受難と幸福の出会い 



「先生〜」

今にも死にそうな、疲れて気の抜けた声が聞こえる。

ここはヴァートン家専属の軍の演習場の一角。
広大な敷地は関係者以外立ち入れぬ様、厳重の警備体制が敷かれている為危険はないはずなんだが
それにしてもこの腑抜けた声はいったい何なのか。

「ここは安全地帯だ。生命の保証は確保されている。安心しろ」

「十分危険状態に陥ってます」

声は聞こえど姿は見えず。

また今度は何をやらかしたんだ。

「ここです。ここ」

辺りを見渡した俺の視線が最後に辿りついたのは俺よりずいぶん後方で地面に顔から倒れ付しているアイシスの姿だった。

彼女と会ってから何度も見てきた光景。
逃れようとしたのに逃れられない、自分より精神的・肉体的に弱いものを放っておけない自分の性格を呪いたい。
その上、嫌とは言えないし、女性・子供・かわいいものに徹底的に弱い俺。
この半ば押し付けられるように任されたヴァートン家のお嬢様はその全ての条件を満たしていた。



「俺が、ですか?」

「君が一番適任だと満場一致で決定した」

こんなことは異例だよ。喜びたまえ、と報告をした俺の上官の顔は満面の笑みだ。

俺を誇りに思ってくれるのか?
いや、そうじゃない。
まだまだ騎士として新米の俺がお偉方の全員一致でそんな大切な役目に決まるなんて絶対に何かあるっ。
まるで自分ではやりたくなかったことを逃れられたことへの安心感、と言ったところか。
それがこの不自然すぎる程の満面の笑みとなって表れているのだろう。

「俺より優れている人ばかりなのにどうして俺に決まったんですか?」

「クラウド、それは自分に対して過小評価過ぎるよ」

そうは言っても本当にそうなのだからどうして俺になったのかの理由を聞きたいんだ。

だが、それなのに困った顔をしながらもう決まってしまったことだから、と上官は続ける。
俺は、君なら出来るよ、と付け加えられた慰めにもならない言葉を貰い、もはや拒否権のない辞令を聞くこととなったのだった。



部屋に足を踏み入れた途端、クラウドは今すぐ向きを変えて引き返したい気分にさせられた。

だってそうだろう。
これはあまりにも俺には不似合いすぎる。
ふんだんにレースを使い飾った部屋は、見た目だけでも甘く女の子らしい雰囲気なのに香水かそれとも花の香りなのか、
部屋中に甘い匂いが充満していた。
そして人形かと思うほどの華奢で可愛らしい少女がにっこり微笑んでいる。

「クラウド先生ですか?」

夢だと思いたい。
あまりにも俺からは遠い世界に位置している。
これはいじめか、嫌がらせか。
俺ならできる、なんてやっぱり体のいい厄介払いだったんだ。
今ならまだ間に合う。いや、無理にでも間に合わせてもらう。
さあ、引き返して代わりの奴を連れて来れば…

「どこへ行かれるんですか」

チッ。案外目ざとい。

俺の逃げの体勢を察して言葉をかけられた。
いくら俺でも声をかけられたまま放っておくには良心が痛む。
強張った顔を必死に平静な顔に戻すよう心に言い聞かせると覚悟を決め少女へと向き直った。

「……君が?」

「はいっ、アイシス・ヴァートンです。先生、よろしくお願いします!」

「先生って……」

「だって私に剣を教えてくれるんですから!」

貴族の中でも上の位置に属するヴァートン家のお嬢様が何をとち狂ったのか父親に剣を覚えたいと申し出たらしい。

それなら専属の軍を抱えているのだからその中から教える者を選べばいいものを。

「みんな私に甘いんです」

それは当たり前だ。
蝶よ、花よと育てられた大事なお嬢様に傷をつけるなど到底できないだろうし、
そうでなくともこれだけ華奢でか弱そうに見える少女に厳しく教えるなど難しいに決まっている。
ことごとく断わられた結果、軍にも影響力を持つヴァートン家当主がこの話を持ち込んだに違いない。

それなら最初に自分の所で決まらなかった時点で、いいや、最初に彼女が剣を覚えたいと言った時に拒否すれば良かったのだ。

だが、どうやらそれすらも断わりきれなかったらしい。

不甲斐ない奴らばかりだな。

アイシス曰く、いろんな理由があったらしいが彼女に甘い者達ばかりだったら無理だろう。
何せ、この大きな瞳で見つめられてお願いと言われれば……俺でも返答に困ってしまいそうになるかもしれない。

「あまり責められないかも。仕方ない、か」

呟いた俺の声にアイシスは首を傾げたが何でもないと答える。
きっと俺のこういう所をわかって上官は俺を選んだのだろう。
他の奴は俺のことをまじめで融通が利かない、たまには楽になることも断わることも必要だと言うのだが
最終的にはいつもやることに決まっている。
特に、頼まれる相手から視線を合わせられると何かに呑まれてしまったように頷くことになっている。

今回は上官からの命令と言えど目の前にしたのはか弱い少女。
そんな俺に結局断わりきれるものではなかったのだ。

「これも性か」

俺は天を仰ぎ覚悟を決めると少女の前に片膝をつき視線をあげた。

「失礼しました。俺はクラウド・シーウェス。
 今日からあなたに剣を教える役目を拝命しました。しばらくの間ですがよろしくお願い致します」

視線と視線が交わる。
略式の挨拶で紹介をした俺にアイシスは邪気なくにっこり微笑むと立ち上がるよう促した。

「アイシス・ヴァートンです。ご指導よろしくお願いします」

これが俺とアイシスの初めての出会い。

それは俺にとって苦難と受難と幸福に包まれた日の始まりを告げた瞬間だった。


                                30000hitお礼作品     2007・08・03達成 
next   novel