ヴァルアス・ヴォルフガング編
                 第一話



父さん、今までお世話になりました。先立つ親不孝な娘をお許し下さい。
天国の母さん、一人で寂しかったでしょう?今行くから待っててね。
……あ、もうダメ。目が霞む……

「……おいっ、おいったら!」

誰?私はこれから天国へ旅立つの。邪魔しないで頂戴!

「おいっ!しっかりしろっ!」

だから邪魔しないで!それに人に何か言いたいなら名前を呼んでよ。

「しっかりしろ!!」

そう、それでいいの。でももう駄目だ、気が遠くなる。

!おいっ、こんなところで倒れるんじゃない!」

だったらこんなことさせないで。誰のせいでこんな苦しい思いをしてるかって?
全部ヴァルアス、あなたのせいよ!

サアッと音をたてて引いていく血の音を、意識が飛んでいくってこんな感じなのか、
と頭の片隅で思いながら世界は一気に暗転したのだった。



                        *

が倒れることになった原因は数日前の出来事に遡る。

国の規定により招集された初めての城の中、は最初から思いきり迷っていた。
人に聞こうにも人っ子一人見掛けない。うろうろしている間に時間だけが迫ってきて
困ってどうしたらいいのか悩んでいた時に声をかけてきたのがヴァルアスだった。

最初はどうせなら連れていってもらおうなどと相手が話を切り出すのを待っていたが
目の前の相手は声をかけてきたきり何も言わず動きもしない。
ちゃんと起きてるか不安に思い思わず覗き込んだ。
いたずらっぽい、やんちゃそうなところが見え隠れしてい青年はどこか危ない魅力を持っていた。
影があって妖艶、放っておくと何かしでかしそうな雰囲気に顔が火照ってきて心臓が踊ってくる。

でも、いくら美形でも役に立たなくてはどうしようもない。
今まで強く、たくましく(認めたくはないが)生きてきたには見た目より実行力が重要と言うことを実体験で
嫌と言うほど学んできた。確かに見た目がいい方が心も安らぐし約得感もあるけれど。
それはともかく時間が差し迫っている今は一刻も早く目的の場所にたどり着かなければならなかった。
早い所案内をしてもらおうと目の前の彼に話しかけようと再び視線を合わせた瞬間、割れる程の頭痛がを襲った。
あまりの痛みに身体がふらつき意識がもうろうとしてくる。
そんな様子にさすがに変だと思ったのか、痛みに苦しんでいるの顔に手をかけると覗きこむように視線を合わせた。

「どうした?」

心の奥まで貫くような視線に耐えられず咄嗟に目を閉じてしまった。

「……

限界点を突破して体から力が抜けていくをそっと抱きとめてくれた彼が名前を呼んだような気がしたが、
意識が飛びつつある記憶にそれが残ることはなかった。



                           *

意識を取り戻した時、は何だか堅くて柔らかくて暖かいものに包まれていて、その心地よさに思わず
頬を寄せていた。気持ちが良いが横になっているのではなく、何かにもたれて座っている状態にふと疑問を覚える。

椅子に座って転寝でもしてたのだろうか?でもそれにしては暖かさの種類が違うように感じる。
目を開けた先には心臓が飛び出そうなほどの光景が映っていた。

きゃあっ!なんでっ!いったい何なのっ!
誰かの胸に抱かれてる!両手がしっかりまわってるっ!私の背中と腰にギュッと!
体温だったから妙に安心感もあったのか、って違う!

いったい誰なのかって視線をあげたらさっきの男の人だった。
ああ、そういえば頭が痛くなって倒れたんだったと妙に冷静に思い出したが倒れないように抱きとめてくれたのは
わかるとしても、胸に抱かれて寝ている理由がわからない。

頭が混乱していてその腕から逃れようとしても体が少しも動かない。
どうしようとあたふたしていたらふいに片方の手がの右手を掴んでいた。

「おはよう。よく眠れたか」

少し低めの聞き心地の良い声とともに右手に口付け。

「!」

まって、まってよ!ただでさえ男性との接触機会なんてほとんどなかったのにそんなことされたら
心臓がとてもじゃないけどもたない!

驚きすぎて何も言えないを彼はそっと立たせると今までとは顔つきを一変させた。

「どうやら大丈夫そうだな。時間も随分たっているしそろそろ進まないと先が続かない。行くぞ、こっちだ」

先にたって歩き出した彼に追いていかれないように付いて行きながら慌てて聞いた。

「行くってどこへ?」

「行こうとしていた所はどこだ?第二国事官吏室だろう?一緒に行ってやるよ」

そう言っての手を掴むとそのままどんどん歩き出す。

「どうして知ってるの?それにあなたも予定があるんじゃない?」

ここにいるって事は官吏よね?仕事中でしょう?
ずっと付いていてくれたみたいだけどこれ以上はまずいんじゃないかしら?

