リュークエルト・ドラグーン編
               第十六話



眠れずにぼんやりとベランダで月を見ていたのもとに遠くから何かが壊れる音が届いた。
通常の音にしては大き過ぎる異様な音は静かな夜には殊更響いて聞こえる。
イグニスの話が気になってなかなか寝れなかったは部屋を通り抜け急いで廊下へと飛び出した。
使用人達は別棟に部屋を与えられているが、これ程までに大きな音だというのに誰かが動き出した気配はない。
人気のない廊下は夜の暗さと相まって音だけをよりいっそう響かせているような気がした。
息を弾ませながら廊下を走りぬけるの脳裏にはこの音がどこから聞こえてくるのが浮かびあがってくる。
近づきたくない気持ちを叱咤しながら走っていただったがその速さがゆっくりになるにつれ音は大きく
振動が直に伝わってくるような気がした。

間違っていればいい、何もなければいいのに。

だがどんなに否定したくても現実はこんなにもはっきりとしている。
は一つの扉の前で足を止めると取っ手を掴みしばらく目をつぶった。

本当は初めからわかっていたはずだった。思えばあの日倒れた時から全ては始まっていたのだ。
日を重ねるにつれ、薄々何かがあるのだと感じていたが恐くて確かめることをしなかった。
どこかで自分は無関係なのだと思いたかったのかもしれない。
強がっていながら本当は弱くて逃げてばかりだった。助けの手がどこからか来るのだと安心していた。
でも、永遠には逃げられない。
全てが決まっていたというのならどんな現実でも自分の目で確かめなければならない。
はグッと唇に力を入れ、運命と言う名の扉を開けたのだった。



                         *

「う……うぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

明かりのない部屋で苦しそうな声が響く。悲鳴のような叫び声がその過酷さを物語っていた。

暗くてよくは見えないが部屋の状態は散々だった。
床に散らばっているのは書類や本だけでなくガラスなども落ちているようだ。
開け放たれた窓にはまっているはずのものが破片となって足の踏み場もないほどひどい状態になっている。
明かりのない部屋のなかで呻いていた影がゆらりと揺れながら立ち上がった。

「…………!」

は声にならない悲鳴をつまらせた。
目の前にいる影からは剣呑な気配が漂っておりその視線がを捕らえたのだ。
金色に光る目がまるで獲物を捕まえるかのようにを捕らえて離さないのに体中に震えが来てあまりの恐怖に
体は思う様に動かなかった。それを察したのか、影が信じられないスピードでへと詰め寄り一瞬のうちに伸びた手が
の細い首へとかかった。

「うっ……」

首を絞められる苦しさに意識が朦朧とし始めたの目に月明かりを浴びた影が人間へと形作ってゆく。

「……リュ…ク…さ…ま……」

赤く染まる月を背に目を金色に光らせ、今までに見せたことのないどこか獣めいた表情がよりいっそう
別人のように思える。は苦しい息の下から必死にリュークエルトへと手を伸ばそうとした。

「ど…うし…て…」

の手がリュークエルトの顔へと少し触れた途端、体が驚いたようにビクッと震え、首へと掛けられた手から
徐々に力が抜け出す。

「あ、あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

リュークエルトはの首から完全に手を離すと自分の頭を抱え狂ったように悲鳴をあげた。

「リュークさま……」

ゲホゲホと苦しい咳をしながらが声をかけた時、悲鳴を上げ続けていた影からわずかに声が聞こえてきた。

「俺はまた同じ事を繰り返すのか……?再び人の命を奪ってしまうなら今ここで……!」

「リュークさまっ!」

ナイフを自分の喉へ突き立てようとするリュークエルトを止めようとしたの目の前でその体が大きくぐらつくと
糸が切れたように倒れた。

「あ……」

何が起こったのかわからず、その場で動けなくなったの前にいつ来たのか一つの影が月明かりの中揺れていた。

「行きなさい!これ以上ここにいると危険です。訳は後で話しますから、早くっ!」

切羽詰った表情をしたイグニスがいつもとは段違いの剣幕でへと声を放つ。
リュークエルトを取り巻いていた赤みを帯びた金色の光がイグニスの体へと少しづつ吸い込まれて行く。
は信じられない光景に目を奪われながらも、自然と危険を察して震える自分の体を強く抱きしめた。
まだ少し違和感のある首筋を意識しつつも動かない足を叱咤して、言われたまま必死に部屋の外へと足を運ぶ。

その首筋に一筋の血が流れ落ちていった。
それはまるで銀朱の月が溶けて首を伝って行き後の残らない刻印をつけられたようであった。



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