小さなきざはし



三つの月が刻を紡ぐ国フィンドリア。
白い光は希望を温かな淡い黄色の光は平穏をもたらし、暗く朱い光は恐怖を呼び込む。
銀朱月が昇る時、人々は家に閉じこもり声を潜めた。だが人の心から闇が消え去らない限り
魔物は人を襲い、横行する。
銀朱月のもたらすものはあまりにも大きく悲しく強大な力の流れは誰しも変えることができない。
逆に抗おうものならより重い枷をかけ身動きができなくしてしまうだろう。
そしてそれは解き放たれることのない呪縛として心をも支配した。



                         *

「族長、あの件はどうされましたか」

朝議を終え執務室へと戻ろうとしていたを呼びとめたのは一族でも長老と呼ぶべき部類に入るサジムだった。
フェニキアの中での発言権は上から数えた方が良いほどの位置にいる。同じ長老の中でも間違いなく
その意思は優先され適えられると言っていいに違いない。まだなったばかりの族長であるの意見を簡単に
覆すことができる人物の一人でもあった。

「保留中です」

気押されないよう体の芯まで意識を巡らせる。少しでも気を抜いて対応すると最初から押し負けてしまうため
学んだ一つの対応策だった。

「まだ?」

「まだと言われますが簡単な問題ではありません。答えを出すにはたくさんの考えと時間が必要です。
 結論を急ぐことはないと思われます」

「もう一つの月が廻ろうとしているのですよ。十分に時間はたったのではありませんか」

「一つの月が廻ろうとも急げばいいものではないでしょう?それにこの問題は私達一族だけの問題ではないと思います。
 場合によっては他の三家とも協議する必要があるのでは……」

「馬鹿なことを言うなっ!!」

声と同時に周囲に振動が広がる。波動とでも言うべく衝撃には足に力を入れ耐えた。
少しでも気を緩めていたらこの場所から簡単に吹っ飛ばされていただろう。
それ程怒りと力に溢れた気の流れだった。

「他の三家とだと?我らの力は強大にして絶対のもの。フェニキア家こそが唯一のものだ。
 他を従えこそ他に従うなどあるはずがないっ」

そのままの勢いでを睨むと踵を返す。
女の族長などろくなものではない、最悪のものでしかないと呟きを残して。



                                *

自分には関係ないことだと思っていた。小さな頃から一族の一員であることを心身ともに叩き込まれていたが
それでも大勢の中の一人でしかなかったはずだった。能力に優れている訳でもなくかと言って何もできない訳でもない。

凡庸で面白味もなくふとしてみれば居たのかと気付かれる、それが私・フェニキアの自他共に認める人物像
であったはずなのに運命が全てを変えてしまった。
私を無くし象徴と云う名の生贄にしてしまったのだから。

望んだことなどないし力に溺れたこともない、憮相応でしかないと自分が一番知っている。
それでも心は痛い。毎日眠れない夜が続いた。
押しつぶされそうになりながらも懸命に執務をこなす。わからないことがあれば調べ、人に聞き、
失敗を積み重ねながら一つ一つ自分にできることを増やしていく。
そうした努力の結果でさえその度々に一族のものは嘲笑し罵った。こんなに不出来な長など初めてだと。

誰しも聖人君主などいない。重きに耐えても闇は少しずつ蝕んで行く。
黒い闇が心を支配しそうになった時、その話がの元へと届いた。
サンフィールド家の新しい長が消え、その長を捜すべく者に選ばれたのがだと。

その言葉を聞いた時心のどこかで救われたと感じた。

「本当にいいんですか?」

「かまうものか。どうせ俺達には誰も期待しちゃいないしいつまでに戻るなどと期限などあるわけじゃない。
 少しくらい寄り道しようとこっちの勝手だ」

サイラスの声は不自然な程明るい。だがこれは無理をしてではなくサイラスの中の何かが吹っ切れたのだろう。
初めて彼の前に立った時に感じた張り詰めた空気が和らいでいた。

「サイラス」

振り向いた顔は自分と同じ年相応の顔だ。四家の中で一番の力を持つサンフィールド家当主とは到底見えない。

「あなたと一緒なら私は私でいられそうな気がします」

今でもフェニキア家の当主など自分にできるとは思っていない。重圧に潰されそうになるのはこれからもついて回るだろう。
だがどう足掻こうとも力が自分から消え去らない限り運命から逃れられないのだ。それなら少しでも先に進んでいくしかない。
自分を変えないでいけるように。

そうサイラスとなら行けそうな気がする。呪縛されるだけでなく自由を求める気持ちを持ち続けて。
いつか遠い先の時代の礎になれるように。



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