甘い苦しみ



「ねえ、ミルフィーン」

いつものお茶の時間、マリオンがカップをおいておもむろに訊ねてきた。

「ミルフィーンがお兄様を最初に好きだって自覚したのっていつだったの?」

「…………!!」

ケーキをフォークで切ろうとしていた手が滑ってお皿の上で嫌な音をたてる。その勢いで隣においてあったカップに手が当たり
中身が大きく揺れこぼれそうになった。

「マ、マリオンッ、いったい何を……!」

「何をってずっと聞いてみたいなぁって思ってたの。だってミルフィーンと私達って幼馴染でしょう?
 一緒にいる時間も長かったから兄弟みたいな感情だってあるわけよね?それなのにその気持ちが変わったのってどうしてなの?
 それに兄上だって一緒の立場だったのにどうして兄上じゃなかったのか、とか。私だったら絶対兄上を選ぶわよ」

マリオンの言うお兄様とは第二王子ランドルフのことであり兄上とは世継の王子カークを指している。
第一王子の立場を敬っての呼び方もあるかもしれないが大部分がマリオンの想いの向け方だろう。もちろん二人を同等に慕って入ると思うが
頼り方の度合いがそこに表れているように感じられてしまうかもしれない。

兄妹故、かなり手厳しい言葉はマリオンらしいがにこやかな表情に比べて瞳は真剣だった。
初めて恋をしたマリオンが苦しい想いをしていることは知っている。しかもかなり難しい相手に。
そんな想いを抱えているマリオンの質問をミルフィーンは無碍にすることはできなかった。

「……私が17歳の時よ」

「ミルフィーンが?じゃあ、お兄様は……15歳!?」

マリオンの言葉にミルフィーンは少し恥ずかしそうに逡巡した後、ゆっくりと頷いた。俯いた頬がほんのりと薄紅色に染まっている。
一瞬、そんな姿が今の年齢ではなく、その当時の年齢のような錯覚をマリオンは覚えた。

「どうしてそう思ったの?どんな所を見て」

一緒の時間を過ごすことが多かった相手をそれまでとは違うように見ることになるなんて余程のことがあったかのように思えてしまう。
ましてや相手はあの兄だ。世間では兄はしっかりしていると見ているらしいがマリオンにとっては詰めが甘く一歩も二歩も何事につけても
出遅れている。どうしてもカークと比べてしまうために余計に頼りなく思えて仕方がない。

まあ、恋愛感情への鈍さや不器用さは二人ともどっこいどっこいなのだが。
それでもミルフィーンが頼りない兄に対して恋愛感情を抱くのはかなり不安で心配なことだった。

「一緒にいることに心地よさを感じたり嬉しかったり。そういった気持ちはずっと持っていたわ。
 それはランドルフにしてもそうだったと思う。
 そうね、私が初めて恋愛感情で彼のことを好きだって思ったのは執務する姿をみるようになってからよ」

「そういえば私達は15歳から徐々に執務をするようになるからそれからってこと?
 ミルフィーンはその頃ってまだお仕事の勉強中だったんでしょう?」

「ええ。女官長について仕事を覚えている最中だった。でも自分にも余裕がない時期だったからかしら。
 自分で自分をともすれば追い詰めてしまいそうで楽しいことって言うのはなかったかな。
 あ、マリオン。勘違いしないでね。私があなた達三人のうちの誰かについて仕事をすることは決まっていたけれど
 それが嫌とか他の仕事がいいとかはなかったわ。もちろん重圧がなかったとは言えないけれどそんな時、
 ランドルフの今までと違う姿をみることになったの。
 くったくのないいつもの表情が真剣で一生懸命で彼の仕事への情熱が伝わってくるようで自然と目が離せなかった。
 今までとは違う……一瞬で魅かれた」

いくら今まで国や執務に関しての勉強をしてきたといっても実際にやることになればわからないことだらけだろう。
事実、その頃も今も顔をしかめたりして仕事をしていたりする。

「でもそれなら兄上の姿だってみているのにお兄様だけに感じたなんて……」

兄上の方が経験も豊富で自信にあふれていて素敵なのにと呟くマリオンにミルフィーンは苦笑する。

「マリオンはカーク様びいきなのかしら?私だってカーク様は素晴らしい方だと思うわ。
 それに執務や剣術だけでなく人望にもすぐれているし。でもね、マリオン。私はランドルフから目が離せなかった」

高い壁にぶち当り苦しむことは二人ともあるだろう。
同じことをしたとしても同じ結果にならないことだってあるかもしれない。
ランドルフが成功できなかったことをカークが成功させることだってあるのだと思う。

それでも理屈じゃない。
どちらが優れているとか素晴らしいだとかそんな理由でもない。
ただただミルフィーンはランドルフに魅かれた。それだけだった。

「ミルフィーン」

「もちろんカーク様も大好きだけどそれは恋愛感情とは違うの。尊敬しているし傍にいると安心もする。
 その気持ちはあなた達3人に同じように感じているけれど3人とも少しずつ違う。
 それにカーク様のことはお兄様のように慕っているって言った方がいいのかもしれないわね」

はっきりとした感情の違いがわかる。同じ気持ちを抱いているのに違う気持ちも抱いている。
あの時からミルフィーンの心はランドルフに向かっていたのだ。

「自分の気持ちに素直になったから私は彼をもっと好きになれた。
 たくさんの克服しなくてはならないことがあったしこれからもあるけれどランドルフも私を同じ気持ちだと言ってくれた。
 感情に任せなくてはいけない時もあるの。自分だけじゃなくお互いが。だからマリオン、あなたも負けないで」

不安そうな心細そうな顔がミルフィーンへと向けられている。
どうしてこんなことを聞いてきたのかわかっていた。

障害があればあるほど不安になる。不安になればなるほどお互いが素直になれなくなる。
ましてやマリオンの好きになった彼は感情も言葉も表現することに乏しい。
想いが通じ合っても不安な気持ちは消えることがない。それはみんな一緒だ。
好きになったことで不安な気持ちが以前より増していくことも。

「難しいことばかりだけどでも手放せない。そうでしょう?」

「……う、ん」

マリオンの頭へと伸ばした手で体ごと引き寄せた。

本当に恋は難しい。恋となる前もなってからも。
だけど好きになった人をこの手の中から手放したくないのならこの苦しみにも耐えてみせるし耐えなくてはいけないと思う。
甘く切ないこの苦しみにも。たった一人の自分だけの恋しい人を抱きしめ続けていきたいから。



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