ルティ・フェニキア編
第一話
「ふざけるんじゃないわよ!!」
「叫びたくなるのもわかるけどな。少しは落ち着けよ」
ほいっ、水。と差し出されたグラスを言葉の勢いのままグイッとあおる。
一気に喉の奥へと消えていくその様は頭の天辺近くまであがった怒りを水と一緒に飲み込んでいくかのようだ。
自分に与えられた、城の隣にある官吏官専用の建物の一室では自分が来る日に合わせて休みを取ってくれていた
幼馴染ともいえる数少ない友達のレイスに思いっきり不満をぶちまけていた。
その姿は過去に繰り広げられてきた自分達それぞれ各自の鬱憤晴らしの再現かと思うほど酷似している。
最初は敵視をしまくってとてもじゃないけれどレイスと普通に話せる日がくるなんて夢にも思っていなかった。
会う度に喧嘩を繰り返して遠慮もない言動が功を制してなのか次第に打ち解けてきて、包み隠さない姿を見せられることが
どこかホッとするようになった。
いつの間にか一方が一方に愚痴を聞いてもらえる仲に自然となっていくことは当然のことだったかもしれない。
そんな私達を付き合ってるんじゃないか、なんていう人もいたけれどとんでもない誤解よ!
お互いここまで来るにも相当の山越え谷越えの連続だったからやっぱり恋愛感情よりも友情とか同志感が強いと思うわ。
ましてや男女間の友情って複雑だもの。
お互いにさぐりさぐりの感情把握や暇に明け暮れた連中のしがない噂に耐えてきたからね。
精神的にも十分鍛えられたはず。ちょっとやそっとの言葉や態度じゃへこたれないのに。
のにっ!
「あいつらの態度ってむかつくーーーっ!!」
「おい、いつの間に増えてるんだ?」
怒り心頭のをやれやれと横目で伺うとレイスはティーポットからカップへとハーブティーを移し、
香りを堪能してから口へと運んだ。
何回もこうした機会に巡りあうと自分の役割が自然とわかってくる。
不満をぶちまけるにしても、一人きりの部屋で叫ぶよりも断然人のいるところでぶちまけた方が気分も晴れる。
それなら下手に口を挟むより、黙って一緒にいるだけでもにとっては格段に違うはずだ。
だったら、落ち着いてハーブティーを口にすることができるまで自分はただ待っているだけでいい。
できればケーキも欲しかったな、などと考える余裕さは今までの経験の積み重ねだ。
だが、今回の気持ちがいつおさまるかまでは、いくらレイスでも見当がつかない。
それくらいの憤りは深そうであった。
*
ことの起こりは数時間前。
初めて訪ねることになった第二国事官吏室とかいう、固っくるしい部屋での出来事。
お城に入ってからは見るもの聞くこと初めてづくしで、少しばかり挙動不審気味になってしまったが、
はなんとか迷わずに時間までにたどり着くことができた。
「よしっ」
小さく気合を入れて緊張をほぐすと、重厚な扉をコンコンとノックする。
他の部屋から隔離された場所でのその音は、思っていたより辺りに響き何も悪いことをしていないのに
何となくいたたまれない気持ちにさせられそうだった。
「……何?」
部屋の中からは何の音も聞こえない。
時間までに必ず来なければペナルティと謳ってあった割には随分な反応だ。
人が訪ねて来る時には普通迎える側にもそれ相応の準備があってしかるべきではないだろうか。
それなのに何の応答もないとはっ!
「これはないんじゃない」
ふつふつと湧き上がっていく苛立ちをなんとか抑え、一度深呼吸するとは再び扉をノックしようと前に進み出た。
「ん?」
先程には何も聞こえなかったはずの部屋から、今はかすかに人の話し声らしきものが聞こえる。
それもどうやら言い争いに近い。
このままでは自分は放っておかれ、あげくにペナルティを加えられるはめになったらとんでもないと
こみあげてきた危機感からはその気持ちのままにドンドンと思いっきりノックをし、勢いよく目の前の扉を開け放った。
「失礼しますっ!」
叫び声っぽくなった声は、部屋の中で言い争っていたらしい声をピタリと静める効果があったようだ。
だが、に向けられた視線の鋭さはそれ以上の言葉を封じ込める役割を十分に果たし、扉の位置に縫いとめられたように
動けないまま、は立ち尽くすだけになってしまったのだった。
*
「……おまえがか」
問いかけに固まっていた状態から抜け出すとは改めて部屋の中にいる彼らに目をやった。
言い争っていた部屋の住人は二人。
銀髪に近い金髪の鋭い目をした青年と自分と変わらない年齢のオレンジっぽい茶色の髪をした少年。
二人とも立て襟の、いかにもお固そうな服装をした官吏官だった。
重苦しい雰囲気の中、は波立つ心をなだめ、青年に言葉を返す。
「はい。今日からお世話になります。先程ノックをしたのですが、聞こえていないようだったので
扉を開けさせていただきました」
とりあえず時間は間にあったようだとほっとしたのも束の間、鋭い声がそれをぶち壊すように割り込んできた。
「聞こえていないようなら何度でも繰り返せばいいことだろう。許可なく扉を開けるなど礼儀をわかっていないようだな」
「私は時間通りにきて、ちゃんと2回ノックしました。応答がないから心配になって扉を開けたんです!」
