少女の願い
1
いつかこの日が訪れることは覚悟していた。
彼はこの国の王子。いくら世継ぎの君でないにしても、国の為に王子としての責任は
十分頭に叩き込まれているだろう。
それを一家臣である私がどうこう言えることじゃない。そんなことなどできないってわかっている。
それでも私は願わずにはいられなかった。彼がずっと私の傍にいてくれることを。
*
ここ数週間、王宮の中は慌しさに包まれていた。
普段は礼儀作法を口すっぱく言い聞かされている人々も、そんなことにかまっている暇が無いのか、
大きな音を立ててバタバタと忙しそうに走り回っている。役職付きの偉い御仁でさえ、常日頃の自分達の言葉を
忘れたように先陣を切って自分の役目を果たすのに懸命になって注意をする余裕もない。
それくらいここ数週間のセサルディ王国王宮は忙しさに溢れていた。
連日この王宮に持ち込まれた肖像画のせいで。
「ミルフィーン。ミルフィーン、どこにいるの」
「いま参ります」
自分を呼ぶ女官長の声がする。
どうなったんだろう。
ドキドキする気持ちを必死で抑えながら私は女官長の元へと向かった。
仕事に対して誇りを持っている彼女は城内にいる時は顔の表情を緩めない。
そんな女官長の表情はいつもより更に厳しくて、私の嫌な予感ばかりを倍増してくれた。
「ミルフィーン、こちらへ」
感情の混じらない厳しい口調だったけれど、申請は承諾されましたとの言葉でもしやとかまえていた身体から
ホッと力が抜ける。
自分の申請はそれほど無理なものではない。それはわかっていたけれど、今までにも何故か申請するまでに
それとなく彼自身から阻止されたことがあって、今日までズルズルと来てしまっていたのだ。
彼の傍にいたいけれど彼の傍にいたくない。
年を重ねるごとにその気持ちは強くなる。
自分が先に進んでいると思っていたことがすぐに追いつかれて追い抜かされて。
いくら自分の方が年が上だといっても、男女の差はやっぱり大きくて気がつくと私はいつも彼の背中を追いかけていた。
そんな自分が悔しかったし彼がうらやましかったけれどそれで彼が嫌いになるなんてことはなかった。
気持ちはお互いがお互いに向いていると信じていたから。
たとえ、それが幼馴染に対しての感情だけだとしても彼は私を好きなんだと感じ取れていたから。
でも最近の彼はわからない。
王子という立場上、段々城の政務を勉強し始めたこともあるんだろうが何故かそれ以外のことにも精通していて。
ここ数ヶ月、私がしようと思っていた事は全部彼が断わってしまっていた。
どうして勝手に、って詰め寄ったこともあったけれど彼は私を相手にもしなかった。
ただ今まで通りに自分の傍にいればいいってそれだけしか言わない彼が私には苦しくて我慢できなくて。
だから私は彼の傍から離れようって決意をした。今の私にとって彼の傍から離れることは必要不可欠だったから。
城に仕える者は基本自分の意思を表示することができるし尊重されるはずなのにそれさえ許してもらえないのだろうか。
「王子がお呼びです。部屋でお待ちだから早く行きなさい」
女官長の言葉が無慈悲に響く。
彼と会う。申請を承諾したのになんで彼は今更私を……?
こんなに気持ちが乱れたままなのに私は彼の前で平気な顔ができるのだろうか。
*
「ミルフィーン。すまない、忙しいところを」
「いえ……」
セサルディ王国第二王子であるランドルフの部屋は前に訪れた時とすっかり様変わりしていた。
すっきりとしていた部屋の中央には大きな執務机。
最近の王宮の忙しさに比例したのか、机の上には書類の山が積まれている。
そしてそれに混じってあるものが私が見たくなかった、私が彼から離れることを決意した理由。
「ミルフィーン、どうした?ボーッとして」
そう言って彼は私に微笑む。
私がこんなにもそれを見ることが辛いなんてきっと思わずに。
ランドルフが成人を迎えたと同時に送られてきたそれは
各国の美しい姫君達からの求婚の証ともいえる肖像画だった。
男性から求婚するというしきたりはもう昔のもの。
今は女性がいいと思った男性に自分から求婚を申し込むのも珍しくない。
ましてや権力情勢も見込んで、とくれば余計に早い者勝ちで取ったもの勝ちだった。
ランドルフ、少し痩せた……?
私の行動の一部の阻止はされていたけれど、ここしばらくはバタバタしていてランドルフと最後に会ったのは
三ヶ月も前のこと。たったそれだけの間に彼は驚くくらいに変わっていた。
少年っぽさが消え、精悍な表情が似合う一人の青年の姿がそこにある。
成人を迎えた王族の責任の重圧。
一つ間違えれば国の動きを左右するまでになるという強烈な圧力が彼を一気に大人へと変えた。
それに立て続けに来た求婚騒動。疲れていないはずはない。
「大丈夫だ。むしろ仕事のしすぎで剣の練習がおろそかになっているからな。
なまっていそうでそっちの方が心配だ」
心配そうな顔をしている私を察したのか尋ねる前に言葉をくれた。
剣の練習は何もかも忘れさせてくれるし、とランドルフは少し照れくさそうに笑う。
「王子……」
自分に心配をかけさせまいと明るく話を進めていくランドルフに胸の痛みが増す。
自分のことだけでも大変だろうに周りへの気配りも忘れない。
でも今回に限ってはそんな気配りなど必要なかった。
私をこの部屋に呼んだのは一つの理由しかないはずなのに。
こんな緊張感が続くのなら早く話を出してもらいたいと思いながら私は話を切り出せないでいた。
視線にはいる肖像画の存在が余計にそんな気持ちにさせているように思える。
噂だけでも苦しいのに、その事をランドルフの口から直接聞かなくてはならないなんて私にとっては拷問に等しい。
ましてやランドルフの立場からは断わることなんてできるはずもない。
いくら今回は断われたとしても次から次へと同じような話がこれから先出てくるのは当然のこと。
そんなランドルフを見ていたくなくて胸の痛みから逃げたくて決意をしたっていうのに。
どうして?どうしてあなたは私を迷わせようとするの?
教えて、ランドルフ……。
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