ルティ・フェニキア編
第八話
「いけませんっ。危険です。お止め下さいっ」
「放せっ。まだ屋敷の中にっ」
「他の者が救助に行っておりますっ」
「僕が助けなくては。放せっ!!」
「放しません!」
燃えさかる炎を前にその勢いと同じまま争いが繰り広げられる。
必死で振り切ろうとしているが押さえ込まれた少年の身体はその場から動かず、
煙が視界をあっと言う間に覆ってしまった。
「放せーーーーーーーーっ」
力の限り叫んでもこの腕さえ解くことができない。目の前の炎はもうすぐ屋敷を形なく変えてしまうだろう。
それなのに、こんな所で何もできずに終わってしまうのかっ!僕は何もできずに?!
「退いて下さいっ。道をあけてっ、一刻を争いますっ!」
騒然とした人々の間を縫って一人の男が走ってくる。落とさないようにとしっかり一人の人間が抱かれていた。
「ルフィアッ!!」
グッタリとした身体はどう見ても意識がない。服の上からでも傷を負っているのが見て取れた。
「ルフィア、ルフィアッ!!」
いくら叫んでもその声は彼女に届かない。なす術もないまま、少年は掴まれた身体を振りほどくこともできず
通り過ぎていった少女の姿を見送ることしかできなかった。
*
「どうぞお入り下さい」
扉を開ける音だけがうっすらと光が差し込む部屋に響く。
少年と入れ替わるように医師が黙ってお辞儀をして部屋から出て行った。
窓際に置かれたベッドには一人の少女が力なく横たわっている。
「ルフィア……」
悄然と呟く少年の声にルフィアと呼ばれた少女の瞼が揺れる。
やがてその瞳が静かに開いた。
「…………」
うつろな瞳が何かを捜し求めている。
捜していたのは少年の姿だったのか。少年の姿を瞳に映した少女は必死で声を出そうとするが
その声は音となって口からは紡ぎ出されない。
悔しさからか悲しさからか。少女の瞳から静かに涙が零れ出る。
「ルフィア、無理をしなくていい。僕はここにいるから」
ベッドの脇に膝をつき少女を見つめる少年を少女の涙に溢れた瞳が一心に見つめる。
「…………ぅ」
かすかな言葉。
少女の口元が嬉しそうに綻んだかと思うとそのままその瞳はゆっくりと閉じられていった。
「ルフィアッ、ルフィアッ!!」
少年の少女の名を呼ぶ声だけが悲痛に響く。
少女の微笑みをいつまでも縫いとめるように時間を止めるように陽の光だけが変わらないまま
部屋にそっと差し込んでいたのだった。
*
「ルフィアッ!!」
叫びとも取れる程の声と共にルティはベッドに勢い良く起き上がった。
寝ていたはずなのに先程まで見ていた夢のせいか疲れが一気に押し寄せる。
「ルフィア」
最後の微笑みがルティの脳裏に焼き付いて離れない。
あんなにも自分は彼女を求めていたのに、彼女も自分を求めていたのに
自分の力は届きもしなかった。助けを求めていた手を取ることができなかった。
「もうあんな想いはしたくない」
自分に言い聞かせるように呟く。
務めの為だけに自分のもとへと来た少女をいつの間にか気にかけるようになってしまった。
を少女と同じ目に遭わせたくないのなら自分から離した方がいいと判っているのに、
離したくはない気持ちがこんなにも自分の大部分を占めている。
「ルフィア。僕はいったいどうしたらいい?」
淡黄月の輝きに銀朱の色が混じりつつある。
もうすぐ銀朱の月、魔の月の刻が始まりを告げるだろう。
自分の力の源たる太陽さえ銀朱の月にはかなわない。
決断の時が迫ろうとしていた。
*
「」
呼ばれた声には作業中の手を止め顔を上げた。
目の前にはルティの少し疲れた顔。
睡眠不足なのか、目の下にある隈が白い肌によりいっそう浮かんで見える。
「ルティ。大丈夫なの?」
「なにがだ?」
心配でかけた言葉があっさりと返された。
いつもは精力的に動く身体も気だるそうにゆっくりとした動作を取っている。
太陽の光さえもルティを拒んでいるかのように弱々しい光しか送ってこない。
ルティはに背を向けると作業室の一角においてある衝立の向こうに姿を消し
そしてその手にティーポッドとカップを持って現れた。
「、何をボサッとしている。早く座らないか」
「え?」
「え、じゃない。座らないと邪魔だろう」
「ルティが入れてくれるの?」
「僕がお茶を入れるのはおかしいか」
このままお茶のセットごと持って引き返しそうな勢いのルティをは慌てて引き止める。
「ルティ、待って!ごめん、ちょっとびっくりして」
「それはどういう意味だ」
ムッと顔をしかめたルティには慌てて口を開いた。
「ルティ、疲れて見えるのにわざわざ」
「……わかるのか」
「うん」
即答の返事に一瞬の間が空く。
「……!」
驚きが声にならない。それ位の衝撃がを襲った。
破顔と言っていいほどの心からの微笑み。
今までにもルティの笑顔は見たことがあったが、ここまでの微笑みは見たことがなかった。
何かを吹っ切ったような決断したようなルティの表情がを見つめる。
「」
かすかに掠れた声は甘く揺れる。
ルティはボーッとしているを再び座るよう促すと優雅な手付きで自分でブレンドしたお茶を
カップに注いだ。ほんの少しピンク色に染まったお茶から甘い香りが漂ってくる。
「」
真剣な表情とほんの少し揺れる声がルティのへの何かの特別な決断の想いを伝えていた。
「、おまえに話しておきたい。僕の昔の話を……おまえに聞いて欲しい」
そう告げながらを見つめているその瞳はどこか遠くを見ているようだった。
時々見せる寂しげな瞳のままで。
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