ルティ・フェニキア編
           第三話  



「今度こそ絶対に負けないから!」

城の一角、官吏専用の仕事部屋。
忙しく行きかう人々の足音に負けず劣らずの大きな声。
薬師官として個室を与えられているルティ・フェニキアの作業部屋ではうっぷんを吹き飛ばすかのような
声で思いっきり叫んでいた。その部屋の主ルティは現在、所用とかで外出中だ。
一応本人を目の前にしてまで言う度胸、勇気は持ち合わせていない。
と言うか、本人は言われようが鼻にもかけていないし、言ったが最後倍返しとばかりに細かい事まで突っ込んでくるので
こちらの気分が悪くなる。それがいちいち正当な事を言うのだから反論もできない。
それに全部に対応していたらきりがないのでたまにこうして発散がてら大声を出すのが少々情けないが
日常の出来事と化していた。

(見てなさい。絶対に一人で成功させてみせるから!)

その想いだけを胸に今日まで言葉の暴力に耐え、がんばってきただが、気がそぞろになりつつあるこんな時には
間違った方向へと進んでしまうことがあると言うことを今の時点では知らずにいたのだった。



                           *  

「おい。おいっ、しっかりしろっ」

どこか遠くの方で必死に呼ぶ声が聞こえる。
今までに聞いたことがないほどの切羽詰った声だ。

「……ぁ」

意識はもうろうとし、口を開いて喋ったはずの声は喉をやられたようで音となって出ていない。
だが、自分に声をかけた人間にはそのことがわからないようで、なおも続けて自分を呼び続けていた。

「おいっ、おいったら。大丈夫なんだろう?いいかげんに返事をしないかっ、!」

「意識はあると思うのだが。衝撃でなんだかわかっていないのだろう」

「今は冷静な判断をしているときではありませんっ!」

ルティの茶色の瞳が深みを増してサーシェスを睨みつける。切羽詰まっているせいか自分がどのような態度をとっているか
わかっていないようだ。
そんなやりとりが意識の中におぼろげながらも入ってくるのに、瞳を開けようとした試みは失敗に終わっていた。

「しばらく黙っていてくださいっ」

ルティがいつになく焦ったようにサーシェスを怒鳴りつける。

「ほんの少しの時間が行き先を違う方へと変えてしまう事だってあるんです!邪魔はしないで黙っていて下さいっ」

きっぱりと言い切ったルティの態度にさすがのサーシェスもムッときたようだったがの傍から一歩引くと黙って
成り行きを見守る体勢を取った。だがそこへ鋭い声がかかる。

「サーシェス!邪魔はするなと言いましたが手を出すなとは言っていません。
 窓を開けて換気をっ。空気を入れ替えて下さい!」

から目を離さず気配だけでサーシェスの様子を伺い指示を出す。
普段の彼の様子とは違い、危機感のようなものが含まれていた。

その言葉にサーシェスは眉をひそめながらも逆らわずにボソリと呟いた。

「私も辛抱強くなったものだ」

「文句は後で聞きますから。早くっ」

窓へと向かうサーシェスには目も向けず、ルティはの服のボタンを二段目まで外した。

「気道を確保してそれから薬草を」

ルティの手は止まることなく作業を行いの周りに薬草をまく。先程まで部屋に充満していた臭いを打消すほどの
強い香りが辺りに立ち込めた。

「我の信じたる絶対なるものよ。我に力を貸し与えよ」

ルティの口から祈りにも似た言葉が紡ぎだされた。
の身体にかざした手から言葉と共に淡い光が流れ出す。

「まだ、だ。もっとっ」

その言葉通りに勢いを増した光が急速な勢いでの身体へと吸い込まれていった。

……!」

「ぅ、ぅん」

先程まで青白かったの頬が徐々に赤みをさし、意識がはっきりしてきたのか声がもれ聞こえた。

(私……?)

身体中を力が駆け巡って行くようだった。
まだ意識ははっきりとしないが、頭の片隅に自分を呼ぶ声が聞こえたと思ったら身体がだんだん楽になってきたのだ。

!」

ぼんやりと天井が目に入る。だが視界が定まらず声もはっきりと出せない。

「大丈夫かっ」

体を動かすことができずじっとしていたの瞳にまるで別人のように慌てきったルティの姿が映し出されたのは
それと同じような声と共にだった。



                        *

「おまえは馬鹿か!」

ゆっくりと身体を起こしたはいきなり頭上から怒鳴られる。
あまりにも容赦のない言葉にムッとしながら反論をしようと相手と視線を合わせた途端、
の言葉は声として出されることなく止まってしまった。

「ルティ」

強く唇を噛み締め自分から視線を逸らしたルティの横顔は、今までになく見惚れる位に綺麗だったが、
青褪めた頬と力を使ったせいで脱力しきったその姿には自分の招いた事態に酷く心が痛んだ。

「ごめんなさい。心配かけて」

「まったくだ。自分がどれだけ周りに迷惑をかけたのかわかっているのか」

勇気をだした言葉があっけなく切り捨てられてしまったことにの気持ちも反発へと色を変える。
だが、横を向いていたルティの視線がの視線をまっすぐ捕らえると何も言えなくなってしまった。

怒り、悲しみ、そしてはっきりとこちらにも伝えてくる苦しくて激しい痛み。
見ているこちらが辛くて顔をそむけたくなる程の深い絶望感。
普段のルティからは想像も出来ない姿だった。

「……頼むから」

「え?」

「頼むから僕のいない所で危ないことはしないでくれ」

「ルティ?」

頼りなげに聞こえる声にはそっと聞きなおす。
ルティの言葉の意味がわからない。と言うよりは信じられなかった。
自分に小言みたいにくどくど言っていた彼の口からは私を心配する気持ちしか伝わってこなかった。

「一人で、僕のいない所で勝手なことはするんじゃない。危ないことはやめて欲しい。
 怪我でもしたらと思うと……胸が痛くなる」

言葉の選び方は下手だが私を思って言ってくれているのがわかるから素直に受け取ることができた。

「ごめん」

もう一度呟く私にルティも少し微笑んだ。

「わかったのならいい。これからは僕のいる所で無茶をしてくれれば。、怪我がなくてよかった」

今まで私の名前をはっきりと口にしなかったルティが私の名前を本当の意味で呼んでくれた。
は自然と浮かび上がってくる微笑みを抑えきれなかった。

こうして私、とルティ・フェニキアはこの日を境にお互いをパートナーとして認めたのだった。



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