ある社会人の熱情 
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その日は一年に一度の特別な日。
甘くてほんのちょっぴり苦味のある思い出をつくりましょう。
忘れられない、忘れたくない特別な日を。



「そうよ。決して忘れられないわ」

ふふふ、と意味ありげな笑い声を出した後、涼香は何かを振り切るように勢いよく俯いた顔をあげた。

その目に宿るのは並々ならぬ決意の現れ。
妙に力の入った態度に一緒にお茶をしていた友人も一歩引く。

「なによ、それ。なんかやたらと思い入れありそうだけど、聞きたいような聞きたくないような」

「ぜひっ、聞いてもらいたいわっ」

手に持ったフォークで目の前のチョコレートケーキをグサッと刺すと豪快に一口大に切り取り口に運んだ。



聖バレンタイン・ディ。とても大切で親愛なる人にプレゼントを贈る日。
日本ではいつの間にか女性が好きな男性にチョコレートを贈る日になっている。
日本のチョコレートメーカーの思うままにおどらされている感もあるが今や一年の大切な行事の地位を固めた
と言ってもいい。

「だからこそ、どうしてっ」

「わかった。聞くからそんなに興奮しないで」

せっかくの優雅なひと時が落着かないから、と友人は自分の目の前にあったケーキを避難させた。
お皿に残ったケーキは残り少ないというのにやはり最後までゆっくり食べたいのだろう。
涼香もその気持ちがわかるから反論はしない。

「だって許せると思う?今は誰の為にチョコを買っても何も言われないのよ?!」

「何も言われないって?」

「だから男の人に贈らなくても良いってこと」

「……それはそうじゃない?」

「違うわよっ。前は自分のために買ったり、友達にあげるとか交換するために買ったら白い目で見られたじゃない!」

「だって私は今までは好きな男の人にあげるためにしか買ったことないし」

「あっそうっ」

聞いた私が悪いの?

そういえばそうだ。
思い出してみると、目の前の友人は毎年本命チョコをあげるのに必死になっていた。
友人達が誰にあげるだのと話題に夢中になっている間、自分はただ義理チョコや自分用のチョコをいくつ買えばいいかと
数を考えることに集中していたような気がする。

そしてそれを友人達に話すと

「寂しい人生ね。こう、もっと誰がいいとか気になるとかあんたには恋心ってものはないの?」

ってグサッと胸に刺さるような言葉を言われた。

その問いには今はまだね、と軽く受け流したけれど、その言葉に平気でいられた訳じゃない。
流したのは口を開いたら言い返さずにはいられなかったから。

いい人だなって思う人はいても好きでたまらないって思いつめるまでになる人はいなかった。
好きなものはあっても夢中になることができなかったのと同じ。
自分で気持ちを盛り上げようとしてもうわべだけで心の奥底から感じるものがなかった。

だから自分に素直になったの。好きって思えたら正直になろうって。
(少し意味合いが違うかもしれないけど)

だけど人生って言い切るほどそんなおおごとになるくらいに大事なことなの?
しかも人生この先の方が長いのよ?
それに女の人だって全員が全員バレンタインに関心があるって訳じゃないじゃない?

私だってバレンタインは嫌いじゃない。
けじめじゃないけれどこの日をきっかけに物事が動くことは(告白したり、付き合ったりとか)いいことだって思うわ。
でもだったら逆に気持ちが盛り上がった時にプレゼントを贈ったりしてもいいんじゃない。
ようはきっかけになる日がバレンタイン、って考え方もあると思うんだけど。

そう思っていたのに、よ?!

「いつの間にか友達と交換したり、Myチョコブームになっていたりするんだから」

世間はずるいって思っても仕方がないじゃない。
この時期、普段ではお目にかかれないメーカーや限定チョコレートを買い求める女性は多いという。
しかも健康ブームや女性に贈るために男性購入者もいるとか。

「だからその為の恩恵もこうやって受けている訳でしょう?」

「まあね」

バレンタイン特別ケーキを前にため息をつく。
昔からの変わらない涼香の恒例行事。
自分用に買ったチョコレートの紙袋を涼香はチラッと横目で見るとそれとは別のもう一つの目的であるチョコレートケーキを
複雑な気持ちを抱えてゆっくりと口に運んだ。



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