サーシェス・サンフィールド編
                 第六話



「今日もいい天気だ!」

思いっきり空へと向かって手を伸ばしているヴァルアスはとても気持ちよさそうだ。
リラックスもしているようでその姿になんだか安心する。ヴァルアスと一緒にいた時から大分時間は経ってしまったが
ヴァルアス自体に変わりはない。それに随分機嫌も良いようで小さく鼻歌を歌っているのが聞こえてきた。

「なんかずいぶん前のことのように思えるな」

突然の言葉にぼーっとしていた意識を覚醒させると嬉しそうに輝かせた眼とぶつかった。

「あ、な、なにが?」

「こうして二人で肩を並べるの。おまえがここにいた時、何度もあったよなぁ。
 慣れない訓練に疲れてへとへとになって倒れこんで。不謹慎かもしれないがそれが嬉しくってな。
 ずっとこうしておまえが俺の隣にいてくれるのならしごきにしごいてやろうって実は思ってたんだ」

「それであんなに?!」

慣れないことをしたせいで体はもちろん精神的にもかなり追いつめられて大変だった。
記憶は薄れても体はちゃんと覚えている。今だって勝手に体が小刻みに震えたくらいだ。
朦朧としてギリギリ状態だったこともあったのに!

「すまないな。でもそれだけじゃないぞ。一番はおまえが少しでも身を護れることができるようになって欲しかったから」

嬉しそうだったヴァルアスの顔がわずかに陰る。自分を守るためにの身が危険に陥ったことを思い出したのだろう。
いつだって自分のことを最優先して考えてくれる。でもそれに甘えていたくないし何より明るくない顔を見たくない。
そんなヴァルアスに感謝と励ます気持ちも込めては微笑みかけると大丈夫だと告げた。

「私はそんなに弱くないわ。ヴァルアスだって知っているでしょう?今までだってこれからだってそう簡単に
 へこたれたりしない。だから何を言ってくれても構わないわよ」

……」

サーシェスのことを聞きに来たのは自分だったが心のどこかで躊躇していたことをヴァルアスは感じ取っていたに
違いない。だからこのまま聞かないという選択肢も残してくれた。でもその優しさに甘えていたらきっとずっとこのまま
小さな塊を心に抱えたまま彼らとの関係を終わらせてしまうことになるに決まっている。
それは彼らのためにも自分のためにも良いことではない。心の中に小さな棘が刺さろうとも聞かないわけには行かなかった。

「本当にいいんだな」

少しためらうような感じはヴァルアスの中でも言ってもいいものなのか葛藤している部分もあるのかもしれない。
だが真剣な表情と声がその事実の重さを伝えてくるようだった。

「後悔はしないわ」

きっぱり言ったにかすかに口の端をあげるとヴァルアスの手が伸ばされた。
さらうように引かれ埋められた大きな胸の中で抵抗しようとした身体をヴァルアスは強引に抑え込む。
その行為から逃れようとしただったがある事に気が付き為されるままとなった。
耳に聞こえる音は大きく早く動いている。
自分一人が緊張しているのではないと感じ、そのままヴァルアスが放してくれるまで黙って抱かれていたのだった。



                         *

サーシェスは戸棚を開けると一本の瓶とグラスを取り出した。透明ですっきりとした形の瓶には赤黒い液体が入れられている。
しっかりと閉められた蓋をさして力も入れずに開けると無造作にグラスへと注ぎ込んだ。
アルコールに強いものに特有なツンとした香りが鼻を突く。
だがそんなことに気をせずに勢いよく煽るように飲むとそのまま乱暴に椅子へと座りこんだ。

「……笑い話にもならんな」

一人ごちたように呟くと残りを一気に喉へと滑らした。
いつにない、自分らしくない様子に笑いたくもなる。つまりそれくらい自分は動揺しているのだろう。
わかってはいてもやらざるを得ないほど打ちのめされたのだと認めない訳にはいかなかった。



心を揺るがしている相手の名前が口から零れる。

会ってまだ半年ばかり。しかも自分の側にいたのはほんのわずかな時間なのにこんなにも気になって
仕方がなくなるなんてそんな姿誰が想像できただろうか。
冷静、冷血とまで言われた自分がペースを崩されるほどの相手が現れるなんて思ってもいなかった。
しかも自分の、自分達の未来をも握る相手として。

リュークエルトの言葉を認めざるを得ないだろう。
確かに他の三人が呪縛から解き放たれたのをみて感じたのは強い嫉妬と憎しみだった。
どうして自分だけが、と。
どうにかなるものではないとわかっていても全身が求めてしまう。か弱くて普通の少女に救いを。
強大な力に対抗する術などないはずなのにただ一心に安らぎを求めてしまった。
ほおっておけばこの想いはどんどん増していくばかりだろう。

まもなく来る銀朱月に向けて祈らずにはいられない。今まで神など信じたことがないと言うのに。

「どうかしている」

蹲るように丸めた体からやがて小さな嗚咽が響いてきたがそれを知るのは空に浮かぶ淡黄月だけだった。



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