ある社会人の熱情
3
ううっ、緊張する。
勇気を出して、覚悟を決めてここに来たのに迫り来る時に向けて心臓は慌しく暴れだす。
緊張のあまり目眩までしてきた。
誰もいない部屋は自分一人の存在を否応なしにも強調する。
やがてスリッパを履いた足音が近付いてきたが、まるでドタドタと走ってきたかのような、
大きな音を立てているように耳の奥に感じた。
「お待たせしました。それでは始めますね」
扉の開く音と共に聞こえた声は優しげだったが、これから起こる事を予想して涼香の喉はゴクリと鳴った。
「痛い、痛い、痛い〜〜〜っ」
「動かないで下さい。余計に痛くなりますよ」
それは十分わかっている。
でも条件反射、体は痛みから逃れようとして勝手に動いてしまうのだ。
冗談抜きで本気で痛い。
痛さのあまり、両目には涙が滲んできている。
この痛さには痛みに強い人だってちょっとくらい声をださずにはいられないだろう。
「全身から力を抜いて。大分解れてきました。もう後はそんなに痛くはないですよ」
その言葉に強張っていた体から自然と力が抜けた。
そのまま目を瞑れば安心感か、余計に痛みから遠ざかっていく。
「ああ。眠い」
あれだけ痛かったのが終ると現金だけど今度は計ったかのように睡魔が襲ってくる。
起きてなくっちゃ、と思いながらもその誘惑には勝てず涼香は眠りへと誘われていったのだった。
*
「………ぃ」
頭の上から誰かが何やら言っている。
覚醒しきれない頭はその声で今日の出来事をぼんやりと思い浮かばせた。
職場での人間関係の位置に突然何を思ったのか不服を言い出した先輩達。
そんなことそんなに気にすることかなぁと思って素知らぬ振りをしていた涼香に降りかかったのは
八つ当たりという名のとばっちり。
ただでさえ、仕事でストレスためまくりの上に来たのがこんなことなんて。
ああ、本当ついてない。
少しずつでもいろんな事に慣れてきて当分は毎日グッスリ眠れるだろうと思っていたのに。
一定期間で何かをやってくれなくてもいいって無言のアピールをしていたのになんでわかってくれないんだろう。
やっぱりそういう空の下にいるのだろうか……。
「ううんっ。弱気になるな。そんなことないっ」
自分で自分に喝をいれ、仕事を定時に切り上げてこうしてここにきた。
「起きてください。終わりましたよ」
「んぁ」
いけない、いけない。
現実と回想が混じってしまってうっかり声に出してしまっていたかも。
う〜ん、それにしても
「痛気持ち良かった〜」
「それはこちらもうれしいですね」
ほぐしがいがありました、とニコニコ笑顔で言ってくれた先生に涼香もつられてニッコリ笑った。
*
「ふぅっ。やっぱり軽くなった感じ」
凝りに凝っていた体はマッサージのおかげですっかり解れて軽くなっていた。
ストレスと極度の肩こり、それに日々の運動不足のせいで溜まっていたうっぷんまでどこかへと追いやってくれた。
自分でやって効果のあるものならいくらでもやるが、こればっかりは他の誰かにやってもらわないと効きはしない。
病気と違って緊急性がないから自分から行こうなんてよっぽどでないと思わないし。
押してもらったツボは胃や腸、腰のツボの所も痛くて自分で知らないうちに無理をしていたのがわかって思わず苦笑い。
「これでもう少し安かったらなぁ。あ〜あ。やっぱりお金もないとだめなのね。
仕方ないなぁ。生きていて体を使ってる訳だし。それじゃあコリがなくならないのも当たり前って」
贅沢はほどほどだからより効果があるのよ。
無理やり自分に納得させて自己完結する涼香。
今時点で、今日の出来事が頭から忘れつつあるということはやっぱり効果満点、気分転換方法最適。
それとも単純なせいではないはず、だよね。
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