい気持ちだけが心の中を駆け巡る。



                      *

「隊長、どうしますか」

「おまえは治療室へ行ってベッドの確保と薬の手配をした後自分の持ち場へ戻れ」

「俺達は?」

「おまえ達は俺達の空いた見回り分も一緒に回ってきてくれ。
 その後は各自解散。報告は急を要することがなければ明日でいい。頼んだぞ」

「了解!」

歯切れの良い声と同時に足音が散って行く。
頭の隅でボンヤリと皆の話し声が聞こえるのに目蓋が重くてどうしても開かない。
誰かが腕をそっと掴んで引き起こしてくれる。それから背中に手が回ってふわっと体が浮いた。

……誰?ヴァルアス……?

聞こうとしたのに声がでない。
太陽の光がまともに当たらないように、所々にある木陰を選んでゆっくりと運んで行かれる。
人の肌に触れることで得られる心地よい感覚に、ふわふわする頭の中が徐々に落ち着いてきて
ようやくうっすらと目が開いた。

「ん……」

「気がついたか」

目の前にはヴァルアスの顔。
だが、その表情がいつもとどこか違う。いつもなら心配過剰なくらいの言葉と表情が待っているのだが
何故か今回は勝手が違った。張り詰めた空気さえまとってどこか危うい気配が立ち込めている。

「ヴァルアス?」

そんな彼を不思議に思いその頬に手を伸ばそうとする。

!この馬鹿っ!!」

だが、そんなを無視してヴァルアスは頭ごなしに言葉を投げつけた。
目が覚めた途端のいきなりの仕打ちにぼんやりしていた頭も一気に晴れる。

「いきなり怒鳴りつけなくたっていいじゃない!」

「馬鹿なことをしたから当然だ!無茶のしすぎで怪我もしたし倒れもしたんだ。
 自分の限度も考えないで無茶するから怒鳴りもする!」

「大丈夫だって思ったの!」

「おまえの大丈夫は信用できない。
 俺のせいでは悩んでいるんだろう?そんなに無茶をするくらいに。
 何でそれを俺に言ってくれないんだ!」

「……っ」

ヴァルアスの言葉が胸に刺さる。は必死で隠そうとしていたがヴァルアスには気が付かれていた。

「サーシェスに聞いたんだろう?俺の一族のこと、俺のことを」

は黙っているしかできなかった。
何かを言おうとすればそれが再びヴァルアスを苦しめてしまうかもしれないから。

「俺が捜し求めていた守護者がおまえだったとしたら俺の力でこの国くらい簡単に
 壊すことができてしまう。それは全て俺の感情次第だ。
 そのことを聞いたおまえがどう思うか、俺だってわかっていたはずなのにな。
 全てを話すことでおまえが俺から離れていくことを。
 おまえを苦しみから守るなんて言ったのに俺はおまえがどう思ったのか怖くて震えているんだ」

まるで震えを止めるかのように自分の体を強く抱きしめるヴァルアスの顔が苦痛に歪む。
のことを考え自分がどう出るべきかも考えていた。
それなのには自分の事ばかり考えて耐えきれなくて逃げることしか思っていなかった。

「俺から離れることが一番いいなんて事はないんだ。、おまえは間違っている」

「え」

「いくらおまえが俺の傍から離れようともおまえがこの国に居る限り、俺の感情はおまえの存在に
 左右される。いくらおまえが近くに居なくても関係ない」

傍にいてもいなくてもがこの国にいる限りヴァルアスは苦しみ続けることになる?
自分が自分以外のものへと変わってしまうかもしれない時がいつくるのか怯えながら生き続ける。

は自分の体をギュッと抱きしめた。奥底から湧き出てくる震えが体を苛める。
そんなの様子を黙って見ていたヴァルアスはふと立ち止まり、を腕に抱えたまま木陰に腰を下ろした。

「ヴァルアス?」

「…………」

そのまま膝の上にを抱きかかえ、自分の肩に頭をもたせ掛けると片手であごを掴み自分の方へと向けさせる。
まともに正面から間近に見つめられて、は顔を背けようとしたが腕の力は緩まなかった。

「本当には馬鹿だ」

「なっ」

「どうして二人で方法を探そうって言ってくれないんだ?」

切なげに揺れるヴァルアスの瞳がを捕らえて離れない。

「ヴァルアス?」

「どうして俺から離れることだけが解決方法だと思うんだ?
 俺がをどれだけ好きなのか知っているだろう?
 それなのに俺がおまえを絶対に離さないだろうってことも考えつかなかったのか?」

「だって」

だって、自分が好きな相手を傷つけることがわかっていてどうして傍にいれると思うの。
好きだから、本当に好きだから傍にいられない気持ちだってある。
だって離れたくない。ずっと傍にいたい。
でも自分の存在がヴァルアスを苦しめてしまうのなら離れることも考えなくてはならない。

「俺だっておまえの気持ちはわかるさ。相手を傷つけたくないから一緒にいられないその気持ちは。
 だけど今回のことは違うだろう? 二人で解決する問題だろう?
 お互いがお互いを大切に想っているのなら」

の髪を優しく撫でながら言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「何も外見の傷だけが傷じゃない。見えない心の傷が今だってついている。
 が俺から離れて行くって言うんなら俺の傷はいつまでも癒えることはない。
 何が起こっても二人で考えて、二人で乗り越える。それが本当に大切にするってことじゃないのか?」

そう言ってヴァルアスは薄く微笑んでの瞳に瞳を合わせた。

「そう……かもしれない」

お互いを想うあまりすれ違うこともある。
自分が良いと判断したことが相手にとっては重い選択だって事も。
はヴァルアスを好きだと言いながらも、自分が楽になる方法を、逃げることをしようとしていたのだ。

「ごめん…な…さ…っ…」

が必死で告げようとした謝罪の言葉が、全てを言い切る前にいつの間にか寄せられたヴァルアスの
口の中へと消えていく。の両頬を包むように添えられたヴァルアスの手の平が拒むことを許さない程度の
力で固定され、その唇はの唇へと重なって離れようとしなかった。

時間が経つほどに甘く激しくなる口付け。
その激しさに酔わされ、頭の中で考えていたことなどどこか遠くへと消え去っていく。
自分の怪我のことなど忘れるほどに激しく甘い時間に自分の身体中に感じる甘美なほどの余韻に
いつまでも浸っていたかった。



                      *

銀朱月の輝く夜  血の色のごとく闇のごとく  深く暗き狂気の夜

その光を背にしてガルヴァローズは誰ともなく問いかける。

「呪われた血を継ぐ者の苦しみがわかるか」

ガルヴァローズの顔がその言葉通りに苦しみに歪む。
彼ほどの者までも血の重さに耐え切れず、その心情を吐き出してしまう。

「呪いをかぶる者よりも呪いを待つ者の苦しみの方がより大きい。
 迫りくるものを待つ身のほうが辛く耐え切れない」

虚空を見つめるその先には黒き毛皮をまとうヴァルアスの姿、
ガルヴァローズの言う呪われた醜い姿がある。

「全てを消し去れば逃れられる。呪いは解ける。
 これはあってはならないもの。この世に反するものはあってはならないものだ」

それならばそれを排除しなければならない。

「私が私で居続けるためにもこれは排除しなければ。闇のものは闇へと帰るもの。
 もうすぐ私の苦しみは終わるのだ。やっと開放される。あの娘、に感謝せねば」

月光が指し込む部屋の中で静かに笑うガルヴァローズの姿はどこか狂気に取りつかれていた。

今、銀朱の、魔の月の刻が開ける。



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