ある社会人の熱情
5
仕事を辞めたい理由。
人それぞれに理由はあると思うけど大体大きく分けてしまうと二つに絞られるんじゃないだろうか。
一つは仕事自体が嫌だと言うこと。
仕事をするのが嫌で嫌でそれに伴って体までついて行かなくなる。
嫌々やっていれば仕事に対しての集中力も途切れがちになって失敗をしたりして嫌さは倍増して。
これはもうどうしようもない。
続けていても能率は下がるだけだがそこで選択肢はまたもや二つあってきっぱり辞めるか、
一生懸命自分で意識転換を図って無理やり続けるかのどちらかになるんだと思う。
辞めたい理由の二つ目は人間関係。
比重を大きく感じるのはこっちじゃないかな。
人間関係といっても様々で、同じ職場の人はもちろん取引先の人やお客様、はたまたこれから会わなくてはならない未来の人にまで
重いものを感じてしまったり。
気にしすぎは自信過剰の表れ、なんて言われかねないけどそうでも言わなくてはならない理由なんてものがあるから仕方がない。
大体今のこのご時世、間違っていることばかりだ。正直者が馬鹿を見る。
真面目にやっていれば言われ、それじゃあ自分はやらない方がいいのだろうかと思って黙っていればまた言われ。
けれどもともと手を抜くとか、少し誤魔化してみるなんて器用なことは出来る方ではない。
本当は自分だってそんな風に思いたくは決してないのに。
「それじゃあどうしたらいいって言うのっ!!」
否定されづくしのここ最近。わかっちゃいたけどそれでも言わずにはいられない。
そんなもやもやする気持ちを抱えて涼香は何とか続けてみようと思ったことを実行すべく会社を後にしたのだった。
*
人が大勢いるにも関わらず、この部屋は沈黙に支配されていた。
と言っても全く何の音もしないという訳ではない。
リズムよく響く音は部屋のあちこちから聞こえているが誰も話をする人がいないだけだ。
皆、黙々と自分のするべきことを励んでいる。
「少し休憩しようかな」
小さく呟く涼香の声に意識を傾ける者は誰もいない。
自分の世界に入ってしまって気にもならないのだろう。
意識を少し他所へと向けたためによろけた足を何とか元へと戻すように修正すると器具のスイッチを止まるように操作し
徐々にスピードに合わせて足を緩めていった。
動いていた間は気にならなかった体の熱が一気に溢れ出す様に火照ってきて額から流れ落ちた汗が頬を伝っていく。
涼香は息を必死に整えながらタオルで汗を拭い、足を床へと下ろしたが体は正直なもの。
思わず踏鞴を踏んだかのように縺れて転びそうになってしまった。
そんな涼香の様子を隣に並んで走っていたおじさんがチラリと見たが一瞬見ただけですぐにもとのように続けて走っている。
「はぁ〜情けない」
いかに普段運動不足なのかがよくわかる。
たった30分走っただけで足はガクガクで息は整わない。
こんなんでこの先続けてできるのだろうか。
「だめよっ、せっかく決心したんでしょ!」
声を出して自分に言い聞かせる。
誰かが見ていたら危ない人だと思われるが幸い休憩室には誰もいない。
声を出して決意を新たにしないことにはこの一回で挫けそうだった。
今まで思うだけは思っていたけれどなかなか踏ん切りがつかなくて実行に移せていなかったトレーニング。
運動不足とストレス発散がそもそもやろうと思った動機だ。
何もお金を払わずとも普段できる運動はたくさんあるがそれには相当な意思の力がいる。
根性なしで飽きっぽい自分にはとても続ける自信がない。
しかも最近は普通に歩いていても危険がいっぱいだ。
朝出勤前にしろ、帰ってからにしろ、女一人で走るには勇気がいる。
だったらお金を払ってそういった施設に行ったほうがいろんな意味でまだ続けていくことができるだろうと思った。
スポーツクラブも考えたけれどこれも自分の意志が弱ければとても続けられそうにない。
だったらどこならできるのか、と呆れられるかもしれない。
涼香は考えた末辿りついたのが公共機関の施設だった。
民間の所に比べると設備の点では断然劣るが、一回一回お金を払えばいいから無駄はないし
好きな時に自分の意志で行くことができる。
そこである程度続けられる自信がついたら民間の施設へと移っても遅くはない。
「とにかくストレス発散優先!痩せることは後から考えればいいから!」
そう言っている時点で意志が危ういが仕方がない。
毎日の疲れと不満をどこかで分散させないと自分がもたなくなってしまうのだから。
強制で自分に課すのは余計に自分を追い詰めることになってしまう。
だったら、たとえ自分からやろうと思ったことが途中で途切れてしまったり、始める辞めるの繰り返しをして
行ったり来たりの前進がないものだとしてもそれでいい。
例え実行に移すことがなかったとしても考えるだけでも違うのだから。
そりゃもちろん実行に移した方がはるかにいいに決まっているけれど。
仕事の不満を吹き飛ばすには自分なりの解決法を探して日々を過ごしていくほかにはない。
「眠るのも食べるのも欲求不満の解消法よね」
仕事に疲れ、人間関係に疲れ、肉体的にも精神的にも疲れた涼香を癒すもの。
それを毎日模索しながら過ごしていくのが最高の過ごし方かもしれない。
だから頑張るわよ。だってそれが私なんだから。
back novel