愛しくて平和な日常 
            
  



「……我慢できなかったの」

ほんの少し上がった顔の瞳は伏せたまま。マリオンは震える声を抑えながらポツポツと話し出す。
その頬には透明の雫が光っていたが先程までとは違い、気持ちは落ち着きを幾分か取り戻したようだった。

ミルフィーンはそんなマリオンにほっと安心したように微笑むと優しく問いかける。

「何が我慢できなかったの?」

「お兄様があんなことを言ったから。私……その場にいることなんてできなかった」

「マリオン」

王族からの頼みごとはそのまま辞令にも繋がる。それは誰が言わなくとも決定事項であることをその場にいる者達にはわかっていた。

ミルフィーンにしてもそれに従わなくてはランドルフ自身に恥をかかせるだろう、と無理やり自分に思い込ませて気持ちを押し殺して。
誰にもわからないよう、ずっと笑顔でいたから気付くはずはないのに。

それなのにどうしてマリオンが苦しむことになるんだろう?

「だってお兄様はわかっていないっ。自分の気持ちだけ優先してっ!それがミルフィーンをどんなに傷つけるのかなんて!」

びっくりした。
確かにマリオンは大人びいていて人の感情に敏感な子だった。自分と傍にいる時間も長かったから余計に自分の感情に
反応することもあるかもしれない。

でも、それでも

「ミルフィーンがお兄様の傍にいることがどんなに辛いかなんて、この先どれほど傷つかなくてはいけないのかなんて
 どうしてわからないの?!どうしてそんなことを簡単に言えるのっ」

自分の感情をこんなにもわかってしまっているなんて思いもよらなかった。



                         *

「マリオン。どうしてそう思うの?」

ミルフィーンの瞳はマリオンの姿だけを映している。しばらく黙っていたマリオンは瞳に溢れた雫を袖の端で拭うと
ミルフィーンの背に両手を回してギュッと抱きしめ返した。

「マリオン?」

「だって……」

「だって?」

「ミルフィーンはランドルフお兄様を好きなんでしょう?それなのに傍にずっとついていなくてはいけない仕事なんてできるの?
 ……これから先、お兄様の周りにたくさんの人がくるのを黙って見ていることなんて。辛くて、胸が痛くなるのを我慢しているなんて」

私、そんなミルフィーンを見たくない。

想像しただけでも苦しくて……だから逃げてきてしまったの、と言うマリオンの呟きが耳の横で聞こえた。

「マリオン……」

うれしかった。自分で無理やりにでも押し込めていた気持ちをわかってくれていたことが。
そんな自分を思ってくれたことが。

人によっては偽善だとか、余計な哀れみをかけるなんて屈辱だとか思うところもあるのかもしれない。
でも、ミルフィーンにとっては自分より幼い少女が人の気持ちを感じて優しい気持ちになってくれたことが本当にうれしかった。
押し殺していた気持ちが少しでも報われたようなそんな気持ちになってしまう。

「ありがとう、マリオン」

抱きしめた腕に力を込めるとミルフィーンの頬に流れた涙が肩越しに服へと沁み込まれていった。



                        *

「ランドルフ様。申し訳ありませんがお断りさせて頂きます」

「ミルフィーン?」

「断わってもよろしいということでしたので今回はお断りさせて頂きたいと思います」

「ミルフィーンッ、なんでっ!」

今までの落着いていた態度を崩して慌てた声を出すランドルフの姿にミルフィーンはクスッと笑った。
決して断わらないと思っていたのだろう。確かに本当ならミルフィーン自身も自分の気持ちを無視して申し出を
受けるつもりだった。しかも余程の理由を覗いては今まで王族からの申し出を断わる者はいなかった。
ランドルフにとって不名誉ともいえることにもなるだろう。

でもその断わる理由をマリオンは自分にくれたのだ。
マリオン自身とミルフィーンの二人ともが悲しまないように、苦しまないように。
勝手な申し分かもしれないけれど自分達には必要だったから。

だから私は堂々とランドルフ、あなたに向かって言ってみせる。

「申し訳ありません。実はマリオン様からも同じ申し出を頂いたんです」

「マリオンから?!」

「ええ」

自分の傍で手伝って欲しい。ランドルフもマリオンもそう言ってくれた。自分にとって大切なのは二人とも同じ。
それでも今どちらの傍にいたいのかと言われるのならば

「ごめんなさい、ランドルフ。私、マリオンといっしょに頑張りたいの」

大切な妹ともいえる存在。守りたくて、傍にいたくて。
そして何よりも自分という人間をわかろうとしてくれて。
同じ女性だからこそ、わかる気持ちもわかる立場もある。
だから今はマリオンと一緒にいたい。

だってランドルフに対しての私の想いを知っているかけがえのない同志なんだから。
それに辛い気持ちを抱え込むのはもう少し先に延ばしたい。

ねえ、ランドルフ。それくらいいいでしょう?

「……絶対俺に対する嫌がらせだ」

ボソッと呟くランドルフの表情は苦々しく歪んでいる。
久しぶりの子供じみた素顔。
何だかその様子がおかしくってクスクスとミルフィーンは笑い出す。

「こらっ!ミルフィーン。なんで笑うっ」

ちょっとすねた顔になったランドルフを見てミルフィーンの頬から笑顔がこぼれた。
悲しくて苦しかった昨日までの数日が嘘のようだ。

大切で愛しくて平和な日常。
その日々が崩れる日がくるとしても、今はそんなことは考えずに毎日を楽しく過ごしたい。
苦しい時がきてもいつか喜びにたどりつくことができると信じていたいから。
だから今はあなたの傍に一緒にいたい。

あなたも同じよね?ね、マリオン。



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