ある社会人の熱情
2
色とりどりの洪水。目にも素晴らしいたくさんの形。
「う〜、悩む〜」
それらを前にして涼香は思いっきり悩んでいた。
向こうへ行っては立ち止まり、こっちへ戻れば腰を屈めて覗き込む。
これを何の目的をもたずにしていれば挙動不審とも取られかねないがいかんせん他の誰から見ても
何でこのようにしているかははっきりしている訳で。
「よしっ」
やや大きめな独り言を呟くと屈んでいた腰を上げて奥へと向かって声をかけた。
「すみませ〜ん」
お客へのサービスがしっかりされているお店ならでは。
たっぷり悩んでいた客にやきもきしていただろうに、そんなそぶりを全く見せずにニッコリと笑顔で涼香の前にきてくれた。
「はい。お持ち帰りでしょうか?」
「食べていきます。えっと、それで注文は……」
飲み物と散々悩んだ末に選んだものを注文して案内された席へと落着く。
店内はまだ時間帯が早いせいか涼香以外はカウンター席に一人いるだけだ。
ほんの少し証明を落とした店内に静かに流れるクラッシック曲が調和していて知らずに緊張していた肩を落として
ホッと小さく息を吐いた。
「お待たせ致しました」
抜群のタイミングでケーキと飲み物が運ばれてくる。
期待通りのものにワクワク感が沸いてきたけれど、何とかその気持ちを押さえ込んで冷静を保ったが
ほんの少しそれは成功していなかったかもしれない。
でも人がいないから大丈夫。
顔が少々崩れるくらいなんてことないだろう。
店員さんが部屋からいなくなった後でケーキの包み紙を慎重にはがし熱いアッサムティを口に含んだ。
「うん、おいしい」
濃い目に出てしまうアッサムは本当はストレートよりミルクティの方があうのだけれど
紅茶の味をじっくり味わいたい時や生クリーム系のケーキ・こってり系のケーキの時は何もいれずにその味を楽しむ。
そしていよいよ待ちに待ったケーキへとフォークをつき立て口へと運んだ。
「〜〜〜たまらない。おいしい〜!」
悩みに悩んだ末選んだ季節限定マンゴーを使ったケーキ。
固めのタルト生地の上にスポンジとマンゴーを使ったクリーム。
そして最後の締めは生のマンゴーをしっかり乗せてその上からダメ押しとばかりのマンゴーソース。
聞いているだけならクドく思えるかもしれないけど、今の自分にとってはこのくらいのトッピングと甘酸っぱさは必要だった。
本当に食べている時は幸せで至福の時間なんだけど、その至福の時間を過ごすのもそうしょっちゅう出来るわけではなく。
食べながらも頭の片隅に思い浮かぶのは昨日の出来事だった。
*
「何考えてるかわかんないわよ、あの子」
お昼を食べようと休憩室への移動中耳に入ってきたのは自分の名前。
今までなら余分な事は気にしないようにしようとしていたはずなのに何故かそこで足が止まってしまったのは
深く考えずに条件反射的な行動だったと思う。
自分が普通に何の関わりのない、同僚の人と認識している人でその人の口から自分の名前が出るのは
単に仕事関係のことだろうと疑わずにいた。
だから足を止めてしまったのかもしれない。
でもまさかそれが自分をこんなに打ちのめすことになるとは想像もしていなかった。
「あの子の行動って知ってる?実はね」
止まってしまった足を動かしていると自覚した時にはかなり時間がたってからだった。
パンでも買って食べようと思っていたけれどとても時間も気持ちの余裕もなくて。
それでも仕事を放り出して帰ることも出来るはずもなく。
涼香は痛み続ける心を無視するように何とかその日の仕事を無事終えることだけを必死に考えていたのだった。
*
次の日が、仕事が休みでよかった。
眠れない夜を過ごし、ちょっとはれぼったさの残った目を俯き加減の姿勢で隠して
こうして今このテーブルで至福の時を過ごしている。
忘れっぽくもないし、かといって気にしていない訳でもない。
ただずっと痛い気持ちを抱え込んでいても自分が苦しいから。
それだけの理由で他の幸せへと気持ちを転化している。
自分とあまり関わりの無い人でさえもが自分を悪く言っている。
相手に害を与えたつもりもないし、別段目立って派手なことをしていたこともない。
それなのに気にいらない人にとっては 自分 という存在があるだけで気にいらないこともあるのだと
わかりたくもないけど知った。
それは自分ではどうすることもできないし、もし、気に入らない部分があって直すとしてもそう簡単に直せれないと思う。
どうしたらいいのだろう。
涼香は考えた結果こうしてお店でケーキを頬張っている。普段よりリッチに穏やかな気分になれる方法で自分の心を静めようと。
もちろん贅沢ばかりするのも気が引けるし、度々してもその効果が薄れるだろうからこれでいい。
今回はリッチ気分でリラックスがテーマだったけれど別の時にはとにかく食べて飲んで忘れようバイキングもかかせない。
それに伴っての付加が気になるといえば気になるがそれで自分の気分が晴れるのならそれに勝るものは無い。
所詮、女心は食べるものとは切っても切れない関係なのよね。
そう無理やり自分に納得させる気持ちこそ涼香の本当の意味での熱い気持ちかもしれない……気がする。
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