ヴァルアス・ヴォルフガング編
                 第十四話



「どうして……」

が呟いたのと男が動いたのは同時だった。
男はまるで突き飛ばすように掴んでいたの腕を振り払うと腰の剣を抜きながら前へと
向かって走っていった。
仲間をやられた怒りからか、男の顔には今までにない切羽詰った表情が浮かんでいる。
だが怒りのまま地面に叩きつけられるように剣が振り下ろされた時には新たなる登場者の姿は
その場から消えていた。

「なにっ!」

「ガゥァッ!」

咆哮と共に黒い影が空から降ってきた。鋭い牙が男へと襲い掛かる。
一瞬の戸惑いからさめた男の攻撃から身をかわしながら、確実に急所への攻撃を仕掛けていく。
は壁に預けていた背中をゆっくりと引き離すと、半ば呆然としてその光景を見守っていた。

「きれい」

そんな場合ではないのに引き込まれるように目が離せなくなる。
いつもの自分ならこんな戦いの場面など、しかも一方的な戦いなど見たいとは思わないのに、今この時だけは
魅入られたように見入ってしまった。
ほのかに差し込む月明かりに黒い身体がつややかに輝き、赤い瞳は怒りによりいっそう深みを放っている。
に危害を加えようとしたものに対しての怒り。この美しい獣はを守ってくれている。
自分が危険な目にあったことより恐い思いをしたことよりその事実だけがの心をいっぱいに占めていたのだった。



                          *

「ありがとう。おまえは大丈夫だった?」

決着がつき、ゆっくりとに近づいてきた獣に向かって話しかけた。
戦いの余韻からかその瞳は爛々と輝いている。
もし、今初めて出会ったのなら逃げようと必死になっていたかもしれない。
敵に対しては容赦なく襲い掛かかってもを傷つけることはないとわかっているから安心していられた。
目の高さを合わせるように膝をついてしゃがみこむの頬が優しく舐められる。

「ふふっ、くすぐったい」

慰めてくれてるってのはわかるがくすぐったくて堪らない。
それになんかこの感じってヴァルアスが接してくる時に似た雰囲気で余計に気持ちが解れたが
肝心のヴァルアスの姿が見えないことに慌てて声を上げた。

「ヴァルアス、ヴァルアスは?!」

記憶が戦いが始まる前へと遡る。
あれは確かにヴァルアスの声だった。自分を追いかけてきてくれたあの声は聞き間違いではない。
それなのに姿がどこにもないのはどうしてだろう。

「ヴァルアス!どこにいるの?私は大丈夫よ。いるのよね?お願いだから姿を見せて!」

「心配するなよ、

見えない姿に早く確かめないと、とあたふたと立ち上がると通りに向かって走り出そうとしたの耳に
どこからかヴァルアスの声が聞こえてきたのだった。



                        *

「ヴァルアスッ?!」

声は確かに聞こえるのに姿がどこにも見当たらない。おかしいと思いながらもヴァルアスの姿を捜すために
足を前へと進めた。

待てよ。俺はここにいるぜ」

どこかからかうような声に心配から沸々と怒りが沸いてくる。

「いるってどこにもいないじゃない!からかってないで出てきたら!」

「だからふざけてないし、嘘も言ってないって。俺はさっきからここにいる」

彼の言うことに嘘はないのかもしれない。実際、本当に近くから声が聞こえてくるのだから。

でもそれじゃあいったいどこから?まさか?

心の隅に浮かんできた予想には半信半疑ながらも視線を下に向けた。
信じられないし認められない現実だが実際声がするべき方向に該当するものはそれしかいない。
服を引く感触はの予想を正解へと導く橋渡しになるだろう。

「ほらね」

そう言いながらどこかニヤリと笑った顔を向けたのはを守ってくれた黒い獣だった。

「ヴァルアス……?」

「正解、ようやくわかったか」

その楽しげな表情は姿こそ違えどヴァルアスのものでしかなく何より瞳に輝く光は他の何にも変えられるものではなかった。

「おいっ、しっかりしろ!、こんな所で気絶するな!」

その事実を頭が理解するや否や、張り詰めていた意識が一瞬にして切れ、深い闇へと遠のいていったのだった。



                                 *

目覚めた時、はいつもの見慣れた部屋へと戻っていた。
未だぼんやりする頭を抱え、ベッドからゆっくりと身を起こす。
現実なのにどこか非現実な事実に打ちのめされたのか、時間の経過が分からない程、頭は混乱していた。

