大いなる幸せ
1
「なぁ、いる?!」
大きな声とともに執務室の扉が勢いよく開いた。興奮に顔を輝かしたヴァルアスがそのまま止まることなく部屋へと飛び込んでくる。
自分に視線が一気に集まることなどお構いなしだ。部屋の主の冷たい視線にももちろん気が付いていないに違いない。
「うるさい」
静かでありながら重圧感を持った一言がヴァルアスの口を一瞬閉じさせる。この部屋にいる者以外ならそれだけで十分黙るだろう。
だが幸か不幸かヴァルアスは嫌と言うほど聞きなれている。心をすくませることはなかったが辺りを見渡す余裕はできたようだ。
視線をぐるりと一回りさせると今度は不機嫌そうな顔をしたサーシェスへと言葉を投げかけた。
「は?」
「おまえの耳は遠いのか?私は静かにしろと言ったのだが」
「サーシェスだって俺の言うこと聞いていたのか?はいるのかって言っただけだろうが」
強い口調も鋭い視線も全く効き目のないヴァルアスにサーシェスも自分が冷静さを少し欠いているのに気が付いたのだろう。
落ち着かせるよう小さく息を吐き出すとわずかに苛立ちは混ざっていたがいつもの無表情を何とか取り戻しヴァルアスに淡々と
言葉を吐き出した。
「おまえなら自分でわかるだろう。ここにはいない。城の外へ使いを頼んだところだ」
「あのなあ、いくら俺でも残り香が残っているし正確にわかる訳ないだろう。耳じゃそんなに探りきれないし。
と、そんなことよりを一人で行かせたのか?!何かあったらどうする!どこだ?今から追いかけるから教えろよっ」
「大丈夫だよ」
今にも飛び出さんばかりのヴァルアスを穏やかな声が押し止める。今まで静観をしていたリュークエルトが執務の手を止めてこちらを見ていた。
「大丈夫って何かあってからじゃ遅いんだぞ」
「城の外っていってもいつもの市場の店だからね、間違いはないさ」
「でも絶対ってことはないだろうが」
「は気転もきくし、護身できるようお前からその術も習っているんじゃなかったのか?
それにあんまり縛り付けてもね。一人の時間も欲しいと思うよ。大切にするのと過保護にするのは違うんじゃないか」
リュークエルトの言葉にヴァルアスが黙る。
自分が一方的に気持ちを押し付けていると言うのか。柔らかな笑顔は揺るぎない。自分にはない心の余裕を見せつけられたようで
胸が締め付けられたように強く痛んだ。
「あのさあ、リュークエルトだって結構構いまくってると思うんだけど。まあ、人がどうしようとどうでもいいけどね。
はあんまり深く考えてないんじゃない?結構気まぐれな所もあるし本能に突き動かされているだけだと思うけど。
そんなことよりさ、仕事ほっぽって何の用だったんだよ」
のんびりとした、それでいてさり気なくほんの少し余分なことを混じらせながらルティがやや緊迫した雰囲気の中に割って入ってくる。
助けに入ったようにも見えるがそうではないだろう。執務に飽きたのか今まで取りかかっていた書類は机の隅に乱雑に寄せられている。
話に混じることでこれ幸いと仕事の手を止めただけに違いない。
「あ、あ。実はに内緒の話があって」
「内緒?」
「がここに来て月も一回りも超えたじゃないか。お祝いじゃないけどどこかに出かけないかと思ってさ」
「記念ってこと?」
「でも一回りとちょっとだなんて記念って言っても今更じゃないか」
「その時期は大変でそれどころじゃなかっただろ?だから落ち着いた今のうちならって」
また何かあるとは思いたくないがせっかく平穏な時間があるうちにと思ったのだろう。何かなくとも唯でさえ忙しい部署だ。
仕事に振り回されれば考えることさえままならなくなることも多い。時間はもちろんだが精神的にも余裕であればそれに越したことはない。
「珍しいな。いつもなら自分一人でって動くのに」
「そりゃその方がいいけど、今回はのお祝いだからな。の意向に沿うさ」
そうは見えなくともここにいる者は意外と独占欲が強い所があり、本当ならと出かけるならそれぞれ自分だけと一緒に、と思っているに
違いないだろう。中には苦虫を潰した様な、また面倒くさそうな表情をした者もいるがそれでも結局はの笑顔にはめっぽう弱い。
最終的にはしぶしぶながらも了承するのは確実だ。
「全員良いようだな。じゃあサーシェス、開いている日はあるか?」
「勝手に決めるなと言いたい所だが……まあ仕方がない。
全員が何もしなくてもいい日があったら俺達は用済みにされるだろうな……しかし比較的後に回してもいい仕事がある日がないこともない」
「用済みって辞めさせられるって意味じゃないよな。そんな可能性のありそうなこと怖いから言うなって。俺は無事に老後を迎えたいんだからな。
そんなことより最初から余分なこと言わずに言えよ。ここにいる全員の仕事を後に回せるってことだよな」
「そうだ」
ようやくいつものペースを取り戻したヴァルアスがサーシェスの言う予定にいろいろと口を挟みながら半ば強引に話を進ませていく。
仕事の量を考えると一日開けるだけでもとんでもなく無理がある。後からくるしわ寄せにぞっとしつつもの為とあればと口を挟まず黙って聞く
リュークエルトとルティだった。
サイト8周年記念作品
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