未来への始まり
見渡す限り同じ光景が続いている。
空と同じようでありながら同じではない、透き通りながらも深みのある青。
少しべたつきの混じった風を受け、リンディは飽きずに海を見続けていた。
「ノーガ、どこに行くの?」
注意がそれているのをこれ幸いとばかりその場から静かに逃れようとしていたノーガは
リンディの声にいつもとは違うおどおどした様子でリンディの方へとゆっくり向き直った。
「リンディ」
「駄目よ」
「……即答か」
「だってノーガ逃げる気満々だったでしょう?いつもは人にたっぷりお小言言ったりするくせに
こういう時だけ私が何やったって注意もしないんだから。わかりすぎるくらいわかるって」
言いながら少し眉をしかめるとノーガはバツの悪そうな表情をしてふいっと身を翻した。
普段は勢いよく上を向いているしっぽも今は力なく下に足れている。
本当に今回の目的地への旅は嫌なのだろう。
だが、リンディとて譲ることはできない。何しろ予定の場所は海を進まねば行けない所にあるのだ。
「いつまでもここにいてもいいの?」
二つの意味をのせて言う。
この場所に佇んでいてもいいのか、そして、ずっとこの大陸から出ないつもりか、と。
ノーガは何も言わないが、この大陸にこだわっていることはリンディも気がついていた。
忘れられない何か、忘れたくないものがあるのだろう。だから離れることを嫌がっていた。
リンディにだってその気持ちはわかる。
旅をしてたくさんの場所を訪ねたくさんの人に会い気持ちに触れ合った。
ほんの一時の、それでもかけがえの無い瞬間を感じてそこから離れがたくなったことは何回もある。
自分の心の一部を置き去りにされていくような気がしてたまらない気持ちにさせられて。
でもだからこそ次の場所へ進まなくてはいけないと思った。そうしないといつまでも自分は本当の意味で変われないだろうとも。
辛くても寂しくても勇気をだして一歩を踏み出す。新しいものを掴むために。
会えないだろうとわかっていても次に会えた時に今よりももっとお互いに判りあいたいから。
「俺はここにいないと駄目なんだ!」
感情が突然爆発したかのようにノーガが叫んだ。瞳と瞳が交差する。
「……どうしてなの」
「俺の罪をつぐなうために」
視線の強さが意志の強さをそのまま伝えてきた。
*
沈黙が支配する。
リンディはそれを断ち切るべきかどうか躊躇ったがその沈黙を先に破ったのはノーガだった。
「俺一人が群れの中で唯一生き残った。
俺という異質な存在を見放さないで受け入れてくれていたのに俺は仲間を見殺しにしたんだ」
堪えきれない苦痛の叫び。傷ついた心がいつまでも癒えないでくすぶっている。
そんなノーガを見ていたリンディは同じように苦しそうな表情を浮かべながらも問い返していた。
「なにがあったの」
「客観的にみれば事故だろうな。だが、俺にとっては事故じゃない。
俺だけが異変に気がついていた。それなのに俺の勝手な判断が惨事を防げなくなってしまった」
目の前をその光景が横切る。仲間を埋め尽くしていく土砂の凄まじさが今でも頭に焼きついて離れない。
その瞬間からノーガのなかの何かが消えていった。
「生への執着が薄れていくのと同時に死への道を辿るようになった。
ああ、誤解するなよ。進んで死にたいと言っている訳じゃない。
ただ俺は俺の死に場所を探して旅をするようになったんだ」
自分がどうしてこんな存在であったのか、仲間を救えなかった自分が生きていいのかと考えながら
毎日を過ごしてきた。
一人で当てが無く旅を続けて、本当にただ生きていただけだった。
「それがある日から目的がほんの少し変わった。リンディ、おまえに会ってからな」
「私と?」
「最初は興味からだった。おまえ俺と初めて会った時驚きはしてもそれだけだったろう?」
ノーガの言葉にリンディはその時のことを思い出す。
確かに、驚きはした。おおいに驚いた。
でも、それまでも一人で旅をしてきていろんなことに遭遇して驚くことに慣れすぎて
感情の一部が麻痺してしまっていたのかもしれない。
「私、狼ってすごく好きだったの」
「……?」
「すごく自由で仲間を大切にして、いいなあって思ってた。
だからかな。驚きはしたけど一緒に旅をしたいなって思う方が強かったわ」
実際、たくさんのことを知っていて強くて、心が本当に強くてずっと一緒に行きたいって思った。
自分ではあまり力になることができないかもしれない。でも、それでもノーガのパートナーは他の誰にも絶対譲りたくないって。
「それは嬉しいな」
「そう思ってくれると私もうれしい。
私じゃ何の役にも立たないかもしれないけどいっしょにいたいって気持ちじゃ負けないわ。
だからこそ私はここからあなたを連れ出したい」
「リンディ、それとこれとは違うだろう!」
「違わないわよ。あなたが旅をしている理由私ははじめて聞いたけど余計にここから出なくちゃいけないって思う。
ノーガ、聞いて」
瞳を逸らさず想いを込めて。
「あなたは仲間を思う気持ちから囚われている。
確かにノーガが言っていれば事故は未然に防げたかもしれない。
そうしたらこうして私達会っていなかったかも。でも……」
目の前で開きかけた口を視線で制する。
「起こったことを無かったことには出来ない。過去にいつまでも囚われていては進んでいけない。
今までのことをなかったことにするんじゃない、それを乗り越えていくの。
ノーガがいつも私に教えてくれるでしょう?だから今度は私が言うわ。
あなたの仲間はあなたがここに囚われていることを望んでいない」
ノーガとともにいたなら同じ気持ちを抱いていたはずだ。
強く、より強く、そして自由に。
「あなたは一人で行くんじゃない。あなたと一緒に仲間も旅を続けていくの。縛られず、自由を求めて」
それに私もいる。少しは受け入れてくれているってわかるから胸を張って言うわ。
私も一緒に旅を続けて行きたいから。
「そうだな。俺は自分の気持ちさえ見失っていた。
……ありがとう、リンディ。みんなは俺といっしょに旅をしていたんだな」
俯いていた心が前を向く。視線と同じようにまっすぐ、遠い道の先へと。
下がっていた尾も心と同じように上に上がった。
「行こう!何があるかわからないが俺達の行ける限り」
「うん、行ける限りこの先もずっと!」
いつまで行けるかなんて今は考えなくていい。
先がある限り、進んでいける限り、気持ちの続いていく限りずっと一緒に。
自分を探していく、積み重ねていくもっと。もっと、未来への道が始まるの!
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