あなたへの言葉
薄暗い部屋に差し込むかすかな光を頼りにマリオンは恐る恐る前へと進んでいた。
立ち並ぶ書棚の間を覗きながら目的の人物を探すが今日に限ってどこにも見当たらない。
もともと物音を立てずにひっそりといるから、いや、と言うよりはその独自の発する威圧感で相手を
近寄らせないといった方がいいだろうか。とにかく人と接することを好まない彼にとってこの場所は
唯一安心できる場所であるはずなのだが。
いつもならどこかの場所で作業をしているのにその気配すら感じないなんてマリオンがここに来てから初めてだった。
「……シェルフィス」
小さく呟くような声で呼びかける。
邪魔されるのを極端に嫌がる彼は気配に敏感だ。
たとえ小さな物音にしろ、すぐに何らかの反応を返してくるだろう。
それなのに部屋は静まり返ったまま。
もし所要で呼ばれてでもいたのなら、この部屋には鍵が掛かっていて入ることはできない。
だから絶対にどこかにいるはずなのに。
部屋の中央部分の空間には作業がしやすいようにする為と、疲れたらくつろいだりもできるように
大きな机といすが置かれている。今までは最低でもそこでこの部屋の住人を捕まえられていたのに
そこには誰もいた様子もなかった。
「シェルフィス」
不安になる。
一人だった彼。世の中の全てに関心のなかった彼にとって心の中に突然何かが襲ってきたら
いったいどうなってしまうのだろう。
憎しみという感情のみに支えられていた彼からその強いものを取り去ってしまうよう仕向けたのは
その対象であった自分。心の痛みに耐えながら、それでもマリオンという自分を見て欲しくて
しつこく付き纏った。
彼にとって鬱陶しくて仕方がなかった存在。
それなのに強引に彼の生活の一部に入り込んでしまったのは自分。
少しは自分の存在も受け入れ始めてくれていると思っていた。
でも、もしそんな自分に彼自身が嫌悪感を抱いてしまったら!
マリオンは奥へと走る。
狭い通路を無理やり走るせいで体のあちこちをぶつけたが痛みになんてかまっていられない。
マリオンはただ彼の姿だけを求めて走った。
「あ……」
いた。
部屋の一番奥の窓際。小さな机に頬を預け、普段は冷たく光る瞳を閉じている。
窓から射す光がシェルフィスを温かく包んでいた。
穏やかな呼吸は彼を夢の世界へと運んでいるのだろう。辛らつな言葉を紡ぎだす唇は柔らかく微笑んでいるように見えた。
「よかった」
無事でいたことが。安らかな眠りへとついていることが。
「よかった」
彼の眠りを妨げないよう小さく呟くとマリオンは彼の前に座り、ほっとしたからか眠気が襲ってきた誘惑に負け、
同じように瞳を閉じたのだった。
*
「…………!」
どこかから声が聞こえる。怒っているような戸惑っているような声。
ぼんやりと少し夢見心地だったマリオンはその声で自分の状況を思い出すと慌ててうつ伏せていた顔を上げた。
「シェルフィス!」
「いきなり大きな声を出すな。ここをどこだと思っている」
冷静で淡々とした口調。マリオンの瞳に映るのはいつもと変わらないシェルフィスの姿。
そんなシェルフィスにホッとしながらもマリオンはシェルフィスへと急いで謝罪の言葉を告げた。
「ご、ごめんなさいっ。勝手に入って、しかも眠っちゃったなんて!
シェルフィスを探してたら、その、なかなか見つからなくて、それで見つかったら見つかったで
眠った姿を見たら安心しちゃって、つい一緒に……ごめんなさい!あ、許可書ならここに……」
「……いい」
「え……」
「もういい。おまえが許可をちゃんと取っているのはわかっている。
それにここはもともと王室専用の場所だ。俺に何かを言えることはない」
「そう……そうね」
先程までの向上していた気分が少し落ち込む。
シェルフィスの言葉は自分と彼の間をきっぱりと分けてしまうようなそんな風に捉えられた。
いつもの彼の言葉と変わりはないのに今は先程までの不安と安心の気持ちを交互に味わったせいか
胸に痛みを感じる。
「シェルフィス、ごめんなさい」
マリオンは零れそうな涙を隠すためにそっと俯いた。
揺れる言葉をシェルフィスは変に思ったりしないだろうか。
口を開いたら何を言ってしまうかわからなくてそのまま黙ってしまったマリオンの耳にシェルフィスの声が小さく届いた。
「すまなかった。心配をかけた……ありがとう」
その言葉に勢いよくマリオンの頭が上がる。
だが、既にマリオンの瞳に映るのはまっすぐと伸びた背中だけ。
こちらを一向に振り返りもしないシェルフィスにマリオンは小さく息を吐くと微笑みを浮かべ、
その背中にそっと身を預けた。
「私こそありがとう」
私を一番心配させるのはあなた。
あなただから他の誰を思うよりも胸が痛くなるし、不安になったりもする。
でも、それでもあなたがいてくれてうれしいの。
あなただから私に小さな幸せをくれるの。
ありがとう。あなたに伝えたい大切な言葉。
それはあなたと交わしたい私の幸せの気持ちなの。
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