「心配してくれたのか?俺がここにいたのはちゃんと理由があるんだよ」

理由?理由って?

「俺はヴァルアス。第二国事官吏官で城の警備隊の隊員だ。
 、おまえとこれから一緒に仕事をすることになる。よろしくな」

緊張して迷い倒れたあげく抱きしめられた相手と一緒に仕事?!

先行き不安の第一日目の初めは怒涛の嵐が押し寄せるように始まったのだった。



                           *

茫然としている内に連れてこられた第二国事官吏室。
はそこで一人の男性と対面していた。優美ともいえる顔も今は厳しく睨むかのようにを見据えている。

「遅い!」

その第一声に今の彼の心情が全て表れている。
遅れた方が悪いのは当然かもしれないがいきなり挨拶も何もなしで怒鳴られるのも納得がいかない。

「サーシェス、それはちょっとないんじゃないか。仮にも今まで倒れて寝てたんだぜ。遅れたからって
 わざとじゃないだろ」

ヴァルアスがそう言ってを弁護してくれたのだが相手には何も感じなかったらしい。

「病人じゃないのにかばってどうする?それに遅れたことは事実だろう」

サーシェスと呼ばれた彼は机の上にある書類をめくりながら淡々と答えただけだった。

「でも、城なんて初めて来た奴じゃ迷いもするし、緊張もしているから混乱しても仕方がないと思う。
 それに俺のせいもあるかもしれないしな」

「おまえのせい?」

「ああ。俺と会った時に倒れたんだ。俺と感応した可能性もある」

「だが確信はないのだろう?それともおまえは何か感じたのか?」

「少し重なった気がする」

何のことだろう?確かに視線があってから頭痛がしたような気はしたが偶然ではないのか。

「確実でないならとりあえず様子を見る方がいいだろう。ヴァルアス、後はおまえに任せよう」

小さく頷き深く息をつくとヴァルアスはサーシェスと反対を向き手を軽く応えるように振った。

「俺の好きにしてもいいんだな?じゃあ勝手にさせてもらうぜ」

そう言うとヴァルアスはの手を掴み部屋から出て行こうとするのに慌てて声をかける。

「あの、私これから何をしたらいいんですか」

、おまえは俺と二ヶ月間一緒に仕事をしてもらうことになる。よろしくな!」

仕事って?説明もなくて訳もわからないのにどうしたら!

「俺の傍にいて俺と一緒に仕事をすればいい」

「だから何のですか?」

わからないことだらけの説明に少々苛立ちの籠った返答で答えてしまう。

「く、くくっ、はははっ!」

ヴァルアスは何がおかしかったのか突然笑い出す。

「おまえって結構負けず嫌いなんだな」

面白気に口に手を当てながらまだ笑いが治まらないらしい。
でも仕事に来た以上訳も分からないのに仕事を進めて行くなんて納得できない。

「説明不足かもしれないな。じゃあ今から言うからもう一度聞いていろよ。
 、おまえには警備隊で働いてもらう。俺が任されている部隊での任務だ。
 俺の傍で補佐をしてもらうからしっかり動けよ」

「私が警備隊?!」

「ああ」

ヴァルアスは少しいたずら気な笑顔で笑って見せた。

「できないか?なんだったら他のところを紹介するようにサーシェスに言おうか」

「できます!」

煽るような言い方に思わずきっぱりと言い切ってしまったが言ってから前言撤回したい気分になった。

いや、やっぱりだめだ。できないって言い出すのを待ってる感じがする。
自分に耐えられるかどうか自信はまったくないけどでもすぐにそうだろうって思われたくない!

「そうか!じゃあ頑張ってもらうぞ、期待しているからな。まずは隊の連中と顔合わせと行こうか」

ニヤッと笑ってを見ると行くぞと肩を抱いて促された。
次から次へと展開していく速さについて行くのが精一杯で全然実感がわかない。
一瞬、自分はまだ寝ていて夢の中の出来事かとさえ思える程だ。

!ぼやぼやしてると追いてくぞ」

立ち止まってしまっていたはヴァルアスと繋いでいた手を逃れられないようにしっかりと掴まれた。

「まずは圧倒的に足らない体力をつけてもらう。まずは走ることからだ」

を半ば引きずる形で引っ張っていくヴァルアスの顔はおもちゃを与えられた子供のように楽し気に輝いていた。



かくしてその数日後、城の中の案内や簡単な説明を受けた後、想像以上の訓練の過酷さを身を持って味わうこととなった。

!倒れている暇なんてないぞっ!」

嬉しそうにに声をかけるヴァルアスの姿を苦しい息の下から見ることになりながら。



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