深淵



疲れが溜まっているのは自覚していた。でもこれ位なら大丈夫だろうといつもと同じ仕事量をこなしていたのが駄目だったらしい。
頭がクラクラしたかと思うと体が宙に放り出されるように力が抜けて行き必死の形相をしたリュークエルトの表情を捉えたのを最後に
フレイアの意識は遠のいていった。


「ん……」

重い瞼をゆっくり開けるとどこか見覚えのある天井が視界に入った。背中に当たる柔らかな感覚からどうやらベッドに寝ているようだが
自分の部屋の様子とは違う。どこだったろうと記憶を巡らす前に一つの強い声が耳へと飛び込んできた。

「フレイア!」

名を呼ぶ声は普段落ち着いた様子のリュークエルトからは想像も付かぬ程鋭く焦りを含んでいる。不思議に思い問いかけかけた
フレイアを遮るようにその口から言葉が発せられた。

「俺が言ったことを聞いていなかったのか?」

名前を呼ばれた時と違い淡々と問いかける言葉に何故か背筋が震える。いつも笑顔が浮かぶ端正な顔には笑みどころか少しの感情も
見受けられない。こんなリュークエルトは見たことがない。いや、一度だけあった。敵を定め力を解放しようとしたその瞬間に!

「倒れる前に休むこともできただろう?それに期限はまだあるはずだ。無理と無茶は違うのがわからないか」

厳しい言葉よりも射抜かれるような視線に全てが囚われる。かすかに金色を帯びた瞳の色が抗うことを許さない。

「君が解らないと言うのなら解るまで教えてあげようか」

「…………!」

耳元に寄せられた口から放たれたのはフレイアを縛るもの。優しく告げられてもそれはそのままの意味ではない。
獲物を狙う猛獣のように逃げることを許さない絶対的な支配権。

そうだ。この人の内には強き力が眠っている。それは特異な力という意味ではなく他に揺るがされることのない確固なる意志が。
一度それが解き放たれれば誰よりも強くそして厳しい。

「だが今は眠れ。俺の心が君に刻まれるように深く。もし次にまた同じようなことを繰り返すことがあれば……」

容赦しないよ。

瞳を大きな手で覆うように閉じられながらかけられた言葉を恐ろしく思いながらもどこか安心もしていた。
リュークエルトの奥底にあるものは消えてはいない、本質そのものは変わっていない。ただ、今は静かに眠っているだけなのだ。

手のぬくもりだけではない暖かさに導かれるようにフレイアの意識はゆっくりと眠りへと誘われていった。



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