淡想起
街への買い物の帰り道はふと聞こえてきた声に足をとめた。女の子が地面に座ったまま泣いている。
転んだのだろうか。その小さな膝は赤く染まり細かな石が混じって付いていた。
「どうしたのっ」
「おかあさん」
声をかけようとしたの足が止まる。女の子の顔を優しく拭いながら起たせているのは母親なのだろう。
痛そうに顔をしかめてはいたが先程までの泣き顔は笑顔へと変わっていた。
「よかった」
手をつないで一緒に家路へとつく親子の姿にほっとする。だが同時に胸の奥がつきんと痛んだ。
「おかあさんか」
亡くなった母親の顔が思い浮かぶ。いつも明るく元気だった母。辛いこともあっただろうに笑顔を絶やすことはなかった。
毎日外を駆けずり回り傷を作るを窘めることはあっても決してやめろとは言わない理解のある人だった。
その母親から自然と学んだことは多い。心が強く揺るぎない事は今のを支えてくれる柱となっているものだった。
「会いたいな」
もう決して会うことはできない人。目を閉じれば姿が浮かんでくるが触れ合うことはできない。失ってから自分をどんなに
支えていてくれていたのか痛いほど思い知らされた。
「母さん」
小さく呟く声にはわずかな嗚咽が含まれていた。
*
「ただいま戻りました」
小さく叩いた後開けた扉の向こうに広がる光景には呆気に取られ立ちすくんだ。
出てきた時にはきちんと整頓されていた机の上が物で溢れんばかりになっている。
しかも作業台の上は分別途中の薬草でぐちゃぐちゃ、周辺の床はそこから落ちたもので埋め尽くされている。
ほんのわずかの外出でこうも部屋が乱れているのは久しぶりだった。
「帰ったのか」
調合をしているのだろう。道具を使う音がリズミカルに聞こえてくる。返事をする余地があると言うことは調合も
ほぼ終わりに近い。待っていればその内こちらへ来るからと市場で買って来たものを何とか置こうと
作業台の上を片づけ出した。
「どうした」
片づけに没頭していたがすぐ真近で聞こえた声に意識を向けた時にはもう遅かった。
細くきれいな手がの顔にかかり抗うことを許さず固定される。
ルティのまっすぐな視線が瞳の中へと飛び込んできた。
「泣いていたのか?」
「ルティ、痛い……離して」
「泣いていたのか」
そうであったと確認するかのように言うルティには己の顔を掴んでいた手を取り思い切り引き離した。
「泣いてないっ!」
泣いていない。涙など流していない。もう区切りはついているし強くあろうと様々なことを乗り越えてきた。
母親を思い出したことで多少心が寂しいと訴えたかもしれないがそれだけのことだ。泣きたいほど辛いことなど
城に来てからの方が余程ある。泣くことなどあるはずもなかった。
そんなを見つめていたルティだったがふと軽く微笑むとその笑みに気を取られていた隙にその身体を
自分の腕の中へと包み込んだ。
「いいんだ」
「…………!」
「堪えることはない、心を解き放てばいい。何度でもいつまでも僕の前では自由に」
普段は傍若無人に告げる口から静かに宥めるように優しく言葉が紡ぎだされる。
ずるい。こんな時に優しくするなんて。私の心をわかってしまうなんて本当にずるい。
腕の中から抜け出そうとしていた体が急に力を失ったかのように大人しくなる。
「?」
訝しげに問いかけた言葉と同時にルティに強い力が加えられる。の両手が身動きも許さないほど
しっかりと背中に回されていた。
「甘えるからね」
「…………」
「しっかり甘えるからね、こんな機会なかなかないんだから」
くぐもった声はルティに隙間なくくっついているから。他の理由などない。
泣きたくなりそうな気持ちを我慢して抱きつく腕により力を入れた。
「痛い」
「我慢して」
「まあたまには仕方ないか」
憎まれ口を叩きながらも突き放そうとはしない。こんなことがあるから離れられなくなってしまうのだ。
「ルティ」
「なんだ」
「ありがとう」
「礼を言われることは何もしていない」
「それでもありがとう」
心のまま言葉を乗せるの顔は晴れやかに輝いていた。
6周年企画作品 テーマ:感情 寂しさ
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