心の言葉  



全てが終ったと誰もがそう思っていた。
銀朱の月が空にあってもいつもの夜と変わることがない。
だからこれからは全てから解放され、問題の起こることは何もないと人々は思い込んでいる。

「問題がない……とは」

当人同士でないからそんな無責任な判断ができるということに誰も気付いていない。
気楽に毎日を平和に過ごすことに慣れきった連中には時には自分の身に何か危険が降りかかるほどの刺激が
必要ではないかと考えてしまう。
自分達にはこれ以上の感情の波立ちなどいらないというのに。
だが、これからの自分達の為にも正面から向き合うことは避けて通れはしないだろう。

「決着をつけよう」

自分の為にも相手の為にもそして

「愛を語りかけたいあの人のためにも」



                          *

「イグニスさんが中庭に来るなんて珍しいですね。休憩ですか?」

は中庭にあるベンチに腰掛けていたイグニスに話しかけた。
色とりどりの花に埋もれるようにイグニスの周りにはたくさんの花が咲き乱れている。
そこに静かに座るイグニスの瞳はその色を映し出さず閉じられていたがの声にそれはゆっくりと開かれた。
真っ直ぐな視線がへと降り注ぐ。

さん、あなたこそ」

言いながら自分の身をずらし、身振りで隣に座るよう促す。
その様子に軽く微笑みながらお辞儀をするとはイグニスの隣に腰を下ろした。
視界いっぱいの綺麗な花々と優しい香りが疲れていた心身を解きほぐしてくれる。

「今日はリュークエルト様と出かけられなかったんですか」

「はい。今日は城から呼び出しがあるからこちらで仕事をするようにと」

城に出かける時リュークエルトは大抵自分を連れて行ってくれるが、どうやら今回は込み入った仕事のようで
いつ終るかわからないからと屋敷での仕事を頼まれた。

別に急いでいる仕事もないから息抜きをちゃんとするんだよって。
何故かが無理をするとリュークエルトにはわかってしまうらしい。
そんな時リュークエルトはじゃあ俺も頑張るかと以上に無理をして仕事をしてしまうので
それにこりてもちゃんと息抜きをするようになった。

の疲れた顔は俺には堪えるからね」

その一言で。

「お呼びがかかったのも本当のことでしょうが……」

「イグニスさん?」

リュークエルトに言われた言葉を思い返していたにイグニスの言葉が思考を
中途で遮るように唐突にあがった。
ぼんやり宙をさ迷っていた視線をイグニスに戻すと、いつになく真剣な瞳がそれに応える。
優しい光が消え、鋭い視線がを見つめ返した。

「あなたにはまだ言っていませんでしたね」

「言っていないって?」

「私とリュークエルトのその後ですよ」

あっと思った。
立て続けにいろいろなことが起き過ぎてしまって、イグニスとリュークエルトの関係がどう変わったのか、
確かめる暇が無かった。

いいや、本音を言うと確かめるのが怖かった。

二人の心の底の感情は深く重い。
現実として圧し掛かっているものは傷として残ってしまっている。
いくらお互いが歩み寄り許しあったとしても、完全に癒える事はないだろう。
それがわかっていたから余計に自分から確かめることができなかったのだ。
だが、それは悪いことばかりではないと思う。
痛みがあるし辛さもあるが逆にそれはいつも繋がっているともいえるのだから。
がんじがらめに絡み付いていた鎖は、今は緩みそしていつか外すことができると
は信じている。

切れてしまうこともなく朽ちることもない丈夫な、絆という名の鎖。
永遠に続いていく心の絆。イグニスとリュークエルトを繋ぐ未来への道。



                        *

「私は私の両親を結果的に死に追いやってしまったリュークエルトを完全に許すことは
 これから先もできないでしょう。
 だけど誤解しないで下さい。本当はわかっているんです。ですが、この事実は私の心の中から消え去ることはない。
 そういう意味で許すことができないと言うことです。
 頭では事故とわかっていますが、感情はなかなかついて行かないし抑えることもできないですから」

「イグニスさん。本当はリューク様を許しているんですね」

「……そう言ってもいいのかわかりません。
 ですが、そうだとしても口に出して言うことはないと思います」

薄く微笑んだその表情はどこかホッとしてみえた。
肩の荷が下りて楽になったといった感じの。

でもそれだけじゃない。二人の間には目に見えない鎖がある。

「イグニスさん。もう一つの方は……」

「消えましたよ。リュークエルトの力が消えたと同時に私の力も。
 ドラグーン家とアトゥース家の関係は主従関係と力の繋がりでもありました。
 ですから、リュークエルトの呪われ祝福された力が消えた今、その関係も崩れ去りました。
 といっても、そんな力とは関係なくても私達は友ですから傍から離れるつもりはありませんけどね」

「イグニスさん」

「ですから」

そこでイグニスは一端言葉を止めるとの膝に置かれた右手をとった。
自分の両手に包み込むようにしてを優しく見つめると、その瞳と同じように優しく甘い言葉を紡ぎだす。

さん。私とリュークエルトの鎖が外れ、私は一人の男として立つことができました。
 リュークエルトと対等の一人の男として。だから今あなたにこの言葉を言うことができます」

「……」

「あなたをリュークエルトに渡したくない。、あなたをリュークエルトには渡さない。
 私があなたを幸せにしてみせます。私の全身全霊で」

強い言葉。今までに聞いたことのない心の言葉。
どこか脅え、遠慮していたイグニスからは信じられない程の気持ち。

どうしよう。うれしい。
心が歓喜の声をあげている。イグニスの全てが私を欲しているなんて。

……あなたが欲しい他の誰にも渡さない」

感情を必要以上に出さず、自分を押し殺していたイグニスとは違うもう一人の彼。

その想いと瞳で縛って欲しい。私の全てを。
私自身を貴方自身で。



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