リュークエルト・ドラグーン編
                第六話



「できません」

暗闇に包まれた城の一室でその闇よりも暗い声が部屋に流れた。
少しの感情もこもらない、いや、無理やりに感情を押し殺したと言ったほうが良いのだろうか。
自分を保つためにあえてゆっくりと言葉を紡ぎ出したような声は部屋の空気を変えるには至らない。

「何故?」

「何故と聞かれる?それは私をお試しになると言う事ですか!
 あなたに対しての忠誠心をお疑いになると!私は貴方にとってそれだけの存在なのですか!!」

激昂したせいで身体に震えがきて止まらない。
自分は今まで精一杯やってきたはずだった。それは相手にも伝わっていると信じて疑わなかった。
それなのにそれは自分だけの思い込みだったと言うのか。それとも自分の気持ちの押し付けに
過ぎなかったのだろうか。

「おまえだからだ」

怒りに囚われていたせいか、その言葉がすぐに理解できなったため反応が少し遅れる。

「え……」

「私にはもうおまえだけだ。私という人間を理解して傍にいてくれるのは。
 だからこそおまえにしか頼めない。……私には時間が残されていない……」

「!」

「それに、これは命にも関わることだ。あえておまえを危険にさらすことになる。
 そのことがわかっているのに、私はおまえに頼むしかないんだ!」

「…………」

「すまない。私も本来ならおまえに傍にいて欲しい。だがどうしてもこれはおまえにしか」

「もう、いいです」

短い言葉を震えないよう懸命に返す。

「すみませんでした。あなたの傍にいながらあなたのお気持ちを汲み取ることができなかったなんて。
 何より私が理解していなければならないことだったのに」

「……無理もない。私には時間が残されていない。焦りが気持ちを狂わせる。
 私だけでなくお前さえも。それに月が変わってゆく」

今は白輝月の十日目。
月はこの先、淡黄月、銀朱月へと移り変わる。
魔の月へと変わるのはあと三十日あまりしかない。
そして自分の命運を決める運命の日もあとわずか。
決して変えることのできない運命の日が。

「絶対に邪魔はさせない。させる訳にはいかない。そのためにも頼む!」

覚悟を決めたその想いは誰にも邪魔などできない。
自分の気持ちは決まっている。自分でさえ裏切ることなどできない。

「わかりました。ただ無茶はしないでください。
 少しでも苦しくなったら私をすぐお呼び下さい。それだけは約束して下さい。お願いです」

「ああ、わかった。必ず」

そう、時間は残されていない。全てを譲るわけにはいかないのだ。
ただ、彼女を巻き込むことになってしまうかもしれないことが気がかりだが。

いや、余分なことを考えるな。彼女に悟られないようにすればいいだけだ。
いかに難しいことであろうともやりとげなければならない。
もし、それがかなわぬのなら命にかえても守ってみせる。彼女を傷つけさせたりはしない、

たとえそれが自分を裏切ることになろうとも。
たとえ未来が見えなくとも。



                         *

さん」

資料をそろえに書庫へと向かう途中、は穏やかな声に呼び止められた。
その声に似合う穏やかな表情がこちらをとらえている。

「イグニスさん。今からお城へ行かれるんですか?」

「いいえ。今日は一日こちらですよ」

ここ数日、城に詰めっぱなしのリュークエルトに変わっての面倒を見てくれている彼、
イグニス・アトゥースはに微笑むと横に並んで歩き始めた。

「すみません。一人でまかせっきりみたいな形になってしまって。
 今日はあなたと一緒に仕事をしようと探していたんですよ」

「ご一緒できるんですか。嬉しいです!一人はまだちょっと不安で」

「無理もありません。まだ仕事を始めてまもないのですから。
 それに教えるこちら側の不手際であなたを一人にすることが多くて申し訳ありません」

「いいえ、そんなつもりじゃなかったんです。気にしないでください。ただ……」

「ただ?」

「リュークエルトさまはどうしているかなって心配で」

城での勤務を始めてからもう何日も顔も見ていない。いくら忙しいとしてもこれでは酷過ぎる。
休む間もないなんて。それなのにこちらでの仕事もあって。

「大丈夫ですよ」

イグニスはを安心させるように肩にそっと手を置いた。

「明日にはあちらの急ぎの仕事がひと段落するんです。そうすればあなたもゆっくり彼に会えますよ」

「ち、違うんです!いえ、あの、確かに会いたいんですけど、それはリュークさまが心配なんであって、
 その、傍にいたいとか二人きりになりたいとかじゃなくて、えっと」

焦りのあまり本音が入り混じっていることには気がつかない。
そんなを優しく見つめるとイグニスは肩を抱いたまま、そっとを誘うように書庫へと向かったのだった。



next   back   月と焔の物語top