ヴァルアス・ヴォルフガング編
第十六話
白は希望と輝きを
黄は平穏と安らぎを
朱は破滅と混乱を
終わりのない日々 月は幾度も巡り繰り返す
縛られたる者の運命(さだめ) 呪縛と言う名の絶望
だが光と闇が対のように呪縛と解放も対なるもの
それが現実と知るのは導くもの次第である
*
第二国事官吏室。そこはいつも緊張感が漂う城の官吏室の中でも、痛い程の空気がたちこめる場所として
官吏達の間で有名な場所だ。もちろん裏で行き交う噂ではあるが、その原因はそこの責任者である人物による
所が大きい。
知っているのか、はたまた知らぬ振りをしているだけなのか、当事者である本人には全く気にもかけぬ
程度のことであるらしい。
サーシェスは訪れた達を何の感情も浮きだたせない顔で見ると今まで見ていた書類へとすぐに目を移してしまった。
「で、今日はいったい何の用なんだ?」
そんなサーシェスの態度を気にも止めず、ヴァルアスは用があるならさっさとしろとばかりに先を促している。
ヴァルアスは慣れているせいかそんな態度を気にも留めていないようだがにはその様子がどうにも気にかかって
仕方がない。そんなに気付いているはずなのに、サーシェスは特別慌てることもなく最後まで書類に目を通すと
ようやく机の上に置いてこちらへと向き直った。
「ヴァルアス、おまえは自分の身に何が起きようとしているかわかっているな?」
何の前置きもなくサーシェスがヴァルアスへと問いかける。
「なんだよ今更」
少したじろいだようにヴァルアスは答えをつまらせる。
どうやらサーシェスは既に昨日の身に起きたことを把握しているらしい。
ヴァルアスを見る眼は鋭く真剣で言い逃れを許さない追及に近いものだった。
「おまえはこの女を、を守護者として確信できたのか」
ヴァルアスはその言葉に眉を潜ませながら俯くと訥々と話し出した。
「確かなる確証がどんなものなのかは俺自身はっきりとは言えない。そもそも定義があるわけじゃないからな。
しかも参考物件なんて身近にはないし。でもそんなものがあろうがなかろうがこれだけは自信をもって言える」
開いた窓から流れこむ風がヴァルアスの髪を柔らかく揺らし、瞳までも優しく甘やかなものに変えた。
険しかった表情も一瞬で微笑みと愛しみを称えた表情へと移り行く。
「俺にとって守護者の存在は大事なものだ。簡単な言葉では言い表せない、待ち続けてやまないものだった。
確かに守護者がいるだけで精神的にも俺は楽になると思う。
だけどそれを上回る程の大切な存在を見つけたのだとしたら俺は迷わずそちらを選ぶ。
俺にとってはかけがえのない存在となるもの、それがなんだ。
だからたとえが守護者でなかったとしても俺には関係ない」
「ヴァルアス」
にはヴァルアスの言う守護者というものが何かはわからない。
わからないがそれがヴァルアスにとってどれだけ大切だったのか、どれほど心の支えになっていたのかは
わかるような気がする。それがきっとヴァルアスがまだ話せないといった自分自身に関してのことだと言うことも。
「俺が決めて俺が傍にいて欲しいと強く願った。二度と放したくないと思った初めての存在なんだ。
だからいくらおまえでものことで文句は言わせない!」
振り向いたヴァルアスの強い視線がサーシェスを射抜く。決意と覚悟を決めた瞳が。
「何を言っても無駄なようだな」
最初からわかっていたのかサーシェスは軽くため息をつくとヴァルアスに視線を返した。
「なら、どんなことが起ころうとおまえは覚悟ができているのか」
「ああ」
「私がおまえを手にかけることになったとしても?」
「そんなことになるつもりはないっ!」
サーシェスを睨んだ瞳を逸らさず、投げかけられた言葉を断ち切るように叫び返す。
だが、そんなヴァルアスをサーシェスは冷たく見つめただけで淡々と言葉を紡ぎ続けた。
「いくらおまえが願ったとしても現実にならないとは限らない」
「絶対に止めてみせるっ!」
「私もそうであって欲しい。私自ら部下を手にかけたくはないからな」
「勝手なことばかり言いやがって」
二人の間で交わされた話はにはわからないことだったが、傍にいることでヴァルアスの身に
危険が生じるかもしれないことだけはなんとなくわかった。
「おまえが自分で責任を持てるようならそれでいい。
この話はここで終わりだ。ああ、そういえばおまえの上司が探していたぞ」
「なんで先に言わないんだよっ!」
「おまえに落ち着いて話したいと思ったんだ。いいからさっさと行って来い」
「ったく。わかった、おまえの用はもういいんだな」
「一応、な」
「ああそうかっ!んじゃあなっ」
の腕を掴み、さっさと部屋から出ようとしたヴァルアスに後ろからサーシェスの声がかかる。
