温かな光に



「本当に大丈夫?」

次の場所に行くための支度をするマリオンを不安げな表情で見つめながらミルフィーンは頼まれた物を手渡した。
本を紐で束ね、他に必要なものを手早く袋に詰め込んだその顔にはやり遂げた後の達成感が浮かんでいる。

「後少しだけだから大丈夫よ」

「でも……」

「心配してくれてありがとう」

ミルフィーンに向ける顔はいつもと同じ満面の笑顔だ。だがその奥にわずかな陰りがあるのが気になって仕方がない。それもそのはず。
最近のマリオンは今までとは格段にやるべきことが増えている。急激な変化にそう簡単に体が付いていけるはずもなく本人が自覚していなくても
体には相当な負担が来ているはずだ。いや、きっと本人は自覚した上で動いているに違いないが。

「じゃあ約束して」

一度決めたら余程の事でない限り、自分の考えを撤回しない相手は心配だからという理由だけでは予定を変更してくれることはないだろう。
だからと言ってこちらの気持ちを無視する訳でもないので余計にどのように対応してよいかが困るのだ。そうなればもうこちらの気持ちは
諦めて本人の口から安心をさせてくれるような言葉を引き出すしかあるまい。

「少しでも疲れたと思ったらちゃんとそのことを伝えてね。無理をしても自分もあちらも大変になるだけよ。
 もうしばらくすればこちらも落ち着くしそうすれば時間を取ることができるんだからそれから自分の納得するまでやるのでも遅くはないでしょう?」

ゆっくりと言い聞かせるように話すミルフィーンにマリオンも素直に頷いた。瞳をまっすぐこちらへと向けてくる。言うことを違える場合はこんな風に
見て来ないからすぐにわかる。昔から変わらない癖だ。

「約束するわ」

「陽が落ちたら戻って来るのよ」

「ええ、それ以上無理はしないから」

夢中になると時間も忘れて没頭してしまう姿を知っているミルフィーンにはその言葉に素直に頷くことができない。
だが何事にも真剣になることができるマリオンの姿勢を崩したくないため、荷物を手に持つと笑顔で手を振りながら閉じる扉を
黙って見送るしかミルフィーンにはなかったのだった。



                                    *

書庫へと出入りをするようになってからいろいろな事を知った。基本、書庫には光が届かないよう設計されている。
広大な書庫の中でも本棚の設置してある場所にはそのような場所になっているが作業をする場所や調べものをする場所などの空間は
きちんと分けられておりそこでは本にあまり負担にならない程度の明かりが届くようになっていた。もちろんそれとは別に隣接して
小さな部屋が用意されておりそこで休憩が取れるよう簡単な調理設備が整っていた。そのような部屋があることもここへ出入りするように
なってから初めて知ったがこの部屋の主は申し訳程度にしかそこを利用しておらず、その真価を発揮するようになったのはマリオンが
来るようになってからのことのようだ。ミルフィーンに軽食を取れる為の一式の道具を用意してもらい運び込んだせいもあってまるで別の
空間のように人の気配が感じられる場所になった。そのことについてシェルフィスは何も言わない。初めてお茶を入れた時もお礼の言葉を
もらったがこの場所を使うことについては何も触れなかった。もちろん最初に運び込む時に許可はもらった。だから不快には思っていないと
思うがかけられない言葉に不安になる。全ての不安に繋がって行くのはこんな時だ。小さな心の躓きが大きな綻びとなって行く。
それが疲れとなり体を蝕んで行くのをマリオンは自分でも気が付かずにいた。



「ん……」

目を開くと柔らかな光がゆっくりと射しこんできた。いつの間にか眠ってしまったのだろうか。お茶の支度をしようと部屋に入ったが
それからどうしたのかが思い浮かばない。それ程睡魔が強かったのだろうかと一瞬考えてしまったマリオンだったが慣れない感触に
気が付き意識を素早く覚醒させた。天井だろうか。白く明るい色が目に飛び込んでくる。どうやら体が横になっているようでその原因を
思い返してみるが浮かんでくるのは取りとめのないものばかり。しかも体の大部分は絨毯の感触を伝えているが上半身、頭の部分が
どこか違って感じる。それを探るべく慌てて体を起こそうとしたマリオンだったが力強い何かに邪魔をされてしまった。

