リュークエルト・ドラグーン編
第七話
何の物音もしない漆黒の空間だった。
いつの間にかはそこにジッと立ち竦んでいた。ただ月だけが遠くから光を照らしている。
闇の中にほのかに照らされる光は、本当なら求めてやまないもののはずだ。
もその光を求めて足を踏み出そうとしたが、それに反して身体は動こうとはしなかった。
白輝月の光は全てのものに祝福を与える光のはずなのに、何故か意識がその光を拒んでいるのだ。
怖い。どこまでも続く闇よりも照らし続ける月の光の方が怖かった。
に届く月の光がだんだんと移り変わって行く。
淡黄月の光はこれから起こりうる何かの予兆のようにその色を増す。
何が?いったい何を恐れる?
自分でもわからない何かが次第に膨れ上がってきているのを感じて無意識に身体が震えだした。
もうすぐ来てしまう。魔が、魔の月が。銀朱月の時が。
今までと変わらないはずなのにどうして今頃になって月が怖いと、銀朱月を魔の月と思うようになったのだろうか。
一人になった不安からというのもあるかもしれない。だが、決してそれだけではない何かがここにはある。
その何かがリュークエルトに関わっているのだと?
いいえ、違う。そんなことあるはずがない。
リュークエルトがこわいだなんて、そんなこと自分の思い過ごしだ。
その証拠にちゃんと足が動く。
が震える足を前へと踏み出そうとした途端、目の前の闇が膨れ上がりまるで覆うようにへと襲い掛かかった。
「……!」
は必死の思いで逃れようと後ろへと後ずさると、ドンッと何かにぶち当たる衝撃を感じた。
衝撃の痛みに耐えながら振り返ったの目に、今度はナイフを振りかざした腕が映る。
「きゃあぁぁぁ!」
は迫りくる恐怖に耐えかね悲鳴をあげると、ついに自分に何が起こったのかわからないまま、
意識を手放したのだった。
*
「さん!」
突然、降りかかってきた声がの意識を呼び覚ました。
暗闇はいつの間にか消え、ぼんやりと辺りの様子が目に入ってくる。
自分が横たわる居心地の良いベッドに、豪華でありながらも落ち着いた雰囲気を持つ部屋の調度の数々。
ここ数日で見慣れた空間を目にしてはホッと安堵をついた。
自分が置かれていた状況が夢であったと認識することができたからだ。
「何があったんです!」
切羽詰った声に顔をあげると、イグニスがベッドの脇に身を乗り出すようにしてこちらを覗き込んでいた。
イグニスの少し苦しそうな息がその呼吸とは裏腹にの顔をくすぐるようになでている。
非常識であるとはわかっていたが、その表情にふと微笑みを浮かべてしまう。
いつも穏やかな表情しか見せていなかった人の違う顔は、今ここにいるのが現実なのだと実感をもたらせてくれた。
もし、現実にこんな状況に追い込まれていてもいつもと同じ微笑みを見せるなんて人だったら、
ある意味それはそれで恐怖感を持つだろう。
しかし、相手にはのその態度が気にかかったらしい。
「さん!いったい何を笑っているんです!あなたに何かあったのではないかと急いで駆けつけたのに。
私がどんな思いをしたかも知らないで!笑っていないで答えてください!」
追求するようにイグニスはへと問い詰める。その真剣な表情に気おされながらもはポツポツと話し出した。
「夢……夢を見たんです」
「夢?」
所詮は夢で現実ではない。ましてや人に話して気持ちのいい内容でもないのにそれを話すべきかどうか。
迷っていたを、黙ったまま先を促すようにイグニスが微笑んでみせる。
その微笑みに大丈夫だと勇気付けられると、は話をしてみようと先程の夢を思い返してみた。
「現実に近いような感覚がありましたけれど夢でした」
はそこでいったん言葉を切ると、一時の恐怖を振り切るかのごとく深い息を吐く。
「一人闇の空間にいました。そこは月の光がぼんやりと差し込んでいて、時が経つにつれ月が変わっていくんです。
白輝月、淡黄月、そして銀朱月へと。
何故か銀朱月が魔の月だと思えて、闇よりも月の光の方が恐くなってしまって。
ここにいてはいけないと逃れようとした途端、闇が膨れ上がり襲い掛かってきたんです。
それから今度はナイフが私を襲おうとっ!」
「!」
イグニスはをさらうように自分の方に引き寄せるとギュッと抱きしめた。
上半身が不自然な体勢で苦しかったが、甦ってきた恐怖感はあたたかなぬくもりのおかげで段々と治まって行く。
「大丈夫です、落ち着いて。ここは現実であなたの傍には私がついています。
何も恐くはありません。何かが襲ってきたとしても私があなたを守って見せます」
イグニスの手に力がこもる。まるでこの世の全てのものから守り通すかのように。
優しい言葉と温かに包み込まれた心地よさに緊張していた体から力が抜けていく。
イグニスは安心させるようにの髪を撫でるとベッドにそっと横たえた。
の視線が縋りつくかのようにイグニスへと向けられる。
「あなたが眠りにつくまで傍にいます。安心してお休みなさい」
その視線を優しく受け止めると、言葉を裏付けるようにいすをベッドの側へと引き寄せた。
「本当……?」
「ええ、大丈夫ですよ。おやすみなさい」
凪いだ心を静めてくれる優しい微笑みと言葉に満たされながら、は穏やかな眠りへと引き込まれていったのだった。
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