裏返し 



訓練場へと向かう途中の耳に届いたのは聞きなれた街の音ではなかった。何人かが言い争うような声。
仲裁する声も聞こえるがどうやらそれは成功していないらしい。剣呑な雰囲気が外へも振りまかれている。
しばし悩んだがは覚悟を決めるとそちらの方向へと足を向けた。自分でも少しは役に立てるかもしれない、
そう思いながら向かった先の現実は思ったほど甘いものではなかった。

「この馬鹿っ!」

叩きつけられるような怒声に反射的に体がビクッとした。訓練中何度も注意を受けある程度耐性は付いたと思っていたが
それでも体は正直らしい。自分を守るかのように無意識に足が後ろへと引いていたのに気が付き小さく苦笑する。

「何を笑っている!ちゃんと俺の話を聞いているのか、!」

口を引き締めほんの少し俯いていた顔を正面へと向けるとそこには今までにないほど怒りを顔に表した
ヴァルアスの姿があった。

「聞いているわ」

「声が小さい」

「聞いています!しっかり」

ちゃかすことなくいつになく真剣なヴァルアスにも身を正す。この姿は警備隊での訓練を始めた当初の
鬼教官時代のものに近い。だがそんなを見てもヴァルアスの態度はいつものように崩れなかった。

「いつも俺が言うことを聞いていたら今日みたいなことになるはずないだろう。隊員が通りかかったから良かったものを
 一人で勝手に行動するんじゃない!」

頭ごなしに怒ってくるヴァルアスにさすがにカチンとくる。一人で行動はよくなかったかもしれないがとて
一応訓練は受けたのだ。少しは対応できる自信がある。それにすぐ傍で騒ぎが起きていて知らぬふりをするなど
できるはずもないだろう。腹の底から湧いてきた不満もありその意を込めて目を合わせると強かったヴァルアスの視線が
たじろいだ様に左右へとぶれた。

「隊長、もうその位でいいんじゃないですか」

周りで寛ぎながら経過を見守っていた隊員の一人がのんびりと口を挟む。緊迫感がないのはこういった状況に
慣れているからか。ヴァルアスの不機嫌さも何のその振り向きざまに投げられた視線の強さを気にすることなく
言葉を続けた。

も危険だったってわかっていることだしもうしませんよ」

「そうそう。それに大事もなかったんだから」

「って言うか隊長。素直に怪我がなくてよかった、心配させるなよって言えばそれですむじゃないですか」

「なっ!」

そうだよな、素直じゃないよなぁと口々に言いだす隊員達にヴァルアスの口が止まる。
途端に笑いだす周囲に悔しそうに小さく何事か呟いている姿にはしばし先程までの己の中の激情も忘れて
呆然としてしまった。

「おまえら訓練はどうしたっ。誰も休憩していいなんて言ってないぞ!」

感情の吐き出し口の矛先を隊員達へと変え訓練へと向かわせるヴァルアスは自分の中で感情の整理を
つけたのかいつもの厳しい隊長へと戻っていた。
そんなヴァルアスを掻い潜ってこっそりと小さく手で合図を送る隊員に笑って合図を送り返すの肩が
強い力で叩かれた。

「いたっ」

「何をやっている、訓練開始だ。早くしろよ、

「もうっ、痛いでしょ」

「返事は」

「はい!」

鬼隊長として接するヴァルアスに一隊員としてもしっかりと返事をした。少しでも油断をすると怪我を
しかねないだけに訓練をするための気持ちへと自分を持っていかねばならない為だ。

「俺が心配だからもう無茶をしないでくれ」

集中をするべく痛みの残る肩から意識を逸らしながら訓練をするべく場所へと向かおうとしたの耳に届いた小さな声。
慌てて振り向いた先の大きな背中は無言で皆の所へと移動を始めていた。

「……はい」

感情をそのまま思い切り伝えるヴァルアスらしからぬ控えめな表現はそんな己に照れくささも混じっているのかこちらを
振り向こうともしない。だがそこに張り詰めた空気は感じることもない。

ほっとした瞬間浮かんだ笑顔に自ら気が付くことなくはその背を追って走り出した。

                                            6周年記念作品 テーマ:感情  怒り 

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