先程までの緊張と不安が相まって、の口から反論を紡ぎだす。冷たい口調に怖さを感じそれを脱ぎ払おうと
したこともあるかもしれない。
そんなを少し表情を変えて見つめると黙って隣に立つ少年に視線を移した。
「見かけより気は強そうだ。私に反論するとは。何も知らない事ほど怖いものはない。
まあそれはともかく、先程の件は却下だ。あとはお前に一任する」
「サーシェスッ!そんなっ!」
「反論はなし、拒否権もなしだ。これは国で定められたこと。お前に選択する術はない」
「僕にはそんな暇はないっ」
「ルティ・フェニキア」
サーシェスと呼ばれた青年が少年の名前を言い放つ。その勢いに少年は一瞬ビクッとすると、気圧されたように口をつぐんだ。
「言ったはずだ。反論も拒否もない、と。
今日この日からおまえの仕事が一つ増えるだけのこと。私はただお前にそれを伝え、お前からの報告を国に申告するだけだ。
さあ、私は忙しい。暇がないと言うのならお前も自分の仕事を始めろ」
サーシェスは突き放すようにそう告げるとの横を通り抜け部屋から出て行った。
沈黙と毛羽立つような苛立ちの渦。
今、この空間を占めているのはどうにも重苦しいとしかいえない感情ばかりであった。
*
「あの……」
あまり有難くない雰囲気の中、は仕方なく自分からルティと呼ばれた少年に向かって話しかけていた。
自分がこれからどうすればいいのか、何も告げずに行ってしまった上司らしいサーシェスにも腹が立ってくる。
いくらルティが何をするかを知っていたとしても、上司であるなら普通は正式に挨拶をして説明の一言くらい
言っていくのが当然ではないだろうか。
それなのに名前も話しているのを聞いて知ったくらいだ。
人のこと注意するくらいなら自分も改めろと言いたくなるのは私がおかしいのだろうか。
「おいっ」
話しかけられているのも気付かない位に自分の気持ちに入っていたはゆっくりと少年へと顔を向けた。
ぬけるような白い肌、細い手足、大きな瞳は薄幸の美少年って言葉がピッタリくる。
「仕方がないから説明をする。一度しか言わないからちゃんと聞いていろよ」
だが外見と違って口はすこぶる悪い。面倒くさそうな態度を隠そうとしない所は潔いかもしれないが
どちらにせよ気分は大いに害される。これからお城にいる間に彼に接するとしたら、これにも慣れて
いかなくてはならないんだろうか。仕事だからと仕方がないなんて割り切ってちゃんと自分を抑えることが
できるのかはっきり言って自信がない。ひと悶着ありそうな予感だけがいっぱいに膨れ上がって行く。
ああもうっ!こんなはずじゃなかったのに。
夢いっぱいのはずだったあこがれ生活がガラガラと音をたてて崩れていく。
そんな私の心の中なんてこれっぽっちも気にいていないだろう当の本人は面倒くさそうな、
これまた神経を逆なでしたいのかと言った口調で話し続ける。
「と言ったな。僕の名はルティ・フェニキア。第二国事室の官吏官で先程までここにいたサーシェスの部下だ。
だが同時に城に勤める薬師官でもある。これからお前は二ヶ月間僕の助手として働いてもらう。
僕としてはお前の手助けなど必要はないのだがサーシェスの決定は揺るがない。諦めるしかないな」
薬師官の助手?よりにもよってこの人の?!
「こっちだってお断りよ!冗談じゃないわっ。あなたの上司、サーシェスだったわね?
どこに行ったの?直談判してくるっ」
目の前で繰り広げられた光景を見ていた相手にそんなことを言うの?!
しかも仕方がないとまで言われて何も思わないとでも思っているのかしら?
私だってそんな相手と一緒に仕事をするなんてごめんだわっ。
「無駄だ。僕がさっき直訴しても跳ね除けられたんだからな。国の決定だからと言って。
お前がいくら言っても無理に決まっている。それに僕だって素人に薬草を扱わせるなんて反対だ。
そんな簡単にできることじゃないのに」
知識も何もない者が扱えるはずもない。ましてやこんな子供がと舌打ちをしながら呟くルティに
の怒りも頂点へと達した。
「自分だって子供じゃないっ!私には無理って決めつけないで!
わかったわ、どうせ法律上、城で務めることは決まっている。上等よ。あなたの助手になってその言葉撤回させてみせる!」
売り言葉に買い言葉。熱しきった感情が納まるには相当の時間がかかるだろう。
否、納まりきれずますます積み重なって行くのだろうか。
どちらにせよ、ただ何事もなく日々が過ぎて行くことはないに違いない。
こうしてお城で働くことになった初日そうそうルティ対の戦いの火蓋はきっておろされることとなったのだった。
*
「あ〜あ、どうなることやら」
事情を聞かされたレイスはため息混じりにへと目をやった。
の性格はもちろん、ルティも聞いた話を総合するとどちらも簡単に引きそうにない。
こうなったら無理に気持ちをおさめようとしても無駄になるばかりだからとことん付き合うしかない。
と言っても自分は話を聞くくらいしかできないのだが。
頼むから俺が出る幕にならないようにしてくれよ、とレイスは少し薄情なことを思いながら未だに
怒りのさめないをみて、再びため息をつくのであった。
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