寂しさの時間  



「ちょっと。ヴァルアス」

「何?

屈託のない魅力的な笑顔を浮かべると、ヴァルアスは私へと両手を伸ばす。
その手は当然のごとく私に向かっていたけれど、いつもと違う行き先に私は眉をあげた。

「何じゃないわよ。この手は?」

専用の檻って言ったらどうする?」

灰色の瞳がその本性を映し出す時のように少し朱みを帯びる。
そうした時のヴァルアスはふざけた口調をしていてもどこか獰猛めいていて危険であることはわかっていたが、
自分の心の恐れを見せたくないが故に私はいつも喧嘩を売っているような口調になってしまうのを止められないでいた。

「檻って……人を猛獣みたいに。それとも私ってそんなに危険に見えるのかしら。その言い方って失礼だと思わない?」

「猛獣って。馬鹿だなあ。みたいな優しい奴が猛獣なわけないだろう?」

ピリピリした緊張感を交えながらもいつもと変わらない受け答えをするヴァルアスに、私の肩から少し力が抜けた。
ゆっくりと逸らしていた視線をその朱みを帯びた瞳に合わせる。

「本当にそう思ってる?……まったく、いつも口だけはうまいんだから」

脅えの残った私の視線を正面から受け止めるとヴァルアスは静かに微笑む。
私がヴァルアスに対して抱いた気持ちがわかっているはずなのに、彼は何も言わないでいた。
そんなヴァルアスをおかしいと思いながらも、肩の力が抜け私の気が緩まった

次の瞬間、私は自分の甘さを思いっきり後悔したのだった。



                            *

大きな音がした次の一瞬だった。
叩きつけられた衝撃よりもその音の方が身体全体に思いっきり響いた。
突然の展開に訳のわからないまま、私は荒々しい波間の最中へと連れ去られてしまうこととなったのだった。

「ヴァルアスッ!」

自分の悲鳴に近い、動揺しきった声だけが辺りへとこだまする。
背中を冷たい汗が伝っていったような気がして、焦りだけが自分の心の中を支配しようとしていた。
それなのにヴァルアスは私を逃す気はまったくないばかりか、余計に混乱へと導く事だけを考えているとしか
思えない行動に移したのだった。

が俺の質問に答えたら解放してやるよ」

背後は壁、正面はヴァルアスの強い瞳。
そしてその囁きは耳元で甘く、危険に震える。

私の顔の横にはヴァルアスの両手の肘までが曲げられていて逃げる余地はない。
今の不安定な気持ちの中では、抱きしめられるよりも逆に刺激が強すぎる。
クラクラする頭を抱えながらも、私は必死でここから逃れる術を見つける為にヴァルアスへと声を絞り出した。

「ヴァルアス、もうっ。冗談はやめてよね。
 質問だなんて、まるで私が何か悪いことしたみたいじゃない」

「冗談じゃないさ。それにが自分で悪いことをしたっ思うって事は該当する事があるって事って
 言ってるも同じじゃないか?」

ヴァルアスは耳へと息を吹き込むように言うと、我慢しきれなかった気持ちのままその言葉を口にした。

、おまえまたあいつと会ってるだろう?!」

断定した口調で言うヴァルアスに、私は悪いことをしたわけでもないのにどこか後ろめたい気持ちになってしまったが、
ヴァルアスの勢いに飲まれないよう、わざと素知らぬ振りで答えた。

「あいつって?」

、おまえわかっててわざとそういう言い方するのか。
 わかった。はっきり言って欲しいなら言ってやるさ!あいつだよ、あいつ!灰色の野郎だよっ」

「灰色の、って。ヴァルのこと?」

「ヴァル?……ヴァルだって!!」

壁についていた両手が感情のまま思いきり叩き付けられる。
今までにもヴァルアスの激高したは見てきたはずなのに、今までにない、
一歩間違えれば大事に至ってしまいかねない程、ギリギリの感情がヴァルアスを取り巻いていた。

、ふざけんなよ。あいつの名前が何だって?
 おまえがつけたんだよな。それなのになんで俺と同じ名前なんだっ」

「同じ名前って。別に特別な意味はないわ」

「だったら、一体どういうつもりでそんな名前をつけたんだっ。俺を……まさか俺をあいつと一緒にするつもりか!?」

そんなつもりはなかった。
ただ名前をつけなければと思った時、ふと思いついたのがその名前だっただけ。

ヴァルアスの言葉は荒かった。けれど少し傷ついたようなその顔はどこか心細げにも見えて、
私の胸は切なく締め付けられたのだった。

「ヴァルアス。ごめん」

いつも謝ってばかり。
そう思いながら私は間近にある頬に手を伸ばし、気持ちまでも包むようにそっと自分の冷たくなっている手を当てた。
暖かな熱が伝わってきて私の心までをも温める。

本当は言わないつもりでいた理由。
恥ずかしくて言いたくなかったけど、その事でヴァルアスを動揺させてしまうのなら自分の気持ちなど後回しにしても
かまわなかった。
揺れる気持ちと同じように震える瞳が、私を真っ直ぐ見つめて離さない。
決意が鈍らないうちに私は覚悟を決めて口を開いた。

「ヴァルアス。あのね、彼の名前があなたと同じ理由なのは……寂しかったから」

?」

「寂しかったの。仕事の時は一緒にいるし、それ以外の時間だってヴァルアスが一緒にいようと
 してくれているのはわかってる。最近仕事が忙しくなって一緒にいられる時間が減ったのは仕方がないって、
 今は大変な時だって、ヴァルアスだって休まなくちゃ身体がもたないって頭ではわかっているの。
 でも、どうしても心では納得できなかった」

私はヴァルアスの頬から手を離すと、思いっきり目の前にある身体を抱きしめた。

!!」

先程までとは違った意味で珍しく動揺しているヴァルアスに私はかまわず抱きしめた腕に力をこめる。

「似ていたの。あの子とヴァルアス、あなたが。
 いつも強がっているけど、本当は弱虫で甘えたがりの私を守ってくれる。
 強いのに、優しいあの瞳が……あなたにそっくりだったの」

初めて会った時から思っていた。
雰囲気、存在感が、与えてくれる安心感が同じだと。

ヴァルアスの気持ちが私から離れて行く日々が続いて、私は通わずにはいられなかった。
私だけを見てくれる狼のところへ。

、俺は……っ」

「黙って」

私はヴァルアスの口に自分の指を当てると、そっと微笑んだ。

「何も言わないで。誰が悪いわけでもないのにあなたを責めちゃいそうだから。
 こんなにも気持ちがあふれてくるなんて不思議だわ。わかっていたつもりだったけど駄目ね。
 私はね、ヴァルアス。いつもあなたを探して、求めていなくちゃ満たされないみたい」

自分勝手な言い分だけど、いつの間にかヴァルアスが傍にいるのが当たり前になっていた。
だから今更あなたを失くすなんて事はできない。絶対にできないの。

……ありがとう」

ヴァルアスの感謝の言葉。
何に対しての感謝なのか。それすらわからない。
それでも強く抱きしめ返される腕には言葉にできないほどの気持ちがこもっている。
私にだけの気持ちが……。



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