ヴァルアス・ヴォルフガング編
第十二話
静寂がその場を支配していた。
目に見えない圧倒的な威圧感。
空間を制圧することが許された者は感情さえも支配する。
「恥ずべきことだが事実は変えようがない」
誰もが動くことのできなかった空間でその声は余計に響きわたった。
注目を集めることに慣れきっているガルヴァローズにとってはたかが数十人の視線を浴びることなど
たいしたことではないだろう。冷たい視線をヴァルアスに流すと何事もなかったように踵を返した。
「待って!」
の声にガルヴァローズが少しうっとおしそうに振り返った。
「なんだ」
「今の言葉はなんですか?」
恥ずべきこと?それってヴァルアスが兄弟だってことが恥ずかしいってことなの?
家族なのに、血が繋がってるのにそれが恥ずかしい?
「!やめろっ!」
思わず噴き出してきた怒りの勢いで足を踏み出そうとしたをヴァルアスが抱きしめた手に力を込めて
必死の形相で食い止める。
「俺なら平気だ」
「でもっ!」
「本当に大丈夫だから」
懇願するような声にハッとした。
自分だけじゃない。この場には皆がいる。それなのに酷い言葉を言われたことを我慢するなんて。
言葉の痛みで辛くて痛いだろうに皆に何かがあってはいけないとヴァルアスは平静でいようとしているんだ。
「何か不服があるのか?いつも言われていることだ。今更だろう?
我がヴォルフガング家の呪われたおぞましい存在だ、おまえは」
蔑む視線と吐き捨てるように言い放つガルヴァローズの言葉にはギュッと唇を噛み締める。
そうでないとあまりの怒りでヴァルアスを振り払ってでもガルヴァローズの顔を叩きにいってしまいそうだった。
だが当のヴァルアスがそのことに耐えているのにがその気持ちをぶち壊すためにはいかない。
「何も言えないか?まあいいだろう。私の目的が果たせた以上ここに長居するつもりはない。
こちらを煩わす真似さえしなければ、おまえがこれからどうなろうが私の知ったことではないからな。
おまえの願いを適えるなり好きにすればいい」
上に立ったことしかない者の自分勝手な言い分。
ガルヴァローズは知っているのだろうか。自分の言葉の意味を。
自分が投げつけた言葉がどれほどの傷をつくっているのかを。
ヴァルアスがどれほどの痛みに耐えているのかを彼は知っているのだろうか。
*
「……さて、そろそろ時間だ。各自持ち場に戻ってくれ」
ガルヴァローズが立ち去った後もまだ胸の中に抱きしめていたをそっと解放すると、ヴァルアスはこちらへと微笑みかけた。
だがいつもと違いどこか弱々しい。放っておくとどこかに消えてしまいそうなヴァルアスには似合わない儚げな笑顔で彼が
どれだけ無理をしていたのがわかる。そんな彼の姿には心の奥底がズキズキ痛むのを感じた。
「、行こう」
何も言えず立ち尽くすの手を暖かく大きな手が包む。その暖かさになんだか泣きたくなった。
けれど、こんな時でさえ自分だけが気遣いには心配させない。
想ってくれる気持ちは嬉しいのに同時に悔しい気持ちも込み上げて来てしまう。
「すまない、変な場面に立ち合わせてしまって。おまえに不快な思いをさせたくなかったのに
結局阻止することができなかった。力不足で無様だな」
「なんで」
「え?」
「なんでそんな言い方するの?傷ついているのはヴァルアスなのに自分ばかり責めて人のことばかり心配して!優しすぎるよ」
の言葉にヴァルアスは黙って俯いてしまった。その彼らしくない様子には思わず彼に繋がれていた手をグッと引っ張った。
「?!」
軽い音を立てて辿り着いたの腕の中でヴァルアスが慌てた声を出す。
はそんな彼を無視して肩口にある彼の頭に手を伸ばし、心に届くように語りかけた。
「無理しないで。自分が苦しい時くらい私に甘えてよ。いつものヴァルアスらしくないじゃない。
嬉しい時や楽しい時には笑って、自分の思うようにいかなかった時には悔しがって、
そんな姿を見るのが私は好きなのに。でもお願いだから泣きたい時は泣いてよ。
私の前では隠さないで。ありのままの姿を見たいし嫌いになんてならないから」
肩口にある彼の柔らかい髪をそっと撫でる。
少しでも彼の心の重みが取れるように、心の痛みが取れるように優しい気持ちを満たすつもりで撫で続けた。
ヴァルアスの事情がなんなのかはわからない。
簡単に言えることではないと思う。だけど一人で苦しむことはとても辛い。
今すぐでなくてもいい。でもいつか立ち入ることを許してくれるのなら一緒に
苦しい気持ちを分かち合いたい。一人で苦しんで欲しくなんかない。
それは愛情ばかりではなくて自分と重ねている所もあるのかもしれないけれど
この気持ちに嘘はないって言えるからいつかきっと。
ヴァルアスの存在を確かめるように背に回した手にギュッと力が入る。
「」
目をつぶり、されるままになっていたヴァルアスは少し苦しげに深く息を吸うと、顔を上げに視線を合わせた。
「、ありがとう。それとごめん。
俺は何もできなかったばかりか、おまえの気持ちを本当の意味でわかっていなかったんだな。
おまえには気付かされてばかりだ」
自嘲気味に軽く笑う。だがその表情には先程の壊れそうな感じは消え去っていた。
代わりにに真摯な瞳がを捕らえる。緊張に溢れたものでもなく優しい瞳で。
「、やっぱり俺にはおまえがついていないと駄目なんだな」
熱っぽい吐息のような囁きがの耳元を掠めたと思うと軽く体を押しやり、今度は自分から両腕を伸ばして
を引き寄せるとその胸の中に息も止まるほど抱きしめたのだった。
「これ以上惹かれては駄目だと思う気持ちもあるのに止めることはできないんだ。
今、無理におまえを離したとしてもこんなんじゃいずれおまえを巻き込んでしまうんだろうな」
ヴァルアスは一端そこで言葉を切ると決意をこめた視線でを見つめた。
「もう躊躇することは止めた。、おまえを俺のものにする」
真剣で強く揺ぎ無い言葉。ヴァルアスの並々ならぬ決意にの体に震えが走った。
「時は満ち、動き始めた。俺が関わらなくともおまえは運命から逃れることはできなさそうだ。
いや、俺と出会ったことから事態はすでに動き始めていたんだ。それはもう誰にも止められない。
逃れられることができないのなら俺がおまえを守ってみせる。自分の手で、俺の全てをかけておまえを守る」
言葉が強くなればなるほど、を抱くヴァルアスの手に力がこもる。
不安な気持ちよりもその手にこめられた想いが増していく。
この瞬間がいつまでも続いたら。
ヴァルアスの腕の中ではそう願わずにはいられなかったのだった。
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