ルティ・フェニキア編
         第十二話



「いいか。勝手に先走るんじゃないぞ」

自分の上司も自分に降ってわいたちょっとした出来事くらい振り払えるから、
とレイスは笑いながら言った。

「まあ、あの人はもしそういった事にぶち当たってもそれと気付かないだろうしな。
 っていうよりは、仕事上の雑務のことに比べたらささいなことにしか感じないに決まってる」

そうでなければ俺が要求に応じていろいろとやっている意味がない、とレイスは肩をすくめた。

自分の身に降りかかることに関して言わないのはを気遣ってではなく、自分に対しての
絶対の自信があるのだろう。
これからその上司のお供なんだ、と踵を返したレイスには心の中でありがとうと礼を言った。

さりげなく言われた言葉にどれだけの気持ちが隠されているのだろうか。
いつもこうして自分を気遣ってくれるその気持ちに救われている。

約束の時間があるのだろう。
心持ち足早になっている後姿にもう一度感謝の念を送るとはレイスの部屋を後にしたのだった。



                            *

「う……あぁ」

苦痛をこらえた声と何かを壊すような音。
人の行き交う部分から離れたこの部屋ではどれだけ大きな物音を立てようとも
人のやってくる心配はない。
だが、この部屋の主にとっては人がいようがいまいが全身を支配する激痛の前には
そんなことに気を留めている精神的余裕などなかった。
あまりの痛さに自分でも無意識のうちに振り回していた腕が作業台に乗せられた
道具を台の上から次々と落としていった。

「あぁぁぁぁ……っ!!」

一際大きな苦痛をこらえた声と共に部屋中を爆発的な光が覆いつくす。
その光は摘んできたばかりの薬草を一瞬で消し去った。

「ま……だ……だ……」

まだ早い。ルティの願いのこもる呟きもその圧倒的な力の前には届かない。
大量に溢れた光はその強さを部屋の外にまで出て行かせそうな勢いだった。

「ルフィア……もし僕の声が届くなら……どうか僕の願いをかなえてくれ」

自分の力のなさに泣いたあの時とは違う。
だが、自分の存在ゆえに傷つく者がいるのは変わらない。
自分の重い運命の道へと引きずり込んでしまう。

いかにそれを食い止めようと足掻いてもそれさえも押しのける暗い道標。

そんなことはさせられない。もう二度と大切な人を泣かせたくない。
でも、自分一人の力では立ち向かうことはできないかもしれなかった。

「ルフィア」

どうか同じことを繰り返さないように見守って欲しい。

最初は上からの命令で仕方なく受けさせられた仕事。
自分とは何も関係などなく、ただ仕事の時に雑用などをやらせるにはちょうどいい。
の存在はそんなことくらいにしか思っていなかった。
しかも最初のうちはちょうどいいどころか、かえって足手まといの時間食いだったから余計に邪魔扱いを
していたと言ってもいい。慣れてきたら程ほど使えるようにはなったが、自分のことを注意する口は
ずっと止まらなかったからうるさく思えて、自分にとっては蔑みにも近い強い言葉を出したりもして人の神経を
苛立たせたりもした。
いつもの僕なら怒り心頭でさっさと追い出したりもしていてもいいはずなのに何故かそれができなかった。
それはきっと彼女の、の言葉の端々に僕への気持ちを無意識に感じていたからだと思う。

そんなへと気持ちが傾いていくのは簡単だった。

寂しさに飢えていた小さな子供。
あの時から動いていない僕の中の時間。
その時間を動かそうとしている自分をのおかげでやっと認めることができそうだった。
だからが必要なのが日々実感できてきて、自分の気持ちを誤魔化してばかりいたけれど
が傷つけられてやっと気づいた。

なりふりなんて構っていられない。
の身の安全を守るためならば彼女が大切に思っているものさえも遠ざけて近付かせない。
それがたとえにとって大切な人であったとしても関係なかった。
でも僕にはそれを完全にすることができなかった。
本来ならば自分自身が一番彼女を危険に合わせる存在であることもわかっている。
それなのに醜い心を曝けようとも、弱い心を執着へと見っともなく変えようとも
を離すことができない。
のことを守りたいのなら離れなくてはいけないのに離すことなんて考えたくもないのは
彼女に対してのどこまでも暗い執着心。
その気持ちが矛盾していることなどわかっている。それなのに僕は……!

だからルフィア、頼む。

光に包まれ苦痛に耐えながら呟くルティの声には必死の願いが込められていた。



                           *

銀朱の月の日を迎えてちょうど半分が過ぎ去った。
魔の月と呼ばれる銀朱月の時、人々は皆月が昇る前に早々と家路へとつく。
そんな中は城へと向かう道を急いでいた。
銀朱の月がちょうど真上に浮かび、街灯だけでは足りない明かりを補っている。
ほのかな朱の色がの横顔を際立たせるように浮き立たせていた。

「早く……早く戻らなくちゃ」

きっとルティが心配している。
先日、本意ではなかったがルティと言い争いをしてしまった。
それもあって自分でも自分の身の回りには注意をしていたが、こんな時間になってしまったのは
仕方がないとはいえ、あまり褒められたことではない。
レイスやルティの件を抜きにしても銀朱月が空に浮かんでいるうちにいつまでも外でほっつき歩いていては
防犯上よろしくないだろう。

「これも突然の研修が入るからっ!」

あまり意味のあるとは思えない、街はずれで行なわれた新人研修とやらのせいでこんな時間まで
かかってしまったのだ。城の中で研修をすればよいものを場所がないせいと街のことを知っておく必要があると
いうことでこんなことになった。街の治安を守るのが国の責任なのならその一人でもある自分達の安全も守る必要が
あるのではないかと思えて仕方がない。
だが、今更もう言ってもどうしようもないことだ。
とにかく早く帰ろうとゼイゼイという息を少しでも抑えながら走り続けるの前に急に何かが飛び出してきたのだった。



                                     *

「きゃあっ」

突然、行く手を阻むように立ちふさがった影に条件反射でストップをかけたはその勢いを殺しきれず、
思いっきり後ろへと弾き飛ばされたように転んだ。

「いたた……」

どうやら腰から落ちたらしい。立ち上がろうとした時に一瞬痛みで腰がガクッとなった。
通常なら労わってゆっくりとその場に蹲るなり、痛みを少しでも和らげるようなことをするだろうが、
今はそんなことをしている時間の余裕はなさそうだった。

「……なんなの、あなた達」

逃げ場を無くす為なのか、バラバラと幾人かがを囲む。
空から射す月の光は襲撃者達を守るように影を作りその顔を隠していた。

「……おまえに咎はない。だが、おまえは十分過ぎるほどあれに関わってしまった。
 恨むなら己の不運を恨むがいい」

の問いかけを無視して淡々と返ってくる答え。
地の底から響くその声に込められているのはに対しての感情ではなく、その者達の指す相手への恐怖。
自分と違うものに対しての嫌悪感を含んだ廃絶と言って良いほどの感情だった。
そういえば以前似たようなものを自分にぶつけられた記憶が蘇える。

「あなた達……ルティの……フェニキア家の人達ねっ!!」



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