「待て、はここにおいていけ」
緊迫した空気が解け、自分へと向いた矛先と唐突に訪れた事態と二人きりということに思い切り緊張する。
そんなの様子を把握していたのか、ヴァルアスがの気持ちを代弁するように言い放った。
「冗談だろう?おまえとを二人きりにしておいたら疲れちまうだろうが!」
「私と対峙することが疲れると言うのならそれはまだ精神の修行が足りないのだろう。
まあ、個人の感情など私にとってはささいなことにすぎないが」
「おまえは誰に対してもに変わらないよな!今更とわかってても腹が立つぜ。
急いで行ってくるのが一番の得策なんて。くそっ!いいか、俺が戻ってくるまでに変な事するなよ!」
叩きつけるような言葉を放つとヴァルアスは部屋を飛び出していった。
大きく扉の閉まる音が響いた後、ヴァルアスが出て行った部屋に一瞬の沈黙が立ち込める。
どうにも居心地の悪い雰囲気にが心の中でため息をついているとサーシェスは肩をすくめて苦笑した。
「さて、ようやく邪魔者は消えた」
扉から私へと視線を移すとサーシェスがゆっくりと近づいてくる。
以前にもどこかに感じていた威圧的なものがよりいっそう高まり、圧迫するように感じられた。
「……なにか?」
押されまいと懸命に対抗するが成功しているとは思えないの態度には関心はないようで、
そんなを気にも留めずサーシェスは自分の思うとおりに言葉を続けた。
「、おまえはあいつの本来の姿を知ったと聞いた」
確認する言葉には黙って頷く。そんなをサーシェスはしばらく見詰めた後、顔を逸らすと小さくため息をついた。
「あいつが恐いとは思わないのか?離れるつもりもないと」
サーシェスには珍しくを労わる感じのこもった言葉に驚きながらも自分の思っていることが伝わるよう
言葉を選びながらゆっくりと口にする。
「ヴァルアスは私を助けてくれた。私が一人きりの時に必ず助けてくれました。
恐くなかったのかと言われれば嘘になるし、本当の姿を知った今となっても現実なのかどうか、
どこか信じ切れていない所もあると思います。
でも、私は自分の前で起こったことを否定しようとは思いません。そして自分が好きだと思う人を拒絶する
ことなんてとてもできない。
いくら自分の前に立ちふさがる壁があろうと、あなたが私達を離そうとしたとしても自分から離れることは私には無理です」
「どんなことが起こってもか」
「はい」
「立派な心掛けだが、何も私は自分の感情からおまえ達を離そうとしているわけではない。
おまえ達が二人でいることが危険だから反対をしているんだ」
「危険?」
「話を聞く気はあるか」
「あります」
サーシェスが言う危険が何のことかはわからない。
話を聞くことでより危険な状態になってしまうこともあるかも。
だけど全てを怖れて現実を否定するよりたとえ危険があったとしても前に進むこと、立ち向かうことを選びたい。
今まで自分の手で幸せを掴みとってきたように。たとえこの先、未来が見えないのだとしても。
*
廊下を忙しく行き交う人々の足音とは裏腹にこの第二国事官吏室では噂通りの緊張感が
部屋の中に立ち込めていた。
緊迫感なしではいられない会話へと発展するであろうと、体全体でひしひしと感じている。
部屋の空気を全く気にせずに話の口火を切ったのはこの部屋の主からだった。
「まずはこのフィンドリアのことからだ。、おまえはこの国についてどれくらい知っている?」
「この国のこと、ですか?」
フィンドリアの事って言われてもにはあたり前のことしか答えることができない。
母はこの国に来てからも外にあまり出なかったし、父にしても母を気遣ってか
自分達家族以外のことなんて語ろうとはしなかったから。
「ああそうか。そういえばおまえの母親は他の国から来たのだったな」
「母も父も私には多く語りませんでした。私が知っているのはこの国が険しい地に囲まれていること、
そのために他の国からの侵略や影響などがなかったこと。そのくらいのことしか知りません」
「国としてフィンドリアを取り上げればそれが一番わかりやすいだろうな。
他国からの影響が少ないために独自のものを築いてきたのが最大の特徴だ。
ヴォルフガング家はこのフィンドリア創立から国を支えた旧家だ。外から見ただけでは図りきれないことも
たくさんある。しかもこの国ができる前からこの地にあった一族だから尚更だ」
「ヴァルアスの家が?」
「ああ。他にも数は多くはないがそういった一族がいくつかある。
私が束ねるこの第二に所属する者達は皆そうだ」
「全員?」
じゃあ、全ての人に会った事はないし話もあまり聞かないけどまさか他の人達も?
