ルティ・フェニキア編
第十話
星が空一面に瞬く輝かしい夜。星の瞬く明るさと月明かりを頼りにルティは屋敷への道を
急いでいた。城に出かけたついでに話し込まれてしまったため、思ったより長い時間が
かかってしまったのだ。
ルフィアとの待ち合わせの時間もほんの少し過ぎてしまっていた。
「もうこんな時間じゃないか」
この坂を上りきらなければ屋敷が見える位置までこない。
疲れた身体に鞭を振るうとルティは足早に歩を進めたがふと異変を感じた。
「なんだ?この臭いは?」
丘の頂上へと近付くにつれて、普段では関わりのないであろう強烈な臭いがルティの所まで漂ってきた。
そして明るかった空までも一面雲で覆われたように白い色で埋め尽くされている。
「く……も?いや、違うっ!!」
息を乱しながら辿りついた丘の上でルティが見たものは信じたくないものだった。
「嘘だ、嘘だ、嘘だっっ!!」
夢中で走った。疲れていたことなど忘れ、何故今すぐその場所へ行けないのかと思いながら
苦しい息の下、懸命に走る。
「つっ」
枝を伸ばした木々がルティの頬を傷つけ痛みを走らせたが、そんな痛みなどどうでも良かった。
「ルフィア、ルフィアッ!」
丘を下りきったルティの目に、よりその色がはっきりとわかる。
緋色に近い赤が広がり、そこに映る光景は記憶から剥がれることのない悪夢だった。
*
「燃えていた、僕の目の前で。ルフィアと待ち合わせていた場所が。
僕は嘘だと自分に思わせながらもそこへ飛び込もうとして、止められた」
空ろな目はを通り越して、どこか遠くを見ている。
強くなったルティの両手の震えをは止められない。
ただ、見ているしかできなかった。
「僕には何の力もなく、止められた手を振り切ることもできず、
そして……僕は彼女を助けることができなかった」
でも……と口を開きかけたを遮るように、ルティの視線がまっすぐ届く。
「僕にできることは何もなかったんだ。
彼女を助けに飛び込むどころか屋敷から運び出されたルフィアを治す力さえ。
もしあんなことが起きなかったら、あれがあの時でなかったら…… 現在の僕なら
救うことができたのにっっ!!!」
悲痛な叫び声が部屋に響き渡り、それはの心さえも強く痛みつけた。
悲しみに濡れた瞳も、声も、心も、を苦しませる。
流れている涙より、見えない涙の方が余計に辛かった。
平気を装っていても簡単に消し去ることなどできない。
ルティの心にはルフィアの存在が占められて、それはこの先ずっとついてまわるのだ。
形では残ることのない傷跡として。
「それからしばらくして僕に治癒の力が宿った。フェニキア家でも屈指と言われるほどの力、
幸福と禍の両面をもたらす力が。
それと同時に今まで苦労していたことがすんなり頭に入ってくるようになって、
僕はあっという間に一族一の力を手に入れた。
あんなにも蔑まれていた僕が。ふふっ、皮肉だな」
「だけど」
震える声で呟いたの言葉だが、言っていいものかどうか迷って口を噤むと
ルティが視線で続きを言うよう促した。
「だけど彼女の事故は偶然でしょう?たまたまルティとの待ち合わせに起こっただけのことで」
「違う」
「え?」
「違う。あれは仕組まれた事故だった。僕の力が目覚めることを怖れた一族の計画、
僕を殺そうとした結果起こったことだったんだ」
*
静まり返った部屋の中、どこか遠くから鐘の音がかすかに聞こえてくる。
聞かされた話の衝撃の内容にの開きかけた口は細かに震えていた。
「わかっただろう」
静かに口を開いたルティの表情は先程とは違って、冷静さを取り戻している。
いや、その顔は冷静と言うより表情が出ていない、無表情に近い状態だった。
「わかっただろう。僕の傍にいるといずれこうなるかもしれない。
あいつの、おまえの幼馴染レイスだったか?あいつの傍にいておまえが傷つけられた。
それは関連性がないようで、でも、行き着く先は僕にある。
あいつの傍にいることはより危険性が高まるんだ。
だからあいつの傍から離れてくれ」
ルティを前にしては混乱に陥った。
ルティの言葉の意味がわからない。
ルティの、自分の傍に近付くことが危険だと言いながら、レイスの傍にいることも危険で、
離れろ、近付くなと言う。
二人の傍が危険だと言うのなら、何故レイスの傍からだけ離れろと言うのだろう。
もし、本当にのことを心配だと思うのなら仕事上にしろ、自分の傍からも離れろと言うべきではないだろうか。
ルティの言うことは矛盾ばかりだ。
もちろん、どちらからも離れる気はないがにはルティがわからなかった。
「聞けないわ」
「!」
「ルティの言うことは聞けない。だって、はっきりとした理由も教えてくれない。
危険だって言うのならどうしてレイスの傍からだけ離れろと言うの?
ルティが自分の傍も危険だと言うのならおかしいじゃない?!
それに今までだってあなたの傍にいた人はいるんでしょう?
その人達みんなが危険な目に遭っているの?そうじゃないんでしょう?
だったら、私が危険とは限らない。自分の身だって守れるわ。
もし、どうしても離れろと言うのなら、私が納得する理由を教えて!
私がレイスから離れる理由、私が危険になる理由を教えてよ!」
悔しかった。自分ばかり心が痛んでいるのが。
自分の思い通りに変えてしまおうとするルティ。
そのルティの心を占めているルフィアの存在その全てがあまりにも自分と違いすぎて悲しかった。
「」
普段のルティとは違う、自分の名前を呼ぶ消えそうな小さな声が辛かった。
ルティから視線を外し、俯いたにルティの声が響く。
「理由は言えない。だが、レイスを狙うことがを引き込む結果になると相手も知っている。
そして、それに僕が無関係でいられないことも、僕を壊すことができるかもしれないことも知っているんだ」
いつの間にか、ほんの少し差し込んでいた光は消え、宵闇へと移るわずかな明るさへと変わっている。
だが、二人の間にはわずかな明るさなど何の足しにもならない程の暗闇が徐々に立ち込めようとしていた。
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