「私、どうしたんだっけ?えーと、男達が襲ってきたから必死で逃げたけど捕まってそれからヴァルアスの声が聞こえたんだけど
 助けに来たのはヴァルアスじゃなくって」

自分でも往生際が悪いと思う。でもやっぱり現実として受け入れるには心の整理が必要で。

「俺が助けたんだよ」

ヴァルアスの声が聞こえた時、思わずヴァルアスに向かって枕を投げつけてしまったのも仕方がないだろう。

「よお。、起きて大丈夫なのか」

足音もなく、いつの間にか部屋に入ってきたヴァルアスには口を開きかけたが、ハタと警戒するように
動きを止めた。そんなの前でヴァルアスはいたずらを企むような顔をしてニヤッと笑うと覗き込んできた。

「まさか忘れたなんて言わないよな?それとも夢だと思っていたか?
 俺が駆けつけたのはちゃんと現実で恐がっていたおまえを慰めたのも本当のことなんだぜ。……こんな風に」

ふいにヴァルアスの顔が近づいてくるとの頬に口付けを落としながら最後にペロッと舌を這わせた。

「ヴァッ、ヴァッ、ヴァルアスーッ!!」

顔を真っ赤に染めて恥ずかしさのあまり悲鳴のような声をあげてしまう。
その感触にあれは見間違いでも夢でもなく、現実であることが思い出された。

でも待って。それじゃあ、幻影の森で会ったのもヴァルアスってことだよね?

過去の助けてもらった出来事を思い出す。
何回も頬を舐められ、毛並みに顔を埋めた気持ちよさ、そして自分が思い切り抱きしめていたことを。
恥ずかしさのあまり頭を抱えて蹲るにヴァルアスがポツリと呟いた。

は俺のこと恐がらないんだな」

の反応をどこか怯えてた様子で見守るヴァルアスにはちゃんと答えられるように深く息を吸い、
心を落ち着かせた。

「混乱しすぎて頭が麻痺している状態っていうのはあるけど恐くはないかな。
 前の時も今も助けられてもらったしね。ううん、それじゃあ正確じゃないか。
 確かに恐いって気持ちもあるわ。でもあれはヴァルアスなのだし何よりちゃんと信じるって決めたから。
 私を守ってくれるって言ってくれたこと、信じているからたとえそれがどんな姿だとしても」



の名前を呟くとヴァルアスはクルリと後ろを向いた。片手を上げ目の辺りを押さえている。

「ヴァルアス?」
問いかけに答えないままのヴァルアスにそっと声をかけると彼は息を一つ付きゆっくりとこちらに向き直った。

、知ってるか」

ヴァルアスが真剣な表情でを見つめる。

「……?」

「俺のもう一つの姿は狼なんだ。それはわかるか?」

ヴァルアスの問いかけにコクンと頷くと先を促す。

「狼っていうのはな、群れをつくって集団で暮らしている。
 仲間がいつも一緒にいて寂しくないように見えるが本当は突っ張っていて格好をつけているだけで
 すごく孤独な生き物なんだ。
 でも感情は豊かで愛情は特に深い。生涯の伴侶は一人だけで徹底的に愛し抜き、危険なものからは自分の命を
 かけてでも守り抜く。一度決めたことを翻すことはないんだ」

「素敵ね」

「俺は人間ではあるけれど同時に狼の姿も持っている。俺の本質は人間より狼の性質を依り受け継いでいると思う。
 そんな俺がおまえに初めて会った時運命とも思えるものを感じたんだ。俺の気持ちもその運命ともいえるものに
 寄り添っていると思う。この気持ちはどんなことがあっても覆されることはないだろう。
 おまえは俺が愛し抜く一人だけの相手だ。命を懸けて連れ添える相手、それが、おまえなんだ」

「ヴァルアス」

「誰が邪魔をしようと、何が起ころうと俺はおまえを選んだ。俺の半身に」 

その言葉と同時に強く抱き寄せられると次の瞬間には貪りつくすような激しいキスがへと降ってきた。

誓いの言葉と共に与えられた神聖な口づけ。

言葉の渦と苦しくて堪らないほどの激しい感情にはクラクラしながら自分の中に沸いてきた愛しい気持ちで
身体中を満たされたのだった。



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