リュークエルト・ドラグーン編
                第四話



「わかっているのか」

暗闇の部屋の中、その静けさを凍らしてしまいそうな程の冷徹な声が響きわたった。
人が寝静まっている時間にはほんの少しの声さえいつもより聞き取れてしまう。
そのような状況をわかっていても言わずにはいられないよほどのことがあったようだ。
だが、部屋にいるもう一人の人物にとっては何故そのように言われるのかが検討もつかなかったらしい。

「わかっているかとは?このことは規則で決められている。しかも今までにもあったことだ。
 何故今回だけそのような言い方をされねばならない?」

高圧的過ぎからぬ、かと言って自分の意思を殺さぬ程度に相手をけん制したのは自分の立場のほうが
上だと見せ付ける意味もあるのだろう。少しの声の変化も見せずに相手の言葉を封じてしまっていた。
問いかけた人物が悔しそうな声を押し殺したのか唸りにも聞こえる声が耳に届く。

「そちらこそわかっているのか。私の役割と立場を。決定権は私にある」

暗闇の部屋にはぼんやりと月の光が差し込んでいる。
その月の光を背後に抱え、一つの影が膨張したかのように大きさを増した。

「黙っていることだ。もし邪魔をするようなら手加減はしない」

殺気にも近い気配を出しながらも一歩も動かず相手を追い詰める。

それだけの覚悟があるのだ。
そうでなければ自分で命を絶っていたかもしれない。自分で作った迷路にはまり込んだまま。
今更止めることなどできないのだ。過去には戻れない。何も知らなかったあの頃には戻れないのだから。

ほのかな月明かりを残したまま、夜は更に更けていくのだった。



                           *

「おはよう。よく眠れたみたいだね」

宿屋から荷物を持って第二国事官吏室にやってきたを出迎えたリュークエルトはさわやかな笑顔と共に
さり気なくの手から荷物を抜き取りそのまま部屋から廊下へと足を踏み出した。

「おはようございます!」

あわてて挨拶をしたは、訳のわからないままリュークエルトに遅れまいと必死で足を動かしついて行く。
だが、もともと身長も違えば足の長さも違うのでどんどんその差は開いて行きつつあった。

「まっ、待ってくださいっ!リュークエルトさまっ!」

はぜいぜい息を切らしながら止まってくれるよう呼びかけた。
息苦しくなってきたせいか思考さえもおぼろげになってくる。

「ああ、すまない。気持ちが仕事ペースにはいってしまうと周りがどうも見えなくなってしまう
 みたいでね。実はよく注意されるんだ」

心配そうにを見つめながらもその場に足を止め、リュークエルトは少し照れたような
はにかんだ表情を浮かべた。
どうやら自分でも恥ずかしいと思っているらしい。そのどうにもかわいいと言える表情は
の気持ちをホッとさせた。

「それに君と早く話をしたくて余計足が速まってしまったんだ。ここじゃ落ち着いて話せないからね」

「えっ……でも、今日から仕事をお手伝いするんですよね?」

「そうだけど今日は初日だから特別に許可を貰っているんだ。
 とは言っても自分の好きなように予定を組んでいいんだから何をしてもいいけどね。
 ただ、報告は義務付けられているんだ」

彼の様子からは面倒くささと他の何かやるせなさみたいなものが感じ取れた。
まだ、よくは知らないけれど彼でもこんなことを思うことがあるのかとどこか不思議に思える。

「報告が嫌なんですか?」

は意外ですと匂わせながらリュークエルトに尋ねた。

「わかってしまったかな?そうなんだ。俺は自分で仕事を片付けてしまうことに慣れていてね。
 その結果を報告して判断を仰ぐことはどうも変な感じがしてしまって違和感があるんだ」

「ご自分で執政官のお仕事をですか?
 私は国の仕事ってよくわからないんですけど、そういうものなんですか?
 とっても大変そうなことくらいしか」

「いや、執政官の仕事は違うよ。一応、第二はいろんな役職の集まりだからね。
 それぞれの部門の上司にも報告はするが、あくまで直属の上司はサーシェスなんだ。
 だから、どちらにしろ報告の義務は出てくる。俺が言うのは別の仕事だよ」

「別の?」

「そう。君にはそちらの仕事を主に手伝って欲しいんだ。それで今からその仕事場に向かっていると言う訳」

悪戯を企んでいるような顔でリュークエルトはに笑いかけた。
優しい洗練されたリュークエルトの普段はあまりみられそうにないその年相応の表情はかえって
に安心感をもたらせてくれる。優しい表情もいいけどこんな彼は身近に感じていい。
リュークエルトはその表情を保ったままに問いかけた。

「今から向かうのは、君の仕事場はどこだと思う?」

「予想なんですがもしかしてあなたの?」

「君には俺の家の仕事を手伝ってもらいたい」

リュークエルトはいったんそこで言葉を切ると表情を改めに向き直った。

「ドラグーン家当主リュークエルトが、君への仕事を依頼する。
 これから二ヶ月間、俺の傍にいて俺を支えてくれ」

仕事だからとか義務だからとかそんな意味の言葉じゃない。
心からの言葉と願い。

リュークエルトの想いのこもった瞳がから焼きついて離れなかった。
明るく澄んだ緑の瞳がまっすぐに。



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