嫉妬交じりの夜
「、浮気してるんだって」
「〜〜〜!」
突然、ヴァルアスの何気なくかけられた言葉に私は飲んでいたお茶を噴出しそうになった。
仕事と訓練に明け暮れた後のリラックスタイム。
毎日のお楽しみ、疲れきった心身にご褒美もこめてのお疲れ様の一杯は格別においしいのに、
そんな私の至福の時をヴァルアスはたった一つの言葉でぶち壊してくれたのだった。
皆はさっさと帰ってしまって私達の部隊にあてられたこの部屋には私とヴァルアス以外には誰もいない。
つまりヴァルアスにとってコトの真相を確かめるには絶好の機会で。
しかも油断しまくりのの表情を読み取るには最適な時間でもあったのだった。
「な、な、な……」
「まあ落ち着けって」
「これが落ち着いていられる?!それに人聞きの悪いっ」
「はぁ〜ん?そんなにあわてるってことは事実なんだ」
上目遣いに私を見るヴァルアスは余裕しゃくしゃくでこの状況を楽しんでいるようにも見える。
私はとにかくこの状況を打破しなければとあせっていて、表面上は普段と変わりがないヴァルアスの
奥底に潜む感情には気付かずにいた。
ただでさえ、この銀朱月の時期はヴァルアスの感情に気をつけていなければならなかったのに。
あまりにも普段と変わらない彼に、私は騙されてしまっていた。
「そ、そんなことあるはずないでしょう!一応、私にはヴァルアスっていう恋人がいるわけだし。
でも、いったい誰がそんなでまかせを」
「一応ってなんだよ。俺はこんなにものこと好きなのにひどいよなぁ。
一日中、おまえのことが頭から離れないんだぜ?」
傷つきましたとわざとらしく、胸を押さえて苦しそうな表情を作ってみせるヴァルアスに私は小さくため息をつく。
この調子じゃあ、納得の行く話が聞けるまで開放してくれなさそうだ。
早いところ退散するのが正解だろうと席を立った私に後ろからヴァルアスの声がかかった。
「」
今までとは違って強く私を呼ぶ声に私はハッとなり、ヴァルアスへと視線を向けた。
次の瞬間、赤みを帯びた瞳が飛び込んできて、強い視線で私の全てを捕らえこんだ。
逃れることができぬよう、がんじがらめに。
「。俺に黙って誰と会っているんだ?」
静かな圧迫感。
自分の感情を無理に抑えこんでいるのが、その声と態度で現れていた。
「私……」
言葉が続かない。
目の前にいるのはいつもと変わらないヴァルアスのはずなのに、身体が震えるほどの恐怖にも似た感情に
支配されている。
「言えないのか?俺に後ろめたいことをしているから?」
「違うわっ!ちゃんと理由があってっ!」
「だったらその理由を言ってみろよ。言えるはずだろ……」
「それは」
「それは?」
「……ごめんっ!」
狂おしいほどの追及に耐え切れず、うつむいた私の顔を覗き込んできたヴァルアスに
私は隠し持っていたスプレーをヴァルアスの顔へと吹きかけた。
「うゎっ!!」
害はないけれど、鼻が利くヴァルアスにとっては辛いと思う。
匂いのきついハーブばかりを集めたハーブ水を至近距離で浴びたのだから
たまらないだろう。
ヴァルアスは私から離れると顔を押さえてその場にかがみこんでしまった。
「ごめんなさい」
心の中で何度もごめんなさいと謝りながら私はヴァルアスにつかまらないよう、
部屋から走り出たのだった。
*
銀朱月の輝く夜、私は足元に神経を配りながら森の中を歩いていた。
赤みを帯びた光が木々の緑をよりいっそう深いものへと変えている。
こうして城近くの森へと通い始めて10日目。
最初は転んでばかりいた道もすっかり歩きなれて、今では森へと差し込む月の光だけで道を
辿ってゆくことができる。手には大切にバックを抱え、目的の場所へとつくとゆっくりと腰をおろした。
「私よ。おいで」
声に導かれるように茂みが揺れ、やがてその影からゆっくりと姿を現してきたものが私の前へと寝そべった。
小さな子供くらいの薄い灰色の毛で覆われた狼。
その右の前足の一部の毛が抜けて傷がうっすらと浮かんでいる。
これが私の夜お出かけの理由。
初めて会った時に引いていた足は怪我が良くなったせいか、今ではすっかり他の足と変わらない。
それでも念のためと持ってきた薬を取り出すと、いつもと同じように周りに覆いかぶさっている少し固い毛を
追いやってその場所へと薬を塗った。
もうすっかり安心しきって身体を預ける狼に私が微笑んだ時、目の前の狼の耳がピクッと震えたかと思うと頭をあげ
一点の方向を睨みつけた。
「ガルゥゥゥ」
「何かくるの?」
私が緊張に身を強張らせた瞬間、木々を掻き分け何かが勢いよく
飛び込んできたのだった。
*
「!」
重さを感じさせない軽やかな肢体。
銀朱色に映える漆黒の身体を艶やかに輝かせ、ヴァルアスが私の前へとやってくる。
しかし、堂々とした態度に似合わずその顔に浮かぶ表情は極めて不機嫌そうであった。
「俺に隠れてそいつと密会をしていたのか?」
夕方の事を蒸し返すような口調での問い詰めに落ち着いていた私の心が波打ちだし、
その心のままに叫んだ。
「密会ってなに?私はたまたまこの子をみつけてしかもケガをしてたから治療していた
だけよ。それなのになんで浮気だの密会だのって変なこと言われなきゃならないの?
