本当の理由



本は膨大な知識の宝庫だ。学術書などの専門的なものはもちろん、大衆に読まれている娯楽書や子供向けの本からでも学ぶべきことは
たくさんある。料理のレシピ本でさえもだ。学術を教えてくれる専属の教師に指定されたものだけを読んでいたマリオンにとってそれ以外の
ものは未知の世界のものだった。必要なものさえ目を通していればいいと言われそのまま受け入れていたのだが、今は何て惜しいことを
していたのだろうと後悔している。民衆の間では子供の頃に読まれている絵本でさえマリオンは読んだことがなかった。こうして王族専用の
書庫にあるのにだ。何も堅苦しい本を読めば知識がつく訳ではないと今では身を以てわかっている。だからこうして時間を取り戻すように
次から次へと貪るかの如く、あらゆる本を読み漁るようになってしまったのだった。



「え〜と、今日はこれね」

机の上に積まれた本を手に取ると傍らにある道具に手を伸ばした。シェルフィスに会ってからのマリオンの日課は本の修繕をすることだ。
もちろん強制的にやらされている訳ではない。自分の意志で意欲を以て行っている。最初こそシェルフィスの反対があったが、反対されても
めげずに毎日続けていたらこうして今ではマリオン専用となった机の上にやるべき本が積まれるようになった。
技術的な意味でも今では信頼されていると思っている。でもマリオンにとって一番嬉しいことは、自分の存在を少しでも受け入れてくれているで
あろうシェルフィスの気持ちだった。

「よし、これで終わりっ」

いつもより少ない冊数だったため、予想よりも早く作業が済んだ。マリオンの修復に付いての判断や作業の向上もあるが、それでいて修復の具合が
雑になったこともない。楽しみながら進める気持ちが次へと繋がっているのだろう。今ではマリオンの知識への探求は尽きることがない。ただそれが
すぐに効果を表すかどうかはあまりにも多岐に渡る分野の為時間がかかるとみていいだろう。

「今日は何を読もうかしら」

昨日まで読んでいた本は読み終えてしまった。何冊もある空想の物語の本であったがマリオンは夢中になって10冊以上のそれをたった3日間で読んだ。
もちろん自らの王女としての時間を終えてからだ。心湧き踊る話はどれだけ読んでも飽くことはない。これまでにもいくつか読んだが、面白いだけでなく
身近なことを見直すべきだと思わせるものだった。これが切っ掛けとなって城外の表通りだけではない所も行ってみたいと思ったからだ。現実を知ることは
甘いだけでは済まないことばかりだろう。だが、だからこそ知るべきことなのだ。王族として目をつぶっていてはこの国は衰退へと進んでいくだけだ。
マリオン自身も夢の世界しか知らず、自分の狭い世界だけにいるだけなら、自らを向上することもなく怠惰に1日1日を終えることとなっていたに違いない。
こう思えるようになったことこそが自分が進歩したのだと実感できているのだと思う。

「終わったのか」

音もなく、近づいた姿が静かに声を掛ける。本を探そうと腰を上げたマリオンを呼び止めた声は珍しく緊張を含み、顔も若干強張って見える。常に仕事に追われる
シェルフィスはマリオンから声を掛けない限り自ら声を掛けることは滅多にない。最近では慣れてきたせいか、その表情や声にも感情が混じるようになったが
それでも仕事の時間からの続きでは感情は影を潜めていると言ってもいい。すぐに分かるほどでは何があったのだろうと不思議に思っても仕方がないだろう。

「シェルフィス、どうしたの?」

マリオンの問いに答えず、無言で一冊の分厚い本が目の前に出される。問うように見上げても変わらないままだ。
マリオンは首を傾けながらもその本を手に取り開いた。

「これっ!」

パラパラと捲るだけでもわかる異国の文字。所々にある地図や絵は異国の様子を描いているのだろう。驚いてシェルフィスを見ると静かな視線が返ってきた。

「おまえが読みたいと言っていた隣国の今の様子を纏めた本だ。この国の文字とは違うがこの間渡した辞書を使えば調べられるはずだ。
 時間はかかるかもしれないがおまえなら読み切れるだろう」

以前、マリオンが言っていたことを覚えていてくれたのだ。いくら隣国とはいえ、他国の書物を手に入れることはこの国にとっては難しい。ましてや個人で手に
入れることなど手間もかかり諦めてしまうのが普通だ。いくら伝手があったとしてもなかなか手に取ることなどできはしない。それなのにふと呟いたマリオンの
言葉を覚えていて手に入れてくれるなんて思ってもいなかった。

「シェルフィス……」

「普段手伝ってもらっている礼だ。他の本を手配したついでに頼んだだけで、特別にしたことでもない」

そっけなく言いながら顔を隠すようにマリオンから逸らす。微かに見えた表情は彼らしからぬ気恥ずかしげなものだった。

「ありがとう」

マリオンの言葉に返事はない。それでも礼を言うマリオンに満足したような様子が彼の態度から端々に見て取れた。

「時間はかかるかも知れないけれど頑張って読むからね」

「……無理をしないようにしろ」

「うん、大丈夫よ」

「おまえの大丈夫はあてにならない」

返ってくる言葉に嬉しさが一層こみ上げてくる。心配をしてくれているのがわかるからだ。
体が辛くても通うことをやめられない理由。それは決して本だけがではないとこの部屋の主はわかっているだろうか。

微かな微笑みに自らも微笑みを浮かべながらシェルフィスの不器用な優しさにより惹かれていく自分を改めて自覚したマリオンであった。



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