ヴァルアス・ヴォルフガング編
第十三話
はこれまで以上に追い詰められていた。
後は帰るだけだから楽勝だなんてやっぱり甘かったのだ。
こんなことならちゃんとヴァルアスの言うことを聞いておけばよかった。
でももう遅い。逃げ場はなく状況を打開しようにもパニックに陥った頭の中はいい案など思い浮かぶはずもない。
どうしてこんなことになって誰が悪いんだろうなんて責任転嫁のことばかり頭の中でグルグル回ってる。
後ろに下がろうにも背中には壁が当たるばかりで前方からくる複数の足音にはただなすすべもなく、
その根源を作ったサーシェスへの恨み言だけを呟き続けるのだった。
*
その日、訓練を終え帰路へとつこうとしていた達の前に城からの使者が予告もなく現れた。
いつもなら先触れが何かかしらあるのにこうも唐突なことは珍しい。
しかも相手はあのサーシェスだ。
何事に対してもきちんと順序だって行動を起こす彼が急に呼び出すなんて余程のことなのだろうか。
その使者が言うにはヴァルアスだけに一緒に来て欲しいとのことだった。
「冗談じゃない!もう日も暮れてるのに今から?しかも俺一人だけだって?
を一人きりにするなんてそんな危険なことできるもんか!」
使者に向かってそれこそ胸倉を掴む勢いで食って掛かっている。
はそんなヴァルアスの言葉を聞きながら視線を通りへと移した。
淡黄月が銀朱月へと移り変わる少し赤みを帯びた光が辺りを煌々と照らしている。
夜へと時は移っていたが明かりがなくとも十分に歩いて帰れそうだった。
「ヴァルアス、私なら大丈夫だから。こんなに明るいし。
ゆっくり歩いて行くからサーシェスの用事をさっさと終わらせて追いついてきてよ」
はヴァルアスを安心させるようにニコッと微笑みながら言った。
だがそんなを見てもヴァルアスは安心できなかったらしく、なかなか引きさがろうとはしなかった。
「でも帰り道には人がほとんどいないからいくら明るくても安心できない。
俺と一緒に来て別の部屋で待っていればいい。そうすれば危なくないし一緒に帰れる」
「でもどれくらいかかるかわからないでしょう?広い通りを通っていくから大丈夫よ。
今までだって一人で帰ることはあったんだし何もなかったんだから、ね?
それより遅れるとまた言われるわよ」
まだ心配そうにヴァルアスは眉をひそめてこちらを見ていたが、再度促すに諦めたように息をつくと苦笑した。
「わかった。本当なら一人で帰したくないけど、さっさと用件済ませて追いつくから気をつけろよ。
おい、サーシェスは官吏室だな?先に行く。お前は後から来い!」
に声をかけ、使者に怒鳴りつけるように言うとヴァルアスは後ろも見ずにあっという間に走り去った。
その後をオタオタと追いかける使者を見送るともゆっくりと歩き出す。
通りには人の気配もなく静かだ。空は深く星はまたたき月の光が街を浮かび上がらせている。
散歩しながら帰るには気持ちのいい夜だ。
そんなのんびりとした気分で歩き始めたの時間は長く続かなかった。
それからしばらくしてどこからか集まってきた複数の不審な足音からは逃れることになったのである。
*
「手間をかけさせてくれたな」
男達が路地へと追い詰められたにゆっくり近づいてくる。
光が差し込まないため表情は見えなかったが、男の声は暗く殺気に満ちたものだった。
「誰の命令なの?」
は声が震えないよう、精一杯自分に近づいてくる男を睨みつけた。
リーダー格らしい男はを取り押さえようと前へと進みだした男達を片手で制すると目の前まで来て
その視線を受け止める。自分に危害を加えることなどできるはずもないだろうという態度には恐さも忘れる程の
怒りに見舞われ、男に向かって言葉をぶつけた。
「あなた達のその雰囲気……それって軍独特のものよね。しかも自分を一切出さない冷たい気配は知っている。
私を捕らえて来いって命令をだしたのはガルヴァローズなの?そんなに……ヴァルアスを苦しめたいの?!」
「誰の命令でもおまえには関係ないことだ。私はただ命令に従うだけ。おまえを捕えればいいだけだ。
その後おまえがどうなろうが私には知る必要はない」
淡々と表情を変えず目的のことだけを話す男からは何も聞き出すことができそうになかった。
だが、その態度から自分の想像は間違っていないだろうと核心をする。
自分がヴァルアスの下に就いていることは公にされていることではない。
それこそ自分の父親、第二国事官吏室に所属している者、そして警備隊でもごく一部にしか知られていない。
第二国事官吏室は特別な部署らしく、そこに関わるものは最小限に抑えられているからだ。
が第二国事官吏室に所属し警備隊に配属されていることを知っている者で捕らえようとする意思のある者など
ほぼ一人に限定されても当然だった。
悔しい。自分がヴァルアスの足手まといになることが、こんなに非力なことが、好きな人の弱みになることが。
守ると言ってくれた人の言葉を裏切るようなことをしてしまった自分が悔しくて堪らない。
容赦なく迫りくる手を逃れる術もなく、ただ目をつぶることしかできない自分が情けなかった。
どうすることもできないまま、立ちすくむの右腕が掴まれ男の方に勢いよく引っ張られたその時
の耳にその声は強く響いてきたのだった。
*
「!!」
遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる。
男はチッと舌打ちをすると後ろにいた男達に通りに行くよう指示を出す。
いくら相手が手練であろうと数に勝る自分たちに負けはないと高をくくっていた男の表情が時間がたつにつれ、
厳しいものへと変わっていく。はヴァルアスを心配しながらも、男の様子を不審に思い物音へと耳を澄ました。
「うわぁ!」
「やめろっ、こっちにくるなっ」
男達の悲鳴が響き渡る。それなのにヴァルアスの声は一向に聞こえてこない。
いったいどうなっているの?それになにかいる?
心配でやきもきしているの前で男はすぐにでも動けるように体勢を整える。
通りが静かになったと思うと路地の入り口に置いてあった木箱にぶつかる様に何かが勢いをつけて滑り込んできた。
「え……」
は信じられない思いで目を瞠る。
月明かりに照らされて浮かび上がる黒い影。
その影はヴァルアスではなく、もちろん男の仲間でもなく、見間違いでなければそれは幻影の森で会った黒い獣だった。
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