散花



俺がゆき先輩を見つけたのは桜の花が咲き始めた頃だった。

グランド脇を通る人はたくさんいたのに先輩一人だけに自然と目がいった。
風に流されてきた桜の花を手に受け、うれしそうに微笑む姿に俺の瞳は釘付けで。
それ以来部活の合い間にこっそり覘いていた。
まだその頃の俺は中学生でグランドと道を遮るフェンスみたいに遠い距離に歯噛みをしているほかはなく、
ただ先輩と同じ位置にいる男達に取られないように祈るだけだった。
幸いそれからしばらくしてゆき先輩もこちらを見ていることに気がついて声をかけることができたけれど
そうでなければ今頃はこうしていられなかったに違いなかった。

痛い心を抱えることになるのなら声をかけないでおこうとも考えたけれど。

情けない、勇気がないと言われても同じ立場に立つことさえ難しかった俺にはほんの少しの一歩さえ
踏み出すことが出来なかったんだ。
年下で、身長も低くて、男っぽい外見じゃない自分を振り向いてくれるなんて思ってもいなかったから。

それから月日が経ち、同じ敷地内にある高校に通い始めて一年が経とうとした頃、俺は再びゆき先輩に想いを告げた。

返事は俺と一緒にいる先輩を見て予想がついていたけれどそれでも本人の口から俺の望む言葉を聞きたくて
どうしても感じたくて少々苦しい思いもさせてしまったかもしれない。

でも、それくらい俺は求めていた。

ゆき先輩……ゆきをずっと……。


                    *

「あ、ゆき。啓人くん、来てるよ」

マキちゃんが教室の入り口に視線を向けて言った。
テストが終わりあとは冬休みを待つばかりとなった生徒達は我先にとそれぞれの場所へと慌しく飛び出していく。
もうすぐ年が終ろうとしているこの時期は先生達ものんびりしたいのか部活動もほとんど休みとなっていた。
まあ、もともとあまり部活が盛んな学校ではないから、普段から他校と比べると休みも多いのだけれど。
かばんを持ってマキちゃんにバイバイと手を振ると啓人くんの待っている入り口へと急いだ。
お待たせと告げると薄く微笑み、落ち着いた声がゆきを誘うと先にたって歩き出した。

「それじゃあ、帰ろうか」

並んで歩くことは多かったけれどこうして先を行かれることはあまりない。
並んで歩く時と違って目の前を歩く後ろ姿はまるで何からも守ってくれるようなたくましさと余裕を感じられた。

「あ……」

思わず声が漏れる。
今まで気がつかなかったけれどいったいいつからだろうか。視線の位置が前より変わっていた。

お互いに想いを告げてから半年と少し。
まだそれだけしかたっていないのにこうして目に見える変化がゆきの周りの時間の流れを物語っていた。
同じ高さにあった肩は今ではゆきの首の位置になっていて、声も深みを帯びた低めの声へと変化していて。
何も怖がることはないはずなのにどこかこみ上げてくる震えにゆきは両手で自らの体を無意識に抱きしめる。

「ゆき?」

違和感なくその口から紡ぎだされる名前。
ずっとこう呼びたかったと言われ、呼ばれるようになった自分の名前を当たり前のように呼ばれる不思議。
戸惑う気持ちを抱えて立ち止まるゆきと同じように足を止めた啓人くんは心配そうにこちらを見つめていた。
その大人びた表情にゆきの中に悔しい気持ちが芽生えてしまう。

「ずるい」

想いを伝え合ったあの日から過ごした時間は同じなのにどうして一人だけそんなに先を
歩いていってしまうのだろう。
隣にいるはずなのに距離があいてしまったようなそんな遠い感覚がゆきの心を痛くする。

「啓人くん、ずるい。どうしてそんなに平気なの?
 一緒にいたはずなのに私を置いて先に行ってしまって。待ってって言いたいのに私……」

伸ばそうとした手さえ、戻してしまうしかない。

勝手なことを言っているし、八つ当たりだってわかっているけど、急にこんなに変わってしまったら不安になってしまうの。
背が高くなって声も低くなって、何かをする時だって私が気がつく前に全てを終えてしまっているから。
置いていかれる様な気持ちに余計なものまでこみ上げて来てしまう。

「ゆき、ちょっとこっちにきて」

黙って見ていた啓人は俯いていたゆきの手を取ると少し強引に歩き出した。
慌てるゆきを気にすることなく脇目も振らずに進んで行く。

「啓人くんっ」

「いいから」

誰もいない廊下を階段の踊り場まで引っ張られ、息を切らしているゆきに構わず啓人は
静かに手を離すと微笑んだ。
想いを告げられた時と同じ笑顔にゆきは言おうとした言葉を噤む。

「やっと始められたんだ」

「啓人くん?」

「想いを告げてそこからやっと始まった。
 同じ時間を歩むことができるようになってうれしかったけれどゆきに相応しい男になりたくて必死だった。
 身長が伸びて、声が低くなって、外見的には変わっていくことができるけどどうしても年の差だけは
 埋めることが出来ない。
 やっと追いついた、やっと同じ位置に立つことができた。そう思ってもいつも不安だった」

「そんなこと気にすることなんて……」

「ゆきがそう言ってくれるってわかってるからさ、だから余計に情けない姿を見せたくなかったんだ。
 必死になっている所もそうやって思っている感情もゆきには知られたくなかった。
 つまらないプライドかもしれないけど」

でも、ゆきを失いたくないから。
それだけは絶対に。

だからいつも平気なふりをして先を見ていくことに必死だった。
ゆきの考えていることに気付く余裕もなく。

「ねえ、啓人くん」

桜の花が咲いて散ってから時間はたっていたのだ。
ゆきの中でも、啓人の中でも、二人の間で確実に。

「私達桜の下で過ごしてきたよね。
 つぼみの頃から花が開いて散って葉っぱだけになっているけど、ずっと一緒に見てきた。
 花が咲いていたっていう名残はないし今は目で見ることもできない。
 でもちゃんと残っているものがあると思わない?」

「残っているもの?」

「うん。消えることがないものがね。形はなくなってしまっても心の中には残っている。
 その情景が思い浮かぶ。時間を重ねても環境が変わっても消えることなく積み重なって残っていくの」

「ゆき」

「また来年花が開いても忘れない。花が咲くたびに思い出す。この想いを」

桜の季節を過ごしてきた。一人で、そして二人同じ場所で。

桜の花は散ってしまっても散りきることは決してない。
いつまでも心の中に咲き続く。

決して無くなることのない形のない花が。



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