そんなに私信用ないのかしら」
私だってヴァルアスが心配してくれているのはわかっている。
でも、何をするにも疑われたんじゃ息を抜く暇もないじゃない。
確かにいくら苦しみから解き放たれたからといって銀朱月の時期は精神的に不安定でいろいろと
考えてしまうのは仕方がないと思う。
だけど、私達はお互いに通じ合ってるんじゃないの?
自分の半身だって言ってくれたじゃない!
それなのに、どうして、どうしてわかってくれないの。
「すまなかった」
自分の想いに入り込んでいた私の耳に入ってきた小さな呟き。
「ヴァルアス?」
「すまなかった。俺が悪かった。
みっともない話だけど思いっきり焼きもち焼いてたんだ。
お前が俺に隠してることがあって、しかも俺に会ってくれずにその知らない誰かとは毎日会ってるなんてさ!」
「ヴァルアス」
「もちろんの事は信じてるさ。でもそんな簡単に気持ちを割り切ることなんかできなかった」
って言うことは銀朱月で不安定になっていたんでもなく、私を疑っていたんでもなくって。
「……ううん。私だって黙ってたのが悪かったの。
私のほうこそ、ヴァルアスの気持ち疑うようなこと言っちゃって……来てくれてありがとう」
「。怒っていないのか?」
ヴァルアスに似合わない、どこかオドオドとした口調で問いかけられ、私は苦笑した。
「少し過保護的な所はあると思うけどね。
まあ、疑いも晴れたことだし、この子のケガももう大丈夫そうだし。
これで一件落着ってとこでどうかしら」
安心できるように私は務めて明るく言いながら私の前でおとなしく寝そべっている狼を撫でていると、
突然、ヴァルアスが私と狼の前からスッと隣に移動して寄り添うように身体を密着させて座った。
「なに?急に」
「、お前わかってないだろう」
「何が?」
「だ・か・ら!俺のこの状態わかっているだろう?!」
「って、狼ってこと?」
「それってわかっていてわざとやってるのか?
俺は言ったはずだぞっ。狼の姿ももう一人の俺で、俺の本質だと。
しかも覚えているはずだよな。狼はたった一人を伴侶と見なし、寄り添っていくと」
そういえばと私は思い出す。
うん、確かに言っていた。恥ずかしかったけど嬉しかったあの時の言葉。
でもそれがなんなんだろう?
「だからだなっ、俺には二つの種族の意識や感覚ってものがあって……
ああ、もうっ!つまりに対して好意を持っているもの、それが人間だろうが狼だろうが、
俺にとっては嫉妬の対象になるんだっ!」
「と言うことはヴァルアスこの子にも?」
「そいつも立派な対象だよっ。がいくらそいつを何とも思っていなくてもなっ」
そう言いながら私の腕の間に身体を突っ込み、寝転んでいる狼の身体を
右の前足で押しやるようにつついた。
「ヴァルアス」
その様子に幸せな笑いが私の口からこぼれ出す。
あの時は苦しくて、辛くて、必死で。何がなんだかわからないほど混乱もして。
自分もヴァルアスも壊れてしまうかと思うほど苦しかったけれど、苦しみを乗り越えたからこそこんな幸せが訪れた。
心から幸せが上ってくる。
「。なに笑ってるんだよ!」
ヴァルアスはバツが悪そうに私を止めようとする。
そんな私達を少々あきれた様子で狼が見ていて。
そんな普通の幸せな夜。嫉妬交じりの夜をこれから幾日も過ごして行くのだろう。
ヴァルアスと二人一緒にずっと。
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