「おまえが何を考えているかは想像はつくが余計な詮索はなしだ。
今は自分達のことだけ考えていればいい。余分な情報をいれるとろくなことにならないからな。
そんなことより話を戻すからしっかり聞いていろ」
その言い方が少し気に障ったを気にすることなくサーシェスの口からヴォルフガング家に古くから伝わる
詩の一部が朗々と語りだされた。
「山に住み森に住み大地に生きるもの 月に支配されし誇り高く孤独なるもの
永の月日を重ねしものが故郷たる大地を捨て 別のかたちへと姿を変えし」
「それは」
「これはほんの一部だ。語り継がれている言葉には本当のことが含まれている場合が多い。
まあ真実かどうかわからないがヴォルフガング家の先祖は人ではなく、狼だったとも言われている。
長く生きた狼が何の加護があってか人となり、人間の世界で生きるようになったと」
「本当なんですか?それにそれだと一族全部が?」
「かなり昔のことだからな。ヴァルアスもその辺は知らないし、城の文献からは詳しいことはわからなかった。
しかも今とは状況が違う」
「状況って昔と現在の?」
「ヴォルフガング家で現在もう一つの姿を持つものはヴァルアスだけだ。
ここ数百年では狼の姿になるものはいなかったらしい。
そのせいなのか他の者からは汚らわしい、呪われた存在と言われている」
「どうしてっ?そんなのヴァルアスのせいじゃないじゃない!
それに家族なのに、同じ血が流れているのにっっ!」
「だからだろうな。自分達の中に人間とは違う獣の血が流れているということを
思い知らされてしまうのだろう。
自分の身近に別の姿を持つ存在がいる。今は大丈夫でもいつか自分も同じ立場にならないとは限らない。
良いと思えることもなく、負の方向へと気持ちが進むばかりだ。
その結果、感情が高まり過ぎてヴァルアスへの嫌悪感へと変わってしまう」
わからないでもない、とサーシェスが呟いた。
身近な人の中に人間とは違うものがいる。もし自分が同じ立場だったら確かに恐怖で行動にでるまでには
行かなくても、ぎこちない態度を取ってしまうこともないとはいえない。
理性だけでは感情を止めることはできず本能からの心を止めることは難しい。
「でも、だからといってヴァルアスに対しての態度がいいとは思えません!」
「確かに褒められたものではない。だが、彼らにも私にもヴァルアスに強く出る理由がある。
さっき言っていただろう?守護者と」
「私がその守護者かもしれないと」
そういえば初めてここに来ていた時も言っていた気がする。守護者として感応した、と。
「ああ。可能性があるということだろうな。だがそれは本人にしかわからないものらしい。
自分の傍にいてくれる救いの存在であるもの、それが守護者だ」
「救いの存在なんでしょう?それなのに一緒にいてはいけないんですか?!」
「言ったはずだぞ。本人にとって、と。
確かにヴァルアスにとっては自分の傍にいてくれて、自分を理解してくれる存在だと言えるだろう。
だが、それはあくまで正常な状態で在る時だけだ。しかしもしそうじゃなかったら?」
「でもヴァルアスは自分で自分に戒めをかけているように見えます。正気を失うことがあるって言うんですか?
私にはヴァルアスがそんなことになるとは思えません!」
「そういきり立つな。普段は私だって心配はしていない。
一応あれでも隊長職についている者だからな。自分を律することはわかっている。
だが自分で制御できない状態の時だってないとはいえない。
しかも今は銀朱月の時。 今までは守護者の存在がないからこそ、自分である程度コントロールできていた。
それがもしおまえに何かあったら?おまえに危害を加えようとする者が現れたら?」
サーシェスの言葉に息を呑む。
ヴァルアスを狙うガルヴァローズ。その矛先が今自分に向けられようとしている。
「ヴァルアスは自分を止めることができない……?」
「そうだ。この銀朱月の刻、魔の月の刻におまえの身に何かあったら?
あいつがあいつ自身でいられるかどうか私にも保障はできない。
守護者が破壊者として変わってしまうかもしれない危険性を私は自分の責務からも
放っておくわけにはいかない」
ヴァルアスがヴァルアス自身でいられないかもしれない。
がヴァルアスを破壊行為に走るだけの存在へと変えてしまう可能性もあるのだ。
サーシェスの言葉が胸に響く。
自分がヴァルアスを壊してしまうかもしれない可能性の存在だということを。
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