あなたの傍で



離れる時がくるなんて思わなかった。

隣にいるのが当たり前でいなくなることを考えることもしたことがなくて、
幼い頃から私を守ってくれるのは彼だけだと信じていた。

それなのにどうして今になっていなくなってしまうんだろう。

何も言ってくれないのはどうして。



                 *

「オルディ、待って!」

ユリアのかけた言葉に振り返らず先へと歩いていく彼の後を必死に追いかけた。

今までなら止まって待ってくれていたオルディの足は少しもスピードを落とさない。

少しずつ開いていく距離に焦りが込み上げてその気持ちのまま足がもつれた。

「あっ!」

重力のまま前へと傾いていく体がやがて感じる痛みを覚悟してギュッと目を閉じた。

「あなたはっ」

いくら待っても来ない痛みの代わりのように怒った声が上から掛かる。

傾きかけた体を支えるのは大きくてたくましい腕。
声に混じって吐き出される息は荒い。

かなりの距離の差があったのに地面へと激突する前に止めてくれて、結果オルディが去ってしまうのを
引き止めることもできた。

わざとではないのを彼もわかっている。

ふうっと大きく息を吐き空を仰ぐとユリアの体をそのまま引き寄せた。

「オ、オルディ?!」

「観念しましたよ。あなたには負けます。
 って言うより、俺も自分の気持ちを完全に断ち切れてなかったんですね」

斜めになって顔を胸につけた状態のユリアをその言葉の意味を行動で示すように腰に手を回し
抱きしめなおした。

「暴れないで。ユリア、聞いてください」

覚悟を決めたのか迷いのない声に腕の中から抜け出そうとしていたユリアは動きを止める。

その様子にオルディは薄く笑うと自分自身の決意も固めるように語りだした。

「あなたの幼い頃から傍にいてずっと見てきました。
 俺といることがあなたには普通でしたよね。でも俺には……苦痛でした」

淡々と口から吐き出された言葉。

感情が込められていない分、余計に重く圧し掛かる。
言葉以上の意味を持つような気がして苦しくて堪らない。呼吸が荒く息まで苦しくなってきて気が遠く……

「ユリア、しっかりして!」

体全体の痛みに堪えきれなくなりそうだったユリアを救い出す声。

優しくかけられた声と背中を叩く腕が痛みに支配されたユリアの意識をオルディの元へと引き戻した。

うつろな瞳を力強い瞳がしっかり捉える。

「あ……」

「不用意な言葉を出してしまってすみませんでした。
 俺はあなたを傷つけるつもりはなかったのに結局あなたを傷つけてしまった。
 俺の気持ちの真実を伝えたのは本当はあなたから逃げるつもりもあったのかもしれない」

自分の気持ちとユリアの気持ちの両方を受け止めることができないかもしれない。
そんな不安から無意識に逃げようとして心のまま言ってしまった。
本当は逃げ切れるはずがないとわかっていたのに。

オルディの言葉に不安な気持ちを抱えたままのユリアを安心させるように微笑む。

いつも彼女が見慣れた自分の笑顔で安心できるようにと。

「俺も思いつめていたんですよ。このままあなたと普通に一緒にいることができないって。
 あなたが俺の気持ちを知ったら俺から離れていくだろうと思ったんです」

「一緒にいることができない?」

「ええ、あなたの気持ちとは違う気持ちを持っているから。
 あなたが俺を想ってくれているのは家族に感じる、俺を兄と思ってくれる気持ちでしょう?
 でも、俺の気持ちはそうじゃない。あなたが成長するにつれて俺はあなたと同じ気持ちのままでいることはできない
 と思った。いずれこの気持ちが抑えきれないだろうとも」

「……だから私の傍から離れようと思ったの?」

「そうするしかなかったんです」

諦めの混じったいつもの彼とは違う弱々しい微笑みにユリアは思わず怒鳴っていた。

「馬鹿!」

「ユ、リア」

「馬鹿っ、本当に大馬鹿よ!
 私の気持ちを確かめもしないで勝手に決めて。
 それとも大人の領分で引こうと思ったの?それが勝手って言うのよ」

息を上げ一気に言ったユリアにあっけに取られたオルディの背中を自分の腕で包み込むように抱きしめた。

大きな背中はユリアの腕ではとても回しきれないけれど自分の気持ちが伝わるように必死に。

「怖いんです。あなたの口から出る言葉を想像すると」

震える体が不安だと言う気持ちを伝えてくる。
いつも整然としていた彼の心の裏側の気持ちが垣間見えて自然と手に力が篭もった。

「信じたい気持ちがあっても信じられない気持ちもある。好きな気持ちは変わらないはずなのに。
 俺の中にも確かに家族のように大切に思うところがあって、でもそれ以上に誰にも渡したくないって
 気持ちの方が強かった。
 何を信じたらいいのか自分自身にさえわからなくなったこともある。俺自身の立場というものもあったから」

複雑な想いは人の気持ちさえ狂わせる。

想いが強ければ強いほど本来の見えていたはずのものを見えなくしてしまっているのかもしれない。

お互いの想いを伝えたいのなら勇気を出してぶつけなければこのままずっと平行線のままだ。
変わることなく永遠に。

「オルディが思ってる気持ち、私にもわかる。同じように感じていたわ。
 家族と異性に対しての愛情。どれが本当なのかわからなくて
 悩みぬいたけどどれも本当で捨てきれないものだった。
 だから決めたの。その全てを捨てることなく抱えていこうって。
 私の為を思ってオルディは立場をわきまえているって言ってくれるのもわかる。
 年長者の立場だってあるのも。でも、私は気持ちを抑えることは無理。
 たとえ今駄目なことがあったとしても諦めることなんてできないわ。
 だって考えてもみて?私の隣にはいつもオルディがいてくれたんだもの。
 今までの私の歩んできた時間を見てきてくれたのに今更離れることなんてできないに決まってる」

幼い頃からオルディの傍にいれば大丈夫、彼に相応しくなりなさいって言われてきた。
両親の言葉にどんな意味があったのかわからない。
だけど私もそう思ってきた。それだけを信じてきたから。

「いっしょに歩いていきたいの。これからもずっと。
 あなたの隣にいられるように、あなたと同じ気持ちでいられるように」

平坦な道が用意されているとは思っていない。
気持ちは移り変わるものだってことも知っている。
それでも今まで一緒に歩いていけたのだからこれからもこのままいけるのだと不思議と思えた。

「……これからも俺がおまえを守るから」

今はそれだけでいい。
その言葉だけで私は幸せを手にすることができる。
これからを信じてあなたの傍で笑うことができるの。
腕の中にあるぬくもりを逃さない、守っていけるようにユリアも回した手に気持ちのまま力を入れた。



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