「まだ眠っていろ」

青く鋭い光が真上からマリオンを貫くように覗きこむ。灰色の中に潜む青い光が有無を言わせぬ強さを放っていた。

「シェルフィス……?」

広い書庫の片隅で膨大な資料を整理していたはずで遠く離れたこの場所のことなどわかるはずもないのにどうしてここにいるのだろう。
ある程度時間は決めているがいつもマリオンがお茶を持っていく時間はまだ先のことで用のない部屋に来ることなどなかったはずなのに。

「まだ横になっていた方がいい。おまえは倒れたのだから」

「倒れた……?」

確かに部屋に入ってからの記憶はない。だが倒れるほど体調が悪くはなかった。でも……ん、倒れた?

「シェルフィス!!」

あまりにびっくりして息が止まりそうになった。大きく出た声が半分悲鳴のようにひっくりかえってしまっている。
だがそれも無理はないだろう。先程から体の感触がおかしいと思っていたがマリオンの頭がシェルフィスの脚の上に乗せられて
いたのだから。

「な、なんでっ、あっ、私……」

「落ち着け、そのままにしていろ」

慌てて起き上がろうとするマリオンを言葉と手で押しとどめたシェルフィスの表情はその手と同様強く厳しいものを含んでいる。
自分の失態に思わず涙がこみ上げてきそうになってしまったマリオンの頭に柔らかく温かなものが触れた。

「少し休むといい」

強くも優しいシェルフィスの手が同じリズムでマリオンの頭を撫でて行く。呆然とするマリオンの心情など気にもせずそのリズムは
少しも狂うことがない。

「おまえの世話係から聞いた。この所いろいろと忙しかったようだな。気をつけて見ていて欲しいと言われていた」

「ミルフィーンが?」

「私を少しも怖がらずにおまえのことを頼んできた。余程心配だったんだろう。誰に対しても態度を違えない、そうした所はおまえに似ているな」

ほんの少し笑みのようなものを浮かべてマリオンを見るシェルフィスの瞳も先程の厳しいものが少し綻んでいる。

「そんなっ、シェルフィスが怖いなんて!」

なんで怖いなんてことがあるだろう。こんなに優しく私を見ていてくれるのに。私が話しているからだけじゃない。ミルフィーンだってちゃんと
自分の目でシェルフィスを見ている。私を預けて大丈夫だと思っているからここまで話に来てくれたはずだ。

「良い言葉の方があまり言われたことがないだが、まあ、今回はおまえの言葉を信じてみよう。
 それより、俺は無茶はするなと言ってあったと思うがちゃんと聞いていたのか」

「大丈夫だと思ったの。体がちょっとだるく感じたくらいで」

「それを体調が悪いと言うんじゃないのか……顔色がまだ良くない。ちょうどいいからこのままもう少し寝ていろ」

「でも、仕事が……」

シェルフィスの仕事の邪魔をしてしまったことに焦りを感じてしまう。自分の仕事どころか人の迷惑になるようなことをしてしまうなんて。
少しは慣れてきてできるようになったと思っていたことなど一瞬で消し飛んでしまった。

「おまえの仕事も俺の仕事も急ぐものは何もない。それより今は休息を取ることが仕事だ」

こんな時に本当に自分はまだ子供なんだと感じる。相手に重荷を掛けないように言葉と態度をとれない自分が悔しくて堪らない。
自分の言葉を待つシェルフィスに小さく言葉を返すことしかできなかった。

「もう大丈夫」

「顔色が良くないのに何を言っている。そう言う時はゆっくり休みを取るものだ。根を詰め過ぎた時こそ一息つく方が効率がいい。
 人の事は言えないかもしれないが。そうだな。俺だけでは休みを取らないからちょうどいい」

膝の上にマリオンの頭を乗せたまま、壁に体を付けるとシェルフィスの瞼が静かに閉じられた。

「おまえの気配は心地いい」

半分消え入りそうな声なのにまるでマリオンを包み込むように耳に届く。ほんの少し見えた顔は普段見られない子供のような
あどけない表情をしていた。湧き上がってくる気持ちを抑えながらマリオンも倣う様に瞼を閉じる。

「おやすみなさい、シェルフィス。ありがとう」

受け入れてくれてありがとう。私もあなたが傍にいてくれると心地いいの。

心の中で呟いた言葉。僅かな光しか届かない静かな空間はそれ以上の光をもって温かく輝いていた。



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