甘やかな調べ 

 受難と幸福の出会い 2 


さわやかな風がふき穏やかな日が続くようになってきたと言うのにクラウドの気分は一向に晴れなかった。
自分の中だけでなく周りにまで薄暗い雰囲気を振りまいている。
その余りの姿にギョッとしたように避けて通る人々にさえ気付かないほどクラウドはどん底まで落ちきっていた。
その原因は今から向かう講義室にいるはずだ。
深くため息をついた自分に再びため息をつくクラウドは気分が落ちきっているというのに
心なしかうれしそうな表情も浮かべていることを自分では気がつかずにいたのだった。



                    * 

国内有数の貴族であるヴァートン家はお抱えの領地を担当する軍を抱えている。
広大な敷地に莫大な資金は国に与える影響も少なくない。
現に今回クラウドに来た件でも自分の所では処理できず国に泣きついた結果だ。
たとえそれが些細なことだとしても国としては放っておけなかったのだろう。
それが回りまわって結果今の状態になっているかと思うと余計にもやもやした気分になりそうだ。
だが受けてしまった以上、今更断わることもできない。
それにそれ以上にクラウドの日々にいい意味でも悪い意味でも色を与えてくれている存在は
心の中から当分出て行きそうにないだろう。
己の不甲斐なさに嘆きながらもそんな自分を認めざるを得ないことを心の隅で納得していた。


                    
「何事だっ!」

何かが倒れたような振動と大きな音が講義室の方から突然聞こえた。
この先はこの屋敷でも限られた者しか入れないはずだ。
しかもいつも講義が始まる時間は決まっているためこの辺りには立ち入りを遠慮して誰もいないし誰も来ない。
だが確かに大きな音がしたのは疑いようがない。
クラウドは嫌な予感と逸る気持ちを抑えながら急ぐとノックもなしに講義室の扉を勢い良く開いた。

「アイシスッ!」

扉を開けると同時にいつでも抜ける状態で剣に手をかけ部屋に視線を運ぶ。
並ぶ部屋と同じ位の大きさの部屋は物が余り置いていないために何かあればすぐにわかるはずだ。
人の気配も殺気も感じられない。

おかしい。

だったら先程の音はいったい何だったのだろうか。

「先生〜助けて下さい〜」

聞きなれた情けない声に警戒心を少し解き振り向いた俺はあっけにとられ思わず固まってしまった。
ばらけた物と大量のほこりで空気が濁って見える。
だがそこにあったもの、それはクラウドの唯一の生徒この屋敷の一人娘であるアイシスの頭からほこりにまみれた
見るも無残な姿だった。

「馬鹿か、おまえはっ」

緊張感を極限まで高めていたクラウドはほっとしたせいもありアイシスに思いっきり怒鳴っていた。
ちゃんとこの時間にクラウドが来ることを知っているのにどうしていつも大人しく待っていられないんだろうか。
見たいものがあれば来てから言えばいいものを何で勝手に危ないことをしようとするんだろう。

ブツブツ言いながらイライラ歩いていると呟くようなぽそっとした声が耳に聞こえてきた。

「酷いです」

自分でも悪いと感じていただろうし、今まで怒鳴られたこともないのだろう。
ショックを受けたようにアイシスは悲しそうな顔をして俯いた。

その表情に胸が痛む。思わずこちらが謝ってしまいそうになったがグッとこらえる。
もともとかわいいものには弱いがこれを許してしまうと全てに甘くなってしまうだろう。
しかも下手をしたら怪我をしていたのかもしれないことだ。
こんな表情をされると辛い。辛いがここは我慢して何とか言葉を口にのせた。

「怪我をしたら心配するだろうが」

服の袖でそっと汚れた顔を拭いた。機能的に作られた薄手の布なら痛くないはずだ。
うっすらと汚れた顔を軽く拭い、髪についたほこりも丁寧に払う。
視線を合わせるとアイシスの瞳は悲しそうに揺れた。

「すみません。でも少しでも自分でやってみたかったんです」

「?何をだ?」

「台があったから上の段にある本を取ろうと思ったんですけど思ったより本が分厚くて重くて。
 それに台が壊れていたみたいでバランスを崩してあっと思った時には転んでいました。
 痛かったけどうれしかった。私は今までこんなことさえ自分でやったことがなかったんです。
 みんな私には甘くて少しでも苦労をかけないようにと何でもやってくれる。
 それはうれしいことです。私のことを思ってって言う事だから。
 でも本当はそんな態度が重くて苦しかった。
 甘やかされれば甘やかされるほど自分がどんどんいなくなっちゃうみたいで……」

恵まれている、甘やかされている。

それは本当に幸せなことでこんなことを不満に思うなんてそれこそなんて傲慢なんだろうと思う。
でも、自分でできることさえ自分でやることができない。
うれしそうな顔を見れば自分でやってみたいと言うことさえも。
黙ったままで受け入れたままでいれば一生このままでいなくてはいけなくなってしまう。
だから前よりは自由を与えられた機会に自分でやってみようと思った。
自分からわがままであることを言ってみようって。

「だからおまえ剣を習いたいって言ったのか」

「はい。勝手なことを言ったと思っていますがでも私にはもう限界だったんです」

少しでも自分を周りを変えてみたいと思った。その一歩を踏み出したかったから。

「クラウド先生にはご迷惑をかけているのは承知しています。
 でもお願いしますっ。どうかこれからも私をご指導して下さいっ」

必死の思いで頭を下げるアイシスを見下ろす。
それは普段に彼女からは想像も出来ないほどに必死で辛そうだったけれど同時にとても強かった。

「おまえ格好いいな」

告げる言葉がアイシスの想いを伝えてくる。
甘やかされていることに甘えずにあえて自分から抜け出そうと必死にもがいていた姿は
かわいい外見とは違ってすごく格好良かった。

「私がですか?」

「ああ。かわいいけど格好いいよ」

最初は嫌々だったのに接していく度に惹かれていく自分が止められなくなる。
きょとんとしている目の前の少女に苦笑をしながらその手をとった。

「そうやっていろんなことを積み重ねていけばそれは力になる。
 たとえおまえの周りの人間が初めは戸惑って止めようとしてもいずれわかるさ。
 おまえの想いをおまえがどれだけ頑張って頑張ろうとしてるかを」

誰だって目が離せなくなる。

もちろん危なっかしいっていうのもあるがそれだけじゃない、内側から輝いている。
自分をしっかりと持っている。だから

「俺もおまえの手助けになりたい」

かわいくて格好いい、初めての生徒アイシスという一人の人間にクラウドはいつの間にか惚れ込んでいたのだった。



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