残骸
冷たい雨が静かに降り続けていた。
息づくものが何もない。そこにあるのはただ残骸としか呼び様のない凄まじい戦いの痕だった。
「…い…い、や……」
たった数刻前とは違う光景。
目の前の現実を全身で拒絶しているのを震える体としびれるような意識がわからせてくれる。
夢だったらよかった。自分だけが見ている夢なら。
この場所には他に誰もいない。暗闇と絶望が蠢いている世界。こんな現実が在るわけがない。だからこれは夢なんだ、と。
「シエナ!」
声と同時に体が揺さぶられる。
こんな現実、夢の中だけでいい。痛みも衝撃も夢の中だけならいい。引きちぎられる様な心の痛みなんて。
「シエナ!しっかりしろっ!」
乾いた音と共に意識が戻ってくる。
かすかな痛みがそれでも強い痛みから逃げ出したくて開いていた瞳は現実の光景を映し出した。
それは…それは……。
「レ…ウィル」
「しっかりしろっ!いつまで呆けている。早く移動しないとここにいるのは危険だ」
「危…険?」
「敵がまだこの辺りを捜索している。ここでの戦いは終ったがまたこちらに来ないとはかぎらない」
「これは夢よね?そうでなきゃこんなに痛くないなんてはずはない」
「夢じゃない。俺だって信じたくない!これは……現実だ」
戦いの跡。敵も味方も地面に倒れている。動くものは自分達以外何もない。
私はどうして一人だけ生きていた?どうしてわずかな痛みしかなく、無事で……
「アヴェンッ!アヴェンは?!どこにいるのっ?」
レウィルの背後に隠れた光景を見るために彼を押しのけるようとした私を強い力が阻んだ。
「レウィル?」
「見るな」
「アヴェンは!」
「…………」
首の後ろを衝撃が襲う。
遠くなる意識の片隅、夢と現実の狭間。唯一シエナを捉えたのは光のように差し込んで見えたレウィルの涙の跡だった。
*
「シエナ、もう止めろ」
剣を持つ手を強引に止められて私ははっと意識を現実へと戻した。
弾む息と流れる汗が時間の長さを伝えてくる。
剣の重みで腕が痛みと痺れを訴えていたがそれよりもレウィルの表情を見るのが辛かった。
「いつまでそうして自分の中に閉じこもっているつもりだ?
あいつが望んだのはそんなおまえじゃない。おまえの苦しむ姿が見たかったわけじゃない」
違う。そんなはずはない。
志半ばに倒れた彼の望んだことは私がやらなくてはならないこと。
この国を守り、大切な人達を守る。それが彼の未来を奪ってしまった私の償い。唯一できることだから。
「止めろと言っているだろうっ!!」
「……!」
「どうして過去をみてばかりいる?現実はそこにはない。
あいつと一緒にいた俺達だからわかるだろう?アヴェンはおまえにそんなことを求めていないことを。
おまえが罪と思いたいのはおまえがその場にいて一人だけ助かったからか?
あいつはおまえを助けたかった。何よりもおまえを選んだ。だからおまえを助けたんだ。
気絶をさせて敵に見つからないよう隠した。
あいつだけじゃない。俺だってそうする。俺だってそうするさ」
あの場で私はもう覚悟を決めていた。一人だけ助かろうと思ってなんていなかった。
私だって一緒に戦えた。戦いたかったのにどうして私だけっ!
「アヴェンはおまえを好きだった。それなのに一緒に死なせるなんてできるはずはないだろう」
「レウィル……」
「知っていたか?」
「……最後に、私が気を失う前に……」
「そうか」
こんな形で知りたくなかった。もっともっと一緒の時間を過ごしたかった。
二人でいる気持ちを感じてみたかったのに一人置いて行かれてこれからどうしたらいいんだろう。
グラグラに揺れる気持ちに吐き気すらこみ上げてくる。
一緒にいた時の私のアヴェンへの態度はどうだった?気持ちはどうだった?
私は彼を苦しめていたんだろうか?それともそう思うだけでも偽善で欺瞞なんだろうか?
わからない、わからないっ。いったいどうしたらいい!?
「シエナッ!」
小さな音とともに頬に痛みが走った。目の前の怒った顔が言葉を投げつける。
「いつまで自分を責めるつもりだっ。あいつ自身さえも否定するつもりか?!
あいつはおまえを好きだった。でもそれだけならあいつは別の方法を選んだだろう。
あいつはおまえを庇うために死んだんじゃなく、自分の意志を貫き通すために生きたんだ。
戦士として、男として、一人の人間として。最後の瞬間まで」
膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
守り戦い生き続ける意味。それはあまりにも辛くそして幸せなこと。
現実から夢の世界へと入り込まないために気付かせてくれた大切な意味だった。
「アヴェン!!」
「俺達の傍にあいつはいる。いつだってずっと」
あまりにも悲しくてやり切れない、それはいつまでも残り続ける心への残骸。
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