傷ついた瞳 
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そこには残骸と呼ぶにふさわしいものだけが残されていた。

銀朱色の月明かりがその光景を不気味に照らし続けている。人が暮らしていたであろう建物は
今はその形を保っておらず異様な臭いが辺りに充満して踏み込もうものならかなりの覚悟を
要するものであるに違いない。だが何の躊躇もなく、一人の少女が一歩一歩よろめきながらも
そこへと近づいていった。

「どうして……」

膝が崩れるようにその場へと座り込む。
呆然と、目の前の現実を否定するかのごとく首を振った。

「そんな……嘘よ、嘘よね。こんなこと何かの間違いよ。
 だって、私以外ここに人がくるはずなんてない。あの人達がこんな所に、ましてや私に関心を持つなんてありえないわ」

あの人達、一族の人間が私に関心を持つことなんてありえない。
屋敷にいた時ならともかく、こうして一人になってからまで私を気にするなんて。

頬を涙が流れていく。堪え切れない気持ちが次々と溢れ涙へと変わっていく。

一人でいたことへの悲しみと苦しみをようやく希望へと繋げていこうと思っていた。
それなのにそれがまたここで崩れ去ってしまう。

「どうしてまた」

私の存在はあの一族の中ではもう消し去ってしまっているはずなのに。
今更あの場所へと戻れないことなどわかっている。私もあの人達も。

それなのにどうして?

「おまえがここにいるからだろう?」

誰もいないと思っていた場所から声がかかり、少女がぎくりと身体を強張らせた。
薄暗い闇に紛れ無事な木に背を預けた影がゆっくりとそこから離れ少女へと近づいてくる。
深い赤の光が溶け込むようにそれでいてはっきりとその影を浮かび上がらせていった。



                             * 

幼い頃から銀朱と呼ばれる月の夜は嫌いだった。
自分という一人の人間の無力さを嫌と言うほど味わわなくてはならなかったから。
個人としての人格より一族の人間、・フェニキアとしてしか存在を許されなかった。

フェニキア家に伝わる特別な力が全てと教え込まれてきたにとって銀朱の月は苦痛を
もたらすものでしかない。解放をもたらす月の光が刃となって全身に突き刺さる。
特別な力を持たず生まれたは一族にとって何の役にも立たない存在だった。

それでも名を連ねるものとしてかろうじてそこにいることを許されていたのに。

時は立ち止まることを許さない。周りを巻き込みそして連れ去る。運命の先へと。



                          *

「おまえのいる場所はここにはない」

感情のない淡々とした男の声が宣言した。

贅沢をこらした調度品ばかりの部屋で三人の男の視線が一点へと集まっている。

「とりたてて技術も能力もないおまえがここにいることなどできないのはわかっているはず」

「そのとおり。今までおいてやっただけでも感謝されるべきだ」

「私ならとうの昔に出て行っているね」

蔑みと憤りと。よくこの場にいれたものだと嘲笑にも似たものが男達の間に浮かぶ。
人の上に立つことに慣れた者の傲慢さ故に何をしてもいいという空気がこの空間には溢れていた。
話すこと全てが決定事項で覆されることなどあるはずもない、いや、話すことさえ時間の無駄だと。

支配する者とされる者しかいない、絶対的なもの。
それが彼らにとっては当たり前のことで唯一の真実だった。

「一族の名前を持つことさえ本当は許しがたいことだが、さすがにおまえがいたという事実を消し去ることはできない」

「だが恥ずかしくて自ら名乗ることなど普通はできないと思うがね」

「唯一の情けだ。我々の領地内に留まることは許そう。しかし、一切の援助はないものだと思うのだな」

これで話は終ったと彼らは振り向くこともなく部屋を出て行く。
後に残るのは一言も言葉を発することを許されなかったの立ち尽くした姿だけだった。


                                                             3周